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第4話

廊下に出れば、幸い講義中で人通りはなかった。 ソラスは大丈夫だろうか。 鎌首をもたげれば、縫いぐるみのように私を抱きかかえたままどこか満足気に口元に笑みを浮かべていた。まあ無事ならいい。 カーディスは磨き上げられた廊下をぐるりと見渡し、やはり建物や敷地からは出られないとぼやく。そして、大胆にも私達の出てきた学長室の扉を開けた。 一瞬肝が冷えたが、その先はまた別の棟の廊下だった。天井付近の窓から見える景色が違う。建物の中も移動できるようだ。 ソラスが姿を眩ます魔法を掛けたものの、白く霞かかる筈の視界はぼんやりと揺らぐだけだった。魔力が足りないのだ。 「暫く身を隠そうか。研究室があると言ったね、 それはどこだい?」 行く先の場所が分からないと"裏道"を繋げられないらしい。しかし今は言葉を話せない。 私はソラスの腕から抜け出そうとしたが、駄目だと強く抱き締められた。怒っている風でもなくむしろソラスは上機嫌である。 仕方なく首を動かして方向を指し示す。歩きながらソラスの白い肌はますます白くなっていく。倒れやしないかはらはらした。 私の研究室は棟の片隅にある。窓からそこが見えた時、私はソラスの腕から抜け出し、羽ばたいて窓を叩きそこを指し示した。 カーディスは分かったと返事をし、そこに向かって壁を擦り抜けた。私も急いで追いかける。 視界が開けた時には、鋲が打ち込まれた木の扉が目の前にあった。私の名前の札が掛かっている。 鍵がかけられていたが、カーディスは鍵穴を指で弾いただけで難なく開ける。 数年ぶりに訪れたそこは、やはり酷い有様だった。 本や羊皮紙の束が所構わず積まれ、試験管や瓶に入った生き物の骨や羽毛が棚を占拠し、乾燥して紙に貼り付けられた草花などの標本が壁一面に貼られている。 要は、私がいたときとさほど変わっていない。"かの国"の家ではソラスと暮らしている為整頓を心がけているが、この頃は研究以外に頓着がなかった。 あちこちにうっすらと埃が積もっているが、思ったほどではない。人の出入りがあるのだろうか。 ソラスの腕がピクリと動いた。 そこに居るのは誰かと問いかける。机の影から黒い頭が見えた。 「す・・・すみません・・・」 十代半ばの黒髪の少年が、おずおずと姿を現した。 空色の瞳は遠慮がちに伏せられている。ここの学生にしては幼い。手には紙の束を抱えている。 「あれ、大学の方ではありませんよね?それに鍵は」 「君は誰だい。ここで何をしていたのかな」 カーディスはソラスを背に隠し、いつものふざけた態度を引っ込め毅然と応対する。生徒を窘める教師のような佇まいだ。少年は身体を硬くする。 流石結婚詐欺紛いの事をして稼いでいるだけある。 「ぼ、僕はジェニアス・イーグナーです。ここの聴講生です。ファフニール先生の講義を取っていました」 なんと。私は驚愕し、彼の姿を伺おうとしたがソラスに抱き留められる。 「それで?君の持っているものは何かな」 カーディスが少し責めるような口調で語りかける。 そして青く大きな目は鏡のように輝き、少年の心を開く"鍵"を探っている。その様は少年の言動を注意深く見張る教師さながらで、気弱な彼はますます肩を縮め小さくなる。 力を使うタイミングまで完璧だ。 「ファフニール先生の論文です。あ、ここで読ませていただいてるだけです!学長代理にも許可を得ています。でも、他の人には・・・」 「分かったよ、君のことは黙っておくとしよう。 その代わり、僕達の事も内緒にしておいてくれるかな」 カーディスは破顔した。威圧的な雰囲気は一変し、少年は目を丸くする。カーディスはソラスの姿を見せると、少年の空色の瞳は太陽のように輝いた。 なるほど、こうして純真な若者や世間知らずの令嬢を誑かしているわけか。 「まさか、エルフですか・・・? えっ、抱っこしているのはもしかしてドラゴン?!」 「そうだよ。ファフニール教授の大切な人なんだ。丁重に頼むよ」 カーディスはにこやかに述べる。 やりおったなペテン師め。まんまと私達を餌にして口封じをするとは。

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