6 / 8

第6話

藍が自室に着くと間もなく、慌ただしいノックの音が聞こえた。 気怠げに藍が返事をすると同時に部屋になだれ込んできたのは、弟の(すい)だった。 「藍くん! 奴隷連れてきたって本当!?」 「……あぁ。これから使用人として働いてもらう予定だ」 「……本当なんだ……あの藍くんが……」 「何だよその言い方。全く、別に良いだろう? 箔をつけるには丁度良かったんだ」 挑発に乗せられた、とは言え奴隷を手元に置くことがステータスとされる世間であれば、別にマイナスにはならない状況。 一方で橘の家に倣っていては異端として見られ続けるだけだ。 ただの使用人ではない、自分の近くに置いて秘書として働かせるか。 しかし、その為にも青年の教育は必要だろう。 「……先は長いだろうが、いずれ俺たちを馬鹿にした奴らに吠え面をかかせてやる」 「本当に藍くんって負けず嫌いだよね。それでそれで? 奴隷さんはどこにいるの?」 「汚くて怪我もしていたから先に風呂だ。しばらくしたら部屋に来る」 「へぇー、じゃあ俺も部屋で待っていていい?」 ソファーに飛び乗り、藍の返事を待たずに寛ぐ翠。 自由な弟の行動に慣れている藍は「勝手にしろ」と机を挟んで翠の向かいに座った。 「もう名前は考えたの?」 「……忘れてた」 「えー、じゃあ一緒に考えようよ!」 橘家に来た奴隷は、元の名があったとしても新しい名をつける決まりがあった。 心機一転この家に仕えることを誓う為と、藍の祖父の代から続いているのだそう。 家主がつけることにはなっていたが、青年に関しては藍が責任を持つことになっている。 「一文字ずつ案を出すのはどう?」 「まぁ、助かる」 「じゃあ……思いついたら言い合おうよ」 無邪気に「うーん」と頭を捻る翠。 本当に今年で二十歳になるのかと問いたくなる姿を見ながら、藍は窓の外に目を向けた。 庭一面に広がる景色、もうすぐ春が訪れる雰囲気を感じる。 そこで一つ言葉が思い浮かび、「あ」と声を上げた。 「お? 思いついたね」 前のめりに尋ねてくる翠。 「せーのでいくよ?」なんて言い始め、藍は無言で頷く。 翠が発した言葉の後に続けて、各々に思いついたら言葉を放った。 「春!」 「桃」 見事に声が重なり、やや声量の大きな翠の声に藍の発言は隠れてしまう。 「藍くんなんて言った? 俺はさ、もうすぐだから春がいいなーって」 「……桃」 「あ、藍くん庭見てそう思っただろう? 意外と安直だね、俺ら」 ひひ、と笑顔を向ける翠。 楽しげにパタパタと揺れる足が気になり、藍は眉間に皺を寄せる。 「それなら二人のを合わせて“桃春(ももはる)”はどうかな?」 「……まぁ、いいんじゃないか」 何でも、と藍は思わず出かけた言葉を飲み込む。 名前なんてただ個体を識別する為の記号なのだから、と冷めた気持ちで目の前の翠を見た。 「桃春くん、早く来ないかなー」 翠の言葉に応えるように、控えめにノックが響いた。

ともだちにシェアしよう!