4 / 6

第4話 masked2

「ずいぶんご機嫌だな」  デジャブを覚える台詞を投げかけられ、太一は、隣を見た。年上の同僚、内田が、帰り支度を終えてそこに立っていた。 「そ、そんなにわかりやすい、ですか……」 「まぁな」  そう言って、彼は太一と肩を並べる。同じ時間に帰宅が可能になったとき、彼と太一は一緒に帰ることがある。交友関係の広い彼にとっては、仲間内の一人程度だろうが、そういった機会が少ない太一にとっては、貴重なものだった。 「この前は、ぼうっとしていたから心配だったけど。それはもう解決したみたいだな」 「はい。ご心配おかけしまして」  これで三度目だ。監督、ほかの仲間、そして同僚。それぞれから、心配する声をかけてもらった。あまりにぼんやりしていたからだろう。迷惑をかけまいと、口にしなかったことが裏目に出たようだ。親身になってくれる仲間に感謝してもしきれない。小さくありがとうございますと呟いて、隣の彼を見上げた。 「……そういえば、内田さんって、サッカーやったことありますか?」 「ん? ああ、二十代のころにちっとだけ」  引き締まった体つきの彼は、確かに何かしらのスポーツをやっていたといわれても納得できる。若い頃に、そういった基礎ができていたからこそ、今の仕事でも楽々と作業をこなせるのだろう。 「そうなんですね。サッカーのルールって知ってますか?」 「ルールかぁ。引退した俺よりも、甥っ子に聞いた方が早いだろうな」  なんだ、サッカーに興味が出てきたのか、菊井は。俯いてばかりの若者に、健全な趣味ができたのだろうか。観戦でも、実践でもいいが、いかんせん内田は、今はなにもしていない。ルールも、どんどん変わっているだろう。サッカー観戦は、テレビの前で、ワールドカップをかじる程度でしかない自身よりは、と親戚の名前を出した。 「へぇ、甥っ子さんがサッカーを?」 「ああ。ちょっと前までユースでプレイしていたんだぞ」 「あ、それ知ってます。プロ選手を育てるための施設とか制度のことですよね」  小学生、中学生、高校生といくつかの年代にわかれて、それぞれサッカーに興味がある子供たちを集めて英才教育を施す。それが、ユースだ。プロ選手になるには、いくつかのやり方があるらしいが、プロ選手を囲っている組織が運営しているクラブに入ることも、道の一つである。小学生から中学生、中学生から高校生、また高校生からプロ選手への道は、かなり厳しいものらしい。昇格試験というものがあるのだとか。 「おー、調べたのか、菊井。詳しいじゃないか」 「はい。サッカー自体をあまり知らないので、いろいろ調べているうちに」 「なんでまたサッカーに興味出たんだ?」  今までの会話の中で、スポーツに興味があるようなそぶりはなかった。家の中に引きこもりがちの年下の同僚が、どこから興味をもったのだろうか。内田の疑問は、当然だろう。 「あ、えっと――内田さんには話したと思うんですけど。あの、コンビニで会った人が、サッカーやってたらしくて」  そう言いながら、太一は、同僚を見上げた。背が高い彼は、三十代後半だと聞いているが、それを感じさせないような若々しさがある。色あせた金色のツーブロックにした髪。耳のあたりの部分はトライバル柄が刈り込んである。全体的にやんちゃそうだが、目元の笑い皺とえくぼのおかげで、愛嬌に見えるから不思議だ。監督の叔父ほどではないが、ぴんと背筋を伸ばして歩いて行く作り込まれた体躯は、とても大きくて頼りがいがある。太一のひょろりとした体とは、天と地ほどの差があり、ひそかに憧れていた。  スポーツをすれば、あんなふうになれるだろうか。そう思いながら、ふとその横顔に泰正を思い出す。薄い唇、一筋通った鼻は少し鷲鼻に近く、彫りが深い顔立ち。それになによりも、目元が似ていた。 「どした、菊井。不惑も近いおっさんの顔見て楽しいかい?」  同僚に問われ、そこで初めて太一はずっと彼を見ていたことに気付く。慌てて訂正する。 「あ、その――さっき言ってたコンビニの人にどこか似ていたものですから」  顔の雰囲気が、と続けて、苦笑いを浮かべる。最近、何かにつけて泰正のことを思い出している自分がいるからだ。似ていると思ったのも、偶然だろう。 「へぇ、噂のコンビニの(きみ)か」  にやにやと笑いかけてくる同僚。彼には、以前もその話題をふっていた。そのうえ、彼のアドバイスのおかげで、泰正の名前を知ることができたのは、記憶に新しい。 「そ、そうですけど……」 「あまり社交的じゃない菊井が、そんなに話せる相手って気になるなぁ」  名前は聞いてきたんだろうな、と問われ、大きく頷く。 「泰正って名前なんだそうです。漢字も教えてもらったんですけど、すごく、名前の雰囲気に似合う人でした」  安泰の泰に、正しいと書いて、泰正。まっすぐな彼の気性によく似合っている。他愛ない話ばかりだったが、最近は、少しずつプライベートな話題も振るようにしている。お互いに苦手なものがある、と話したのだ、とまで伝えたとき、同僚の笑顔がどこかぎこちないことに気付いた。 「どうしたんですか?」 「うぅん、いや、……なんでもないよ。しっかし、なんだか恋する少女のような顔で話すね、菊井は」 「恋? 冗談いわないでください。相手は、男ですよ」  それに、そもそも同僚の視界には、帽子と紙マスクで顔のほとんどを覆った人間がいるだけだ。話が面白くなかったから、適当な感想でもいっているのだろうか。しかし、彼の気質からは、そんな風にいうとは思えない。 「あれま。男、男かぁ……」  同僚は、いまだ撤回する様子を見せない。新しい友人ができたことに対して、変にはしゃぎすぎてしまったのだろうか。 「男だろうが女だろうが、恋は関係ないんだけど」  考え込んでいた太一に、同僚のその一言は聞こえなかった。  ◆◆◆  冷蔵庫を覗き込んでひとつ溜め息をついた。マヨネーズに辛子が少々。どこを見ても主食がなかった。財布と帽子、紙マスクを身に付け、玄関前に立つ。ドアスコープの小さな穴を眺めて一言。ドアノブに手をかけた。  久々に入ったスーパーのロゴが入った袋を抱え直す。普段、通販ばかりの身なので、思った以上に安い金額の食材たちに考えていた以上のものを購入してしまった。冷凍食品は、できる限り減らしたものの、早く帰らなければならない。上を見れば、枯れ枝にぽつぽつと小さな芽がついている。そろそろ春が訪れるだろうか。咲き始めるのは、いつだろう。そう考えながら歩いていると、ふと声援が聞こえてきた。動きを止めて耳をすませば、聞き覚えのある名前を拾った。  きょろりと周囲を見回せば、それなりの大きさの公園が目に入る。なかなかに広大なそこは、ベンチやトイレだけではなく、遊具施設も整っている。近所の学校に通う子供たちが、遠足として連れてこられた光景を何度か目にしたことがあるほどだ。  今、園内を動き回っているのは、青のユニフォームを着た一団。土日の部活動の一環らしい。その背中には、高校の名前とサッカー部と大きく記してあった。  試合形式ではなく、それぞれが1対1の練習をしている。一方がボールを狙い、もう一方が守る。奪われれば、その役目は交代だ。もみ合う彼らは、生き生きとしており、真剣に取り組んでいた。  まだ春は先だというのに、額に汗する彼ら。ころころかわる表情も相まって、まさしく青春といったところか。  学生といえばイメージされるそのものだ。つられて教室の風景が浮かんだ瞬間、名前を呼ばれた。 「ひゃいっ!?」  焦りすぎて声が裏返ってしまい、耳が熱くなる。紙マスクと帽子があってよかった、と心底思い、落としかけた買い物袋を握りしめた。 「やっぱり、太一だ」  泰正くん。気付けば、目の前に立つ、見知った笑顔の持ち主。汗が太陽光に反射しているせいなのか、なぜだか彼が眩しい。  次の言葉が紡げないでいると、なにを思ったのか、ぐしょぐしょになったユニフォームを無造作に掴み顔を乱雑に拭く。下に肌着を着ていないらしく、綺麗にわかれたシックスパックが見えてしまった。ボディビルダーのようなはっきりとしたものではないが、うっすらと割れ目が見えている。実用的なそれは、自分のものと違い、なんだかかっこよく見えて羨望を覚えてしまった。 「ええと――太一、もしかしてここから家近い?」  会うとは思わなかった。いつも練習してるんだけど、こんなこと初めてだ。このあと、コンビニ行こうと思ってたんだけど、まさかここで会えるなんて。  そんな言葉が矢継ぎ早に飛んでくる。立て板に水のごとく、流れていくそれに、ちょっと待ってくださいと大きめの声で遮ってしまった。あまり早いと、会話についていけない。言葉を伝えるのが遅い太一にとっては、その早さは致命的だった。 「……あ、うるさいとかそんなんじゃ」  ぴたりと止まった言葉の洪水に、驚かしてしまったと慌てて訂正をいれようとして、気付く。  首を傾げてこちらを伺うように紙マスクの下を見つめた表情が、少しだけ笑みを浮かべていた。例えるなら、犬が主人を前に次はなにしてくれるのと見つめてくる、そんな表情。 「どうかした?」  小首を傾げる泰正。整った顔立ちは、普段は鋭いくせに、今はどこかあどけない。きりりとした顔は、日本犬の狼のようなかっこよさを思い出させた。そして、近所の柴犬が見つめてくる、かわいらしいおねだりの視線も。 「え、え、なんで笑うんだよ。俺、何かした?」 「ううん。あれ、俺、笑ってた?」  思いきり首を縦に振る泰正。目元しか見えない状態なのになぁ。そんなにわかりやすかっただろうか。同僚にも見破られた気がするので、感情が表に出やすいのかもしれない。叔父やほかの仕事仲間たちに気遣われた件も連想してしまい、気をつけようと心に決める。感情を素直に出しすぎてしまうのは、少々いただけない。なんといっても、心配をかけてしまうのだから。 「ねぇ、十津川。その人、誰なの」  ふと別の声が割り込んできた。  ひくり、と喉が鳴る。声の主は、泰正の半歩後ろに立っていた。  ふわりとした栗色の髪に、女性に騒がれそうな甘い顔。俳優ばりの秀麗さに、息をのむ。そのくせ、青いユニフォームの下は、服の上からでもわかるほどしっかりとした体躯だった。 「ねぇ、誰って聞いてるんだけど」  柔かな声が泰正に向けて放たれる。にっこりと優しげな笑みをはいて、女性なら(とろ)けてしまいそうな声。しかし、どこかとげとげしい。優しくて甘いのに、どこか冷たいのだ。一歩出てきた彼に、太一の肩が跳ねる。 「お前には関係ないだろ」 「関係あるよ。大事なチームの練習の中で、急に抜け出しちゃうぐらいなんだから」 「それは、――もう少ししたら戻るって。ちょっと話すだけだから」  一瞬喉をつまらせ、それでも反抗的な言葉を返す泰正。少年は、埒が明かないと思ったのか、柔かい笑みを浮かべて、太一の方を一瞥する。 「――ッ」  ひゅっと、喉が鳴った。この人は、怒っている。鋭い視線に、太一の足が後ろへ下がる。  怒りの炎が渦巻く、丸いヘーゼルの瞳。淡い色なのに、強烈な感情があった。いや、薄いからこそ、その中にある血潮が煮えたぎって見えるのかもしれない。  笑顔はカモフラージュだ。声にも表情にも出ていない本音が、その目から強く感じ取れた。 「あ……、練習の邪魔してごめんなさい。偶然会っただけなので」  泰正くん、ごめんね。また今度会おうね。視線をそらして、少年の怒りに気付いていない泰正に目を合わせる。眉を(ひそ)めて拗ねたようだった泰正は、また今度会おうねと口にしたところでようやく(きびす)を返した。  ほう、と一息いれたところで、耳慣れない声が後ろからかけられる。 「なんだ、きみは、普通の人じゃないか」 「え」  振り返ると、泰正のチームメイトはまだそこに立っていた。にこにこと親愛を込めた笑顔を浮かべている。ただし、視線はどこか固い。それでも、笑顔の奥にあった色は、今は形を潜めている。 「普通……って」  それよりも、彼の言葉が気になった。きみは、と太一だけを区別している。あの場にいたのは、太一だけではないのに。 「気にしないでください。ああ、名乗ってなかったですね。僕は竜崎翔太(りゅうざきしょうた)。十津川とはチームメイトなんです。よろしく」 「いえ、俺も、名乗ってませんから。……菊井太一です」  差し出された手を握り、マスクの下で社交辞令の笑みを浮かべる。苦笑気味になっていたことを自覚していたせいか、少し視線が下に落ちる。あの目に、また濃い色がのっていないか、怖くて見ることができなかった。 「菊井くんか。すごく優しいんですね。それとも――」 「はい?」 「いや、なんでもない。それじゃ、僕も練習に戻るよ」  頑張ってください。竜崎が言いかけた言葉に首を傾げながら彼の背中を見送る。同じ青いユニフォームの高校生たちが、二人を出迎えていた。  優しいんだね。そう言ったあの少年の顔が脳裏を過る。目を細めて唇の端をほんの少し持ち上げて、ぱっと見た風では微笑んでいるようにしか見えない。それでも、その顔はどこか強張っていた。なにかを押し殺していたような、そんな顔だった。

ともだちにシェアしよう!