30 / 95

第30話 最高の僕を

ギラギラと照り付ける太陽が肌に汗を滲ませる 夏が来た 今年も夏がやって来たのだ 榊原は日々鍛えていた ジムに週二回程通って、康太が惚れる体躯を維持していた 弛んだお腹など康太に見せられない! 冗談じゃない!!! 康太には何時もカッコイイ僕を見て貰いたいのだ 榊原はトレーナーに相談した 「水着になっても見とれる程の体躯を作りたいのです!!」 「…………十分……格好いいと……利用者の間ではファンクラブがあるほどですが……… もっと格好良くなりたいと言うのですか?」 なんという………贅沢な 飽くなき欲求なのだろう…… 榊原は心外だとばかりに 「他の誰かになどモテたいなど思った事はありません! 僕は妻にだけモテたいのです!」 この若さで………薬指には指輪がはめられていた 重ね付けで二本 かなり豪華な指輪がはめられていた 耳にはブリリアンカットのダイヤのピアス 彼は惜しげもなく「妻とお揃いのプレゼントなのです」と言葉にした この若さで飛鳥井建設の副社長となれば、女は目の色を変えて、お近付きになろうとするだろう だが誰も彼には近付く事は不可能だった 彼は……SPを連れてジムに通う 黒いスーツにサングラスと言う出で立ちのSPに、不用意に近付く事は適わなかった そして時々、執事と番犬を連れてやってくるのだ 彼に近寄ろうものなら…… 即座に排除され……… 二度とジムには通えないだろう…… と言う恐怖さえ抱かせるのだった 彼は妻のためだけに生きていた こんなに熱烈に愛されたら……幸せだろうな……と、トレーナーは想う 「……あ……あの……この後お茶でも……」 榊原に何とか近付こうとした女性が声をかける 榊原の隣に……と近寄ろうとする女性の前に…… 黒づくめのSPがその道を阻んだ 「近寄られては困ります」 「少しくらいお話を……」 「お引き取りを!」 一歩も引かぬSPに食い下がる 榊原は知らん顔して、トレーニングに勤しんでいた 「僕は誰の誘いにも乗る気はありません!」 榊原はそうキッパリ言い、想いは妻の為だけにトレーニングのメニューを熟していた 榊原がジムに来ると、女性が極端に増える 女性達はトレーニングを中断して、榊原に釘付けになっていた そしてどう言う訳か、榊原のファンクラブが出来ていた 本人は雑音に……… 「………明日から来ません」と言い帰って行こうとした トレーナーは慌てて 「………え?……どうしてですか?」と問い掛けた 「雑音が多すぎます こんな事ではロス時間ばかり増えてしまいます」 「………では客の入らない時間に……来られては如何ですか? 閉店してからとか、開店前とか……なら静かにトレーニング出来ます!」 「宜しいんですか?」 「構いません!」 「では、それでお願いします」 妻の為だけに……その真摯な想いに報いたいとトレーナーは想った その次の日から閉店後、通うことにした ジムに入れない女性はビルの下で榊原を待ち伏せしようと集まって来ていたが…… 榊原はビルの地下駐車場から直接帰ってしまうから、その姿さえ拝見する事は適わなかった ビルのセキュリティは厳しく、不法に侵入すれば即座に警備員がやって来て、悪質ならば警察に突き出されていた 地下駐車場へ忍び込もうにも…… ウロウロと歩いていた時点で、警備員に発見されるのが落ちだった それ程に榊原伊織は人気者だった 皆が目の色を変えて榊原伊織の隣に逝こうと躍起になった そんな騒音をシャットアウトして、榊原は日々鍛えていた ムキムキは康太が引くので、腹筋を割って、引き締まった肢体の維持 そして康太に何かあれば瞬時に動ける体躯を作る為だった 榊原のベクトルは総て康太に向いていた ある日、榊原は小さな男の子を連れてジムにやって来た それを知ったビルの責任者が、自ら挨拶に出向いて挨拶している姿を見れば…… ただ者ではないと感じていた 康太がジムにいると知ると、トナミ海運の社長自ら…… ジムにやって来たり…… 議員もやって来たり…… トレーナーは来訪者の凄さに……仕事よりも挨拶で疲れた ジムのロビーはさながら……社交界の場と化した 戸浪海里や堂嶋正義、三木繁雄らが康太と話をしていたからだ…… 「私もジムに通おうかな?」 戸浪は日頃の運動不足を想った 「……なら俺も……通おうかな?」 堂嶋も日頃の運動不足を想った 三木は康太を抱き締めて 「伊織はこうして日頃から努力していたんですね 彼が中年になっても、ダブついたお腹する日は来ないんでしょうね」 と感慨深く呟いた トレーナーは………見学者を意識して…… 緊張していた トレーニングが終わると榊原はいそいそと康太の所へと向かった トレーナーは榊原と共に康太の所へと向かった ご挨拶の為だった 康太の所へと向かうと………逸らされる事のない瞳と出くわした 怖い…… 想わず背けそうになるのだが…… その瞳からは逃れられそうもなかった 榊原は康太を抱き締めると 「僕の妻です」と紹介した そこでやっと思い出した 鋭い瞳の少年が自分の伴侶を公表した日のニュースを……… 確か名前は…… 「飛鳥井康太だ!」 ………そう。飛鳥井康太………飛鳥井家の真贋と呼ばれる少年だった トレーナーは康太に向き直ると自己紹介して深々と頭を下げた 「無理言ってすまねぇな」 「………え?……」 「伊織はオレしか見ねぇからな……… 雑音を極端に嫌うだろ?」 総て……お見通しなのだ 「構いません 彼が気持ち良くトレーニングを続けられる環境の方が大切ですから!」 「伊織の件で迷惑かけたかんな このフロアを買い取ってやった ほれ、これが権利証だ このフロア全部使ってジムにしろよ! リフォームは飛鳥井建設に御用命を。」 そう言い康太はトレーナーに権利証を渡した 「………どうして私に?」 自分は一介のトレーナーなのに…… 「伊織がこのジムに来たって事は、このジムは岐路に立たされていたって事だ 規模縮小か閉鎖……ジムの質は良いが、実入りのある利益は望めない オーナーであるお前は悩んでいた筈だ」 ………そこまで……視られていたのだ…… 「…………何故……」 オーナーはそんな気持ちで一杯だった 「運が良かったな 偶然にもこのビルのオーナーはオレだ 多少の融通なら効かしてやんよ! だからお前はジムを立て直せ! 自分の力でジムの存続をかけて闘え!」 「…………ありがとうございました……」 お礼しか……出て来なかった 「ありがとうは、この状況を打破してから改めて言ってくれ!」 康太はそう言い笑った そして「まぁ、オレがくれてやるのはチャンスだけだ そのチャンスを生かすも潰すも………総てはお前次第だからな……今礼を謂われても……な」 このチャンスを生かすも潰すも……… 総ては自分次第なのだ だから今は礼の言葉は聞かない そう言われたも同然だった トレーナーは姿勢を正すと深々と頭を下げた 「必ずや貴方に礼を言うので待っていて下さい」 「なら少しだけ手助けしてやんよ 明日からジムに一条隼人が通うだろう それで顧客も増える 顧客が増えたら、今度は客を選別しねぇとな 誰もが通えるジムを作るのが目的なんだろ? なら遊びに来ている奴はお引き取り願わねぇとな あぁ謂う輩が本当に通いたい奴の足を遠ざけてるんだぜ?」 全くその通りだった 康太は階下を眺めて 「アイドルでもねぇ奴のストーカーと化してる…… それをやられたら……ジムに来る奴は減るわな」 「………ジム側の姿勢が甘かったと反省します」 「まぁ、それが解れば進むべき道も解る 進むべき道が解れば……自ずと道は開けて逝くだろ?」 全くもって正論だった トレーナーは憑きものが落ちた様に晴れやかな顔をしていた 榊原は「ではまた今度!」と言い帰って行った それに伴い、議員も社長も共に帰って行った トレーナーは手の中の権利書を唖然として見ていた こんな……狐につままれた事があるなんて…… これはチャンスなのだ 一度きりのチャンスなのだ トレーナーは決意を新たに前を向いた リニューアルオープンした『ACスポーツ倶楽部』は遊びで来る暇潰しの人間を排除して 本格的な指導とトレーニングで顧客を増やして行った 男性顧客も増えて、榊原は営業時間内に通う事となった 榊原がトレーニングしていても誰も声すら掛けない 癒やしの音楽が事務所内に流れ、落ち着ける雰囲気と 本格的なトレーニングで口コミでみるみるうちに顧客を増やして行った 名実共に、トレーナーは自分の望んでいる場所を手に入れた 手に入れたとしても、それに傲る事なく鍛錬を続け 前を向く瞳を曇らせない それが自分の生きる道だと……… トレーナー 横粂 克昌は想うのだった 「伊織さん 腹筋鍛えましょう! でないと奥さんにプヨプヨのお腹を摘ままれてしまいますよ!」 榊原にやる気を与える 榊原は夏が過ぎたとしても鍛錬に余念がなかった

ともだちにシェアしよう!