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16.
「椿です。戻りました」
あれから着物に袖を通し、渡り廊下を通って部屋の前に端座する。声を掛ければ内側から開く襖。
「お帰りなさい、椿」
微笑んだこの部屋の主。数年前と変わらぬように見えるその顔は、しかし確実に歳月を感じさせるものになっていた。
以前は無かった目元の皺を見つけて何とも言えない気持ちを抱える。
「…母上も、お変わりなく」
一応の向上として儀礼的に述べれば、綺麗に縁取られた瞳が丸くなる。
「あらやだ、思ってもいないくせに」
そうしてからからと笑う彼女に内心舌を巻く。相変わらず人の心を読むことに長けた人だ。
「正直に言えば怒るでしょう、貴女は」
「うふふ、そうねえ」
お茶を出してくれた女中に下がるよう命じて、向かい合わせになる。一瞬の後に走る緊張。室内を満たしたそれに呼吸さえ重く感じた。
―――…これが、実の母親ならば。
詮無いことを考えた、と。瞬きひとつで流す。
「学校はどう?」
「楽しいですよ」
嘘偽りなく述べれば、そう。と頷いた彼女は暫く黙り込んだ。
「…それで。"普通の恋愛"は出来た?」
およそ三年前に告げられた内容が蘇る。遠い土地の高校へ息子を放り出した彼女は、どんな気持ちでこれを口にしたのか。
「………普通、って」
何でしょうね、と。吐息同然の声で呟く。空気に消えて霧散するその疑問に、答えが返ってくることはなかった。
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