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第11話
「あのさ、ずっと聞きたかったんだけど、このボールって……」
ユースケが握りしめたボールを凝視している。
力を入れ過ぎて、指先が白くなっている。
「ボールがどうしたって?」
内心はものすごく動揺していたが、市井の表情はピクリともしない。
もともと、市井は表情に出にくいたちだ。
「市井が秘密基地から持ってきたの? これって、あそこにあったボールだろ?」
市井が返事に窮して黙っていると、それをどう解釈したのかユースケは勝手に納得してしまった。
「市井がいなくなっても、あそこに行くのはやめられなかった。あそこにはお前の気配が残っていたし。ずっと通い続けた。でもさ、やっぱり一人は寂しくて、お前の代わりにこのボールに話しかけてた」
市井は、無言だった。
話の終着点がちっとも予想できない。
ユースケは、何を言うつもりなのだろう?
「そうやって過ごして、やっとあの約束の日になった。これからずっと一緒にいられるって嬉しかったのにお前は俺を裏切った。俺は、あの日から、あそこに行くのはやめた」
市井は、心臓に痛みを覚えた。
鋭いナイフで抉られるような痛み。
あの時、そこまでユースケを傷つけていたなんて思ってもみなかった。
自分のことしか、考えていなかった。
身勝手な自分が腹立たしい。
ユースケは、視線を動かさずにじっとボールを見つめながら言葉を続ける。
「だけど、ダメなんだ。お前の誕生日になるとさ、ひょっとしたらあそこに戻ってきてるんじゃないかって気になってさ。結局、我慢できずに見に行ってしまうんだ。お前は来るはずないのに。それで、ボールに言うんだ。お前は今年もやっぱりこなかったって」
ユースケのことを忘れたことなんてなかった。
いつだって考えていた。
だけど、ユースケに会う資格がないと思い込んでいた。
薄汚れたヤクザなんかでいる間は、会ったらいけないと思っていた。
一日でも早く、組を安定させ、あの兄を立派な組長にしようと頑張った。
7年もかかって、やっと引退できた。
「何回も失望するのに、諦められなくて。今年のお前の誕生日に、今回で最後にしようと決心して、ボールを焼いたんだ。二度と話しかけることが出来ないように。そうしたら、お前とボールが現れた」
市井は、記憶を探った。
そうだ、ボールが市井の前に姿を現したのは、誕生日の頃だった。
妙な符合にゾクリとする。
ユースケは顔をあげて、市井を正面から見つめた。
その目から、滝のように涙が溢れる。
「どうして、戻ってきたんだよ? 折角、忘れることが出来るって思ったのに……。店は軌道にのった。どうせ、また俺をおいてどこかにいくんだろ? 俺を一人にするんだろ?」
市井は、たまらずにユースケを抱きしめた。
何と表現したら良いかわからない感情が、すごい勢いで体を駆け巡る。
この感情の名前は、なんだろう?
切なくて、愛おしくて、泣きたくて。
「一人にしない。ずっと一緒にいる」
市井は、抱きしめる手に力を入れた。
今度は絶対に離さない。
「約束する?」
ユースケは顔をあげると、市井の唇に自分の唇を重ね合わせた。
それが、深いものに変わる。
柔らかくて、温かい。
ボールとは違う。
ユースケの匂い。
ユースケの味。
あいつとは全然違う。
――俺だって……。
突然、あいつの言葉が甦った。
あの言葉のあとには、何が続いたのだろうか?
あの時、あいつは何を言いかけたのだろう?
目の端で、あいつを探す。
どんな表情をしている?
今、どんな顔で自分たちを見ている?
「市井?」
ガバリと身を起こして、キョロキョロと部屋を見渡す市井の様子に、ユースケは戸惑いの声をあげた。
「ボールは?」
「え? ボールって??」
ボールは忽然と姿を消し、朝になっても姿を現さなかった。
□ ■ □
ボールは消えたが、ユースケと二人だけの生活は続いた。
佐藤生花店は順調に売り上げを伸ばしている。
二号店の出店を勧める声が、あちらこちらからあがり始めた。
そんなある日、店に客が訪れた。
イタリア製の高級スーツにスキンヘッド。
蛇のような目が、ギラギラと輝いている。
「市井、探したぜ? まさか、花屋とはな?」
男の手には、以前、取材に応じた雑誌が握られている。
「池田さん……」
平穏な日々は終わりを告げようとしていた。
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