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第6話
藍が自室に着くと間もなく、慌ただしいノックの音が聞こえた。
気怠げに藍が返事をすると同時に部屋になだれ込んできたのは、弟の翠 だった。
「藍くん! 奴隷連れてきたって本当!?」
「……あぁ。これから使用人として働いてもらう予定だ」
「……本当なんだ……あの藍くんが……」
「何だよその言い方。全く、別に良いだろう? 箔をつけるには丁度良かったんだ」
挑発に乗せられた、とは言え奴隷を手元に置くことがステータスとされる世間であれば、別にマイナスにはならない状況。
一方で橘の家に倣っていては異端として見られ続けるだけだ。
ただの使用人ではない、自分の近くに置いて秘書として働かせるか。
しかし、その為にも青年の教育は必要だろう。
「……先は長いだろうが、いずれ俺たちを馬鹿にした奴らに吠え面をかかせてやる」
「本当に藍くんって負けず嫌いだよね。それでそれで? 奴隷さんはどこにいるの?」
「汚くて怪我もしていたから先に風呂だ。しばらくしたら部屋に来る」
「へぇー、じゃあ俺も部屋で待っていていい?」
ソファーに飛び乗り、藍の返事を待たずに寛ぐ翠。
自由な弟の行動に慣れている藍は「勝手にしろ」と机を挟んで翠の向かいに座った。
「もう名前は考えたの?」
「……忘れてた」
「えー、じゃあ一緒に考えようよ!」
橘家に来た奴隷は、元の名があったとしても新しい名をつける決まりがあった。
心機一転この家に仕えることを誓う為と、藍の祖父の代から続いているのだそう。
家主がつけることにはなっていたが、青年に関しては藍が責任を持つことになっている。
「一文字ずつ案を出すのはどう?」
「まぁ、助かる」
「じゃあ……思いついたら言い合おうよ」
無邪気に「うーん」と頭を捻る翠。
本当に今年で二十歳になるのかと問いたくなる姿を見ながら、藍は窓の外に目を向けた。
庭一面に広がる景色、もうすぐ春が訪れる雰囲気を感じる。
そこで一つ言葉が思い浮かび、「あ」と声を上げた。
「お? 思いついたね」
前のめりに尋ねてくる翠。
「せーのでいくよ?」なんて言い始め、藍は無言で頷く。
翠が発した言葉の後に続けて、各々に思いついたら言葉を放った。
「春!」
「桃」
見事に声が重なり、やや声量の大きな翠の声に藍の発言は隠れてしまう。
「藍くんなんて言った? 俺はさ、もうすぐだから春がいいなーって」
「……桃」
「あ、藍くん庭見てそう思っただろう? 意外と安直だね、俺ら」
ひひ、と笑顔を向ける翠。
楽しげにパタパタと揺れる足が気になり、藍は眉間に皺を寄せる。
「それなら二人のを合わせて“桃春 ”はどうかな?」
「……まぁ、いいんじゃないか」
何でも、と藍は思わず出かけた言葉を飲み込む。
名前なんてただ個体を識別する為の記号なのだから、と冷めた気持ちで目の前の翠を見た。
「桃春くん、早く来ないかなー」
翠の言葉に応えるように、控えめにノックが響いた。
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