5 / 13
第5話
市井は、ふと、考える。
あのとき、父親の元に行かなければ、今も幼馴染みの隣で笑っていられたのだろうかと。
正義感が強くて、でも悪戯好きで、優しくて、時々意地悪な幼馴染みの名は、ユースケと言った。
体が小さくて女の子のような顔、しかも母子家庭ということで、からかわれることの多かった市井をいつも庇ってくれた。
どんな時も、一緒だった。
ユースケといるだけで、毎日が楽しかった。
このまま、ずっと、そんな毎日が続くと思っていた。
状況が変わったのは、小学6年の時。
市井の母親が事故で急死した。
廃屋を利用した、2人だけの秘密基地。
いつもなら、宿題とおやつを持ちこんで他愛もない話をしたり、外で遊んだりしていたのだが、その日は違った。
「明日から、父親のところに行く」
市井の言葉に、ユースケは顔色を変えた。
「父親って、お母さんの葬式にも来なかったヤツだろ? お前も、一度も会ったことないって言ってたじゃん!? このまま、ここで暮らせよっ!」
「そんなことは出来るはずがない」
1人で生きていくには、あまりに幼く、そして無力だった。
「お前のオヤジ、ヤクザなんだろ? そんな所に行ったら、お前までヤクザになってしまう!」
「ヤクザには絶対ならない。あの人を利用するだけ。18歳になったら家を出る」
ユースケの家は、ヤクザの地上げによって店を手放した。
そのせいでユースケは、ヤクザを毛嫌いしていた。
力が欲しいと思った。
市井を守るのはいつだって、ユースケだった。
でも、将来は、自分がユースケを守ると決めていた。
いつか、自分がユースケの家の店を取り戻す。
それで、ユースケと一緒に店をやる。
そのためには、どんなものでも利用する。
たとえ、会ったことがないヤクザの父親であったとしても。
気配を感じ、振り返るとすぐ側にユースケの顔があった。
距離が近くて身を離そうとした瞬間、そのまま唇が重なった。
ユースケは、驚いて茫然としている市井に背を向けた。
「じゃあ、約束だ。18歳のお前の誕生日にここで会おう? 絶対に戻ってこいよ? それで、一緒に暮らそう」
怒鳴るように吐き捨てると、真っ赤な顔のまま、ユースケは走り去った。
□ ■ □
「最近、うちのシマが大陸の奴らに荒らされてな。お前、何か知ってるか?」
スキンヘッドのいかつい男の浮かべた笑みに、マサは震えあがった。
ここは、山本組の池田の事務所。
山本組のような最大規模の組では、若頭補佐といっても完全に独立していて、高田組よりもっと大きな組織を任されている。
マサは、革張りのソファーに浅く腰掛けながら、冷汗を拭った。
荷物の引き渡しのため、指定された場所に向かう途中、拉致されてここに連れてこられたのだった。
マサは、組長の命令で、もう3回、怪しげな中国人の男に荷物を届けていた。
今も、カバンにはこれから引き渡すはずの荷物が入っている。
「し、知りません。な、な、何のことですか?」
滑稽なほど、声が震える。
荷物の中身は見たことはないが、恐らく、麻薬に違いない。
「知らないならいいけどな。そうだ、市井は元気にしているか? また、顔を見に行くと伝えておけ。もう、帰っていいぞ?」
池田は、紫煙を燻らせながら、目を細めた。
「そのカバンは、置いていけ」
マサは、ガタガタと震えながら立ち上がると、転げるように事務所を出た。
下手を打った。
池田にバレてしまった。
市井の仕事だと誤解された。
スマホを取り出すと、組長に電話をかけた。
「組長。池田さんに荷物を取り上げられました。どうしますか? 頭に知らせて対策を考えないと……」
『そのままでいい』
「え?」
『動くな』
「このままじゃ、頭が誤解されてしまいます」
『お前は市井の命令で組を裏切り、御法度の薬に手を出した。しかも、池田さんのシマを荒らした。高田組としては、池田さんに誠意をみせないといけない。この意味、わかるだろう? しかも、うちだけじゃない。あいつらからも命を狙われる。だって、そうだろう? 金だけ受取ってモノは渡していないからな。大陸の奴は気性が荒いから、どんな報復か楽しみだ』
ガクガクと膝が笑う。
やっぱりと思う。
この男は、最初から、そのつもりだったのだ。
自分を利用したのだ。
市井を陥れるために。
マサは、力を振り絞って歩き出した。
今の時間は、市井は会社で会議をしているはずだ。
電話より、直接行った方が早い。
一刻も早く、市井のところに、戻らないと。
市井の命は、責任もって自分が守る。
急がないと。急がないと。
弾避けとしての役割は、まだ果たせるはずだ。
マサは、いつの間にか走り出していた。
ともだちにシェアしよう!