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第8話
市井が最初に向かったのは、ユースケと過ごした秘密基地だった。
かつては、誰かが住んでいたのだろう。
居住が出来る最低限の設備を備えたそれは、市井とユースケが山で迷子になったときに偶然見つけたものだった。
山道を外れ、腰丈程の草をかき分けて道なき道を進まなければたどり着かない場所。
それゆえ、誰も訪れることはなく、まさしく、2人だけの秘密の場所だった。
「懐かしいな」
市井は、立て付けの悪い引き戸を慎重にあけるとポツリと呟いた。
戸口から吹き込んだ風によって舞い上がったホコリによって、光の通路が浮き出た。
それがあまりにも綺麗で、そして神々しく思えて、市井は息をのんだ。
秘密基地は、そこだけ時間が止まったかのように、当時の姿のままだった。
丸太を切り出して作られた簡易なテーブルと椅子。
乱雑に積み重ねられた漫画雑誌。
お菓子の缶の中の文房具。
ボードゲームやなわとび、グローブまで残っている。
一瞬で、時が戻る。
市井が一番幸せだった時代。
暇さえあれば、ユースケと二人で過ごした。
市井は、目を細めて部屋の中を見渡した後、おもむろに部屋を横切り、隅に置かれた段ボールに向かった。
中を覗き込むが、目当てのものはない。
市井がここに来たのは、確かめるためだった。
小学生の頃、この秘密基地で遊んだ水色のゴムボール。
7年前、盃をかわしてきたと告げた瞬間、何度も何度も泣きながら投げつけられたゴムボール。
今、ポケットの中にある、このゴムボールとよく似ていたはず。
しかし、いくら探しても、そのボールは見つからない。
「やっぱり、ねぇーな。お前にあのボールを見せたかったのに。……ひょっとして、お前があのボールなのか?」
市井は、ポケットからボールを取り出して語り掛けた。
いつもなら市井の語り掛けに対して、触手を伸ばして反応するはずなのに、今日はどうしたことか全く反応しない。
きつく握ったり、話しかけても、まるで魔法が解けたかのようにウンともスンとも言わない。
「おい? 普通のボールに戻ったんじゃねぇーよな?」
何がどうなったのか?
市井がいくら眼光鋭く脅しても逆に甘い声を出しても、ボールは無反応のまま。
市井は舌打ちをすると、ボールをポケットにおさめ、次なる目的地に向かった。
□ ■ □
ユースケの居場所はすぐにわかった。
『佐藤生花店』。
駅のすぐ隣に位置したその店は今どきのものとは違い、店先には切り花がたくさん並べられ、どことなく懐かしい昭和の香りが漂う昔ながらの花屋だった。
ユースケの両親は、商店街で親の代、つまりユースケの祖父母から受け継いだ花屋を営んでいた。
再開発計画のため、商店街の立ち退きが求められ、代表を務めていたユースケの両親が矢面に立たされた。
ヤクザの執拗な嫌がらせを一身に受ける結果となり、心労から体を壊して廃業に追い込まれた。
結局はタダ同然で店を手放し、失意のまま両親は亡くなった。
店をもう一度開くことが、小学生の頃からのユースケの目標だった。
市井は、遠巻きにその店を一瞥すると、道路の反対側のビルにある喫茶店に入った。
窓際に席を確保し、ユースケの店を観察する。
駅前ということで、人通りは多い。
しかし、素通りするだけで店を訪れる客も、店の奥から店員が現れる気配はない。
日が暮れて、そろそろホテルに帰ろうと腰を浮かした頃、店から人が出て来て閉店準備を始めた。
顔は見えなかったが、一目で、ユースケだとわかった。
ユースケは、最後に会った18歳の時のまま、変化はない。
身長は、中学で急激に伸びた市井よりコブシひとつ分低いが、幼い頃から続けていた柔道のせいか、がっしりした身体つき。
黒髪の短髪もそのままで、花屋の店主というよりはバイクショップの店主の方がしっくりくる。
市井は、ユースケが店を閉めて去るのを喫茶店で見届けてから、ホテルに戻った。
次の日も、同じように一日喫茶店で過ごした。
その次の日も。
「あの店、大丈夫か? 全然、客がいないじゃないか?」
市井は、無意識に呟いていた。
ユースケの姿を一目見て、そのまま帰るつもりだった。
だが、ユースケの店の経営状態が気になる。
市井は、電話をかけた。
「ちょっと、調べて欲しい店がある」
貸し金業を営んでいた関係で、ユースケの店の情報はすぐに手に入れることができた。
隣町にできたショッピングモールの影響で、駅前の商店街自体の売り上げが落ち込んでいて、中でもユースケの店はほとんど売上が無い状態。
店がつぶれるのは時間の問題だった。
市井は、その日、喫茶店には向かわずに、ユースケの店に足を踏み入れた。
「いらっしゃいま……」
中から姿を現したユースケは、市井の姿に目を見開いた。
驚愕の表情は、見る見るうちに目じりが吊り上がり、ギラギラした怒りが滲み出たものに変化した。
「今更、何をしに来た?」
市井は、跳ね上がる心を押さえつけ、表情を変えることなく正面からその視線を受け止めた。
感情を隠すすべは、すっかり身についている。
「花屋を再建する」
ユースケは、意味が分らないというように戸惑いの表情をみせるが、市井は構わずに言葉を続ける。
「この店は、じきに潰れる。でも、そうはさせない。俺が再建してやる」
市井は、自身に満ち溢れた不遜な表情で唇の端をあげた。
それは、市井のいつもの表情だった。
一筋縄ではいかない荒くれ者の中で過ごすために必須のもの。
そこには、ユースケに一方的に守られるだけだった子供の頃の面影は少しも見当たらなかった。
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