「…君は。西は、『絶望』を知っているかい？」 本当のことを話すつもりなんてなかった。だのに、目の前の男があまりにも真摯な眼差しを向けてくるものだから。 少しくらいなら、と。思ってしまったのだ。 「……それは、単純な意味合いとしての『絶望』か？」 探るような視線を受け止めてうっそりと笑う。嗚呼、やはり西は賢い。 「私はね、籠の中の鳥なんだ」 湯呑みに添えた指先を見つめる。細く、頼りない。およそ男とは思えないそれ。 当たり前だ。自分は、女として育てられたのだから。 ―――否。女の代替品として。 そこまで至って、あまり深く話す必要も無いかと思い直す。 「…端的に言えば全てが面倒になった」 頬杖をつきながら彼を見つめる。ため息と共に口を動かしかけたその背後、ドアが開く。 「にいちゃん……」 3歳か4歳ぐらいだろうか。小ぶりの枕を抱えた女の子。可愛らしい顔はくしゃりと歪んでいる。 「どうした？」 「夢…こわいの、見たの……」 「分かった。ちょっと待てるか？」 ううん、とぐずる頭をひと撫でして隣の部屋へ消える西。残された彼女はこくりこくりと船を漕ぎ始めて。 春先と言えども夜は冷える。風邪を引きかねないどころか、このままだと座卓に顔面から突っ込みそうな体躯を抱き寄せた。 抱える温度があたたかくて、久しぶりに平穏を取り戻す心を感じたところで意識が遠のく。 「――う、……み、……上條！」 揺り起こされた視界に入ったのは部屋着に着替えた西と、すやすや眠る女児。どうやら寝ていたらしい。少し気恥しく、目を擦って立ち上がる。 「お邪魔しました」 「…なあ、その。こんな事を頼むのも筋違いだとは思うが」 腕の中の彼女を見下ろした西が、ややあって意を決したように顔を上げる。 「明日、家で子守りをしてくれないか」 「……え？」 聞けば滅多に回ってくることのない夜勤だという。普段の店舗ではなく離れた場所にある系列店なだけに、今日の様子だと兄弟が心配らしい。 「部活…というか、予定があるなら無理にとは言わない。気持ち程度の謝礼も出す」 だから、と言い募った西を制した。 「…部活、と言ったね。それに私の名前を知っているということは…」 「一応、隣のクラスに在籍している」 正直なところ素性がどうであろうと構わなかった。興味があるのは彼自身に対してだから。 しかしまあ、どこの誰か分からないよりはずっと良い。 承諾したのはそれからすぐだった。