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第5話

市井は、ふと、考える。  あのとき、父親の元に行かなければ、今も幼馴染みの隣で笑っていられたのだろうかと。  正義感が強くて、でも悪戯好きで、優しくて、時々意地悪な幼馴染みの名は、ユースケと言った。  体が小さくて女の子のような顔、しかも母子家庭ということで、からかわれることの多かった市井をいつも庇ってくれた。  どんな時も、一緒だった。  ユースケといるだけで、毎日が楽しかった。  このまま、ずっと、そんな毎日が続くと思っていた。  状況が変わったのは、小学6年の時。  市井の母親が事故で急死した。  廃屋を利用した、2人だけの秘密基地。  いつもなら、宿題とおやつを持ちこんで他愛もない話をしたり、外で遊んだりしていたのだが、その日は違った。 「明日から、父親のところに行く」  市井の言葉に、ユースケは顔色を変えた。 「父親って、お母さんの葬式にも来なかったヤツだろ? お前も、一度も会ったことないって言ってたじゃん!? このまま、ここで暮らせよっ!」 「そんなことは出来るはずがない」  1人で生きていくには、あまりに幼く、そして無力だった。 「お前のオヤジ、ヤクザなんだろ? そんな所に行ったら、お前までヤクザになってしまう!」 「ヤクザには絶対ならない。あの人を利用するだけ。18歳になったら家を出る」  ユースケの家は、ヤクザの地上げによって店を手放した。  そのせいでユースケは、ヤクザを毛嫌いしていた。  力が欲しいと思った。  市井を守るのはいつだって、ユースケだった。  でも、将来は、自分がユースケを守ると決めていた。  いつか、自分がユースケの家の店を取り戻す。  それで、ユースケと一緒に店をやる。  そのためには、どんなものでも利用する。  たとえ、会ったことがないヤクザの父親であったとしても。  気配を感じ、振り返るとすぐ側にユースケの顔があった。  距離が近くて身を離そうとした瞬間、そのまま唇が重なった。  ユースケは、驚いて茫然としている市井に背を向けた。 「じゃあ、約束だ。18歳のお前の誕生日にここで会おう? 絶対に戻ってこいよ? それで、一緒に暮らそう」  怒鳴るように吐き捨てると、真っ赤な顔のまま、ユースケは走り去った。      □ ■ □ 「最近、うちのシマが大陸の奴らに荒らされてな。お前、何か知ってるか?」  スキンヘッドのいかつい男の浮かべた笑みに、マサは震えあがった。  ここは、山本組の池田の事務所。  山本組のような最大規模の組では、若頭補佐といっても完全に独立していて、高田組よりもっと大きな組織を任されている。  マサは、革張りのソファーに浅く腰掛けながら、冷汗を拭った。  荷物の引き渡しのため、指定された場所に向かう途中、拉致されてここに連れてこられたのだった。  マサは、組長の命令で、もう3回、怪しげな中国人の男に荷物を届けていた。  今も、カバンにはこれから引き渡すはずの荷物が入っている。 「し、知りません。な、な、何のことですか?」  滑稽なほど、声が震える。  荷物の中身は見たことはないが、恐らく、麻薬に違いない。 「知らないならいいけどな。そうだ、市井は元気にしているか? また、顔を見に行くと伝えておけ。もう、帰っていいぞ?」  池田は、紫煙を燻らせながら、目を細めた。 「そのカバンは、置いていけ」  マサは、ガタガタと震えながら立ち上がると、転げるように事務所を出た。  下手を打った。  池田にバレてしまった。  市井の仕事だと誤解された。  スマホを取り出すと、組長に電話をかけた。 「組長。池田さんに荷物を取り上げられました。どうしますか? 頭に知らせて対策を考えないと……」 『そのままでいい』 「え?」 『動くな』 「このままじゃ、頭が誤解されてしまいます」 『お前は市井の命令で組を裏切り、御法度の薬に手を出した。しかも、池田さんのシマを荒らした。高田組としては、池田さんに誠意をみせないといけない。この意味、わかるだろう? しかも、うちだけじゃない。あいつらからも命を狙われる。だって、そうだろう? 金だけ受取ってモノは渡していないからな。大陸の奴は気性が荒いから、どんな報復か楽しみだ』  ガクガクと膝が笑う。  やっぱりと思う。  この男は、最初から、そのつもりだったのだ。  自分を利用したのだ。  市井を陥れるために。  マサは、力を振り絞って歩き出した。  今の時間は、市井は会社で会議をしているはずだ。  電話より、直接行った方が早い。  一刻も早く、市井のところに、戻らないと。  市井の命は、責任もって自分が守る。  急がないと。急がないと。  弾避けとしての役割は、まだ果たせるはずだ。  マサは、いつの間にか走り出していた。

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