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 吉野くんは、同じクラスのひとで、誰とも話さず、常にひとりだ。  本当に何もしゃべらなくて、声を聞いたひとは誰もいないらしい。  2年生に上がって初めて同じクラスになったけど、先生もあきらめているみたいで、必要最低限しか話しかけない。  病的なほど肌が青白く、漆黒の大きな瞳が、長い前髪からちらっとのぞいている。  華奢(きゃしゃ)で、身長は、165センチの俺より少し高いくらい。  ニコリともしない、謎に満ちたひとだ。  ホームルームが終わり、俺は、指定された『たばこ部屋』に向かった。  旧校舎の元演劇部の部室で、名前の通り、不良たちがたばこを吸ったりサボるのに使っている。  先生たちも黙認。掃き溜めの底辺男子校だから、仕方ない。  ここには、1ミリも勉強していない不良か、いじめや不登校で勉強ができなかった陰キャしかいなくて、俺みたいなのにとっては、搾取(さくしゅ)され続ける地獄なのだ。 「失礼します……」  小さな声を絞り出しながら入ったら、悪めのひとたちが8人いた。  部屋の中央には、大人ひとりが寝そべって眠れるくらい大きなソファ。 「そこ座って」  部屋の隅に腰掛ける大柄の澤村くんが、あごをしゃくる。  緊張しながら腰掛けたところで、ふたりに連れられて吉野くんも部屋に入ってきた。 「ご苦労さん。じゃ、吉野もそこ座って」  吉野くんは、黙って俺の隣に座る。  たばこに火をつけた澤村くんが、集まったひとたちに向かって口を開いた。 「んじゃ、始めるけど、絶対写真も動画も撮んなよ。出るときにスマホチェックすっから。もし外に出回ってたら、出所どこか割り出すし、どうなるか覚悟しとけよってことで」  射抜くような目で、牽制(けんせい)する。  ギャラリーたちは、少し萎縮(いしゅく)しつつ、期待に満ちた目でこちらを見ている。 「はい、じゃあふたり。キスして」 「えっ……」  驚いて澤村くんの方を見たら、眉間にしわを寄せていた。  無理だ、逃げられない。  吉野くんの方を見たら、無表情でこちらをじっと見ている。  俺は、泣きそうになりながら、小声で謝った。 「あの……ごめんね。巻き込んじゃって」  俺がお金を出せば、吉野くんはこんなことにならなかったはずで……すごく心苦しい。  キス。どうしていいか分からなくて固まっていると、周りが「早くしろ」とか色々いって、ギャハハと笑い出した。  吉野くんは、黙ったまま片手を伸ばしてきて、そっと俺の目のところに手のひらを当てた。  目をつぶる。  吉野くんが手を離すと、そのまま、やわらかくてあたたかいものが、唇に触れた。 「うわ、キメエ!」  爆笑。  吉野くんは顔を離したけど、俺はどうしていいか分からなくて、ぎゅっと目をつぶったまま、自分のズボンを握りしめていた。 「ベーローチュウ! ベーローチュウ!」  手を叩き笑いながら、コールが上がる。  どうしたらいいかは分からないけど、何を要求されているのかは分かる。  恥ずかしさで死にたくなりながらうっすら目を開けると、吉野くんは、何も言わず、表情ゼロのままこちらを見ていた。  両肩を掴まれて、また目をつぶると、唇の感触。  歯に吉野くんの舌が当たったので、びっくりしつつ口を少し開けた。  舌が中まで差し込まれ、あちこち探るようにされて、パニックになってしまった。 「え? 吉野ホモじゃね?」 「あはは、マジでキメエ! めっちゃガッツリすんじゃん!」    なんか、平然としてる……?  でも、嫌々やっていることは確かで、俺のせいなのにこんな風にさせてしまっているのは、本当に申し訳ない。  息を殺してやり過ごそうとするけれど、黙って見ているだけの澤村くんは、全然やめさせる気配を見せない。  彼がいいと言うまで、こうしてなくちゃいけないんだ。 「ん……」  息が苦しくて、思わず声を漏らしてしまった。  恥ずかしくて泣きたい、と思ったら、吉野くんは一瞬唇を離して、耳元で、聞こえるか聞こえないかギリギリくらいの声で言った。 「鼻で息して」  吉野くんがしゃべった。  かすれた声。ちょっと早口で。  また同じように舌が入ってきたので、驚きつつ、言われた通りに鼻で呼吸をしたら、少し楽になった。 「はい、終わり」  顔を離して澤村くんの方を見ると、たばこを灰皿に押し付けながら指差した。 「桜井(さくらい)松田(まつだ)、その箱に金集めて。今日はひとり200円でいいぞ」  眼鏡の松田くんは扉の手前に立って、スマホの中身のチェック。  パスしたら、長髪をひとつ結びにした桜井くんが持っている箱にお金を入れて、出て行く。 「あー超ウケた」 「倉持何もしねえのウケる。ビビリすぎだろ」  笑いながら部屋を出ていくひとたち。  呆然としながら様子を眺めていたけど、ふと我に返って吉野くんを見たら、やはり無表情のまま、物憂げな目でぼんやりとしていた。 「ほんとごめん」  改めて頭を下げる。でも吉野くんは、黙って目をそらしただけだった。  ……というところで、はっと、重大なことに気付いた。  澤村くんは、何と言っただろうか。 ――今日はひとり200円でいいぞ。  この地獄は、ただの始まりだ。

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