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第5話
来なければ良かった気がする、と思わずにはいられない昼休み。授業から解放されたクラスメイトは思い思いの席や友達のところへと移動し、教室はうるさい程の人の声で溢れていた。
けれど僕には行く当てもない。
漫画の中みたいに屋上に行ってご飯を一人で食べるなんて事もできない。防犯上のせいで屋上には常に鍵が掛けてあり、屋上手前の踊り場は既に他のグループの定位置になっている。
だから僕の居場所は、登校してから下校するまで、この席しかない。出かけるとすればトイレか図書室ぐらいだ。
登校途中のコンビニで買った菓子パンを齧りながら、視線のやり場を求めて窓の外へと放り投げた。夏休みが終わったばかりで、残暑はまだ抜けないままだが、青く澄んだ空は高く、それは間違いなく秋の色を帯びている。あとひと月もすれば、ジャケットやコートを羽織っている事が信じられない。けれど、確実に季節は移ろっているのを感じた。
「水無瀬、ノート提出してないのお前だけだけど」
不意に話しかけられ、どきりとして振り返ると、クラスメイトが一人立っていた。不機嫌な表情に、ああ、とノートを出しかけると、
「後で自分で持って行けよ」
と言われた。
彼は僕の返事を待たずに、目の前から去っていくと、教壇に積み上げられたクラスメイト分のノートを抱えて、教室を出て行った。
お前は、自分で、持って、行け。
そういう事だ。
僕は机の引き出しに忍ばせた手からノートを離して、再び菓子パンを握り締めた。がさりと、ビニールが潰れる音が耳障りに響く。
僕は喉の痛みを堪える為に、ごくりと唾を大げさに飲み込んで、窓の外へと視線を投げた。
今、目の前に来たクラスメイトも、二か月前までは、一緒に昼飯を食べるような間柄だった。悪ふざけや冗談を言い合っては、肩を叩いたりしていた。
けれど二か月前、僕の秘密が露呈したことにより、全てが一瞬にして瓦解した。
――僕は同性しか好きになれない。
仲が良いと思っていたクラスメイトに打ち明けた秘密だったが、それはあっという間に広がり、僕に「異物」というレッテルを貼った。
今時カミングアウトなんて珍しくない、今時差別する方がおかしいと言うのはテレビの中であり、現実はこんなものである。実害が出る程のいじめではないだけ、有り難いのかもしれない。
打ち明けた友人は俺の言葉に、笑顔で「そうか」と頷いてくれたけれど、口元が痙攣したように引きつっていた。きっと、必死に隠した嫌悪の表れだったのだろう。
翌日には僕性癖はクラス中に、やがて横繋がり連鎖のように、学年へと広まっていった。噂を広げた当人は、あの日から僕を「最初から居ない者」として扱うように無視をし始めている。
僕は食べ終わった菓子パンのビニールを細く畳んで結ぶと、机の隅に放り置いて、紙パックのアイスティーを一気飲みした。
ゆうじさんに会いたい。
何も考えていない、白紙の頭にぼんやりと浮かんでくる。
正確には、会いたいではなく、会話がしたい、だ。
ゆうじさんは何処となく、年の離れた実の兄に似ているのだ。頼りになって、優しくて、僕の持つ真面目な兄とは少し違うけれど、印象は限りなく近い。
だからかもしれない。
ゆうじさんと話していると、とても落ち着く。悲しいや寂しいや、そういう僕の身体に重くのしかかる感情が、ふわりと軽くなる気がするのだ。目の前にあるものが、ただの文字の羅列でも、彼が紡ぎ出した言葉だと思うと、安心できた。
嬉しい言葉は、画面を指先で撫でてみたくなるほど愛おしく感じられる。
ゆうじさん。
僕はズボンのポケットからスマホを取り出し、画面のライトを点けると、彼にメッセージを送った。
『学校にいます。すごく褒めて下さい』
躊躇いなく、こんなどうしようもないお願いをできるのは彼だけだ。
いくら兄にでも、こんな事は送れない。
僕は机に突っ伏して、少しだけ浅い溜息を吐いた。
放課後、ノート出しに行かなきゃな。
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