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第2話
若葉の季節になった。
天気のいい日は暑いくらいで半袖の人も多い。
今日の豊島くんは細いストライプのシャツでインナーは濃い藍のTシャツ。それにチノパン。いつもの帆布のショルダーバッグといういで立ちだ。
学校も忙しいけれど、豊島くんはほぼ毎日のように『パティスリーゴッドフィールド』に通っている。すっかり常連だった。
そして、イートインコーナーでくつろぐ彼の元に、暇があれば神野は近寄ってきていた。はじめて訪れた日にプリンを食べて泣き出してしまった彼を、気にしてくれているのだろう。その気遣いがかえって恥ずかしいのだが、仕方がない。
もちろん神野はケーキ作りをおろそかにはしていない。けれど、客の反応がとても気になるのだという。狭い店なのに4席のイートインコーナーをわざわざ作ったのは、ケーキを食べる人の表情を直接見られるからだそうだ。
豊島くんも空いている時は神野にケーキの感想を伝えたりもするし、最近では大学での生活についてなどのおしゃべりも出来るほど親密になっていた。
お兄さんみたいに包容力があって安心感があるし、なによりケーキについて詳しいことを聞けてワクワクする。
さて、そんな日曜日。
今日も今日とて顔を出す。
すると『パティスリーゴッドフィールド』は結構な賑わいを見せていた。
これがてんてこ舞いという状態なのだろうか。
スタッフの女性が一人でさばくには難儀なほどの人だかりが出来ている。神野も応援に入ってケーキを詰めたりレジを叩いたりしていた。
豊島くんは、ショーケースの前で待っている人が真剣に悩んでいる様子なのが気にかかった。
その女性は子供連れだ。
2つあるチョコレートケーキで悩んでいるらしい。
交互に指をさし、子供にどちらがいいか聞いている。
「あの、右のほうのチョコレートケーキはお酒が入っていますから、お子さんのためにお買いになるなら左のほうがいいですよ」
「あら、そうなの。あなた詳しいのね」
出しゃばった真似をして怪訝に思われるかと気になったが、女性は上品そうな笑顔をむけて来た。
「俺、この店のケーキは全部食べてますから」
「すごいわねぇ」
彼女は感心して目を丸くする。
「メロンのショートケーキは高級感もあっておいしいし、コストパフォーマンスもいいですね。もちろんイチゴのショートケーキは絶品です」
「他になにがおすすめ?」
「どれも美味しいけど俺はプリンがおすすめです。大きめだからインパクトありますし、味も補償します」
「ありがとう。そうね、今日はチョコレートケーキとメロンのショートケーキにしようかしら。プリンはまた次の楽しみにしておくわ」
にっこりと笑って彼女はそれらを注文した。
スタッフの後ろから神野の感心するような、感謝するような視線が豊島くんに飛んできている。
豊島くんはイートインコーナーを利用するつもりだったので、客足が引けるまでのんびり待っていた。少しして客がさばけると、神野はカウンターの奥から出てきて彼に感謝の意を伝える。
「さっきはフォローありがとう。お客様も喜んで買って行ってくれたよ。詳しくて的確な表現でアドバイスしてくれて、君はすっかりうちのスタッフみたいだね」
柔らかな声が彼の耳をくすぐる。
優しくまろやかでいい声だなと思いながら神野の唇を見た。
神野は口の端をわずかに上にあげて控えめに笑い、ほんとうに嬉しそうに言葉を続ける。
「ありがとう、豊島くん。今日はスタッフの田沼さんが休みでね。それと近くの小学校で催し物があったせいか盛況で、人手が足らないよ。うれしい悲鳴だ」
日曜日は混むので二人体制だ。そのうちの一人がいないのは大きい。
ショーケースの中身も少なくなっている。神野までレジに出ているのだ、追加を作る余裕もないだろう。
今日は早じまいかもしれない。
「田沼さんどうかしたんですか」
日々通い詰めている彼はスタッフとも言葉を交わしたことがある。
「お子さんの具合が悪くなっちゃって。喘息持ちで身体が弱いらしい。頻繁に突然休みを取るのは申し訳ないから辞めたいと言われてたとこだよ。次の人を募集しなきゃ」
神野はふーっと深いため息をついていた。
もうひとりのスタッフの御影さんは主婦なので夜はバイトに入れない。
夕方からの接客と片付けは、当面神野がひとりでしているようだ。それに次の日の仕込みがあるのだから大変だろう。
「ごめんね、しばらくはイートインコーナーはやめておこうかと思うんだ」
「そうですか。残念ですね」
豊島くんは心の中がしぼんでしまった。でも頑張って顔には出さない。ガックリ来てるのは自分よりも神野のほうだと分かっているからだ。
「余裕が出来て、またイートインコーナーが復活するといいな」
言葉とともに笑顔を押し出す。
豊島くんは家に帰って一人でケーキを食べるのが好きではなかった。
いや、ケーキだけではない。一人の食事は味気なくて寂しい。
ここにくると美味しいケーキで幸せな気分になれるし、神野とおしゃべりするのが楽しいのだ。
いつの間にかここ『パティスリーゴッドフィールド』は豊島くんにとってそういう大切な場所になっていた。
「会社帰りに買いたい人が多いみたいなんでね。いずれは営業時間を伸ばしたいと考えてたんだけど、この調子じゃ難しいね」
夢だった店を持っていろいろな展望があるけれど、なかなかうまくは行かない、と、苦々しい顔を見せる。
思わず豊島くんは言っていた。
「俺、よかったら夜お手伝いしますよ」
「本当に。バイト出来るの」
「入学してようやく落ち着いたとこで、どっかでバイト始めようと思ってたんです。学校の講義詰めて取ってるから夕方からはだいたい身体空いてます」
そうだ、それが一番いい。豊島くんの眼が輝く。
「ここのメニューも特性も網羅してますから、任せてください」
こぶしを握って自信をみなぎらせる彼を、神野は頼もしそうに見つめた。
「助かるよ、ありがとう。ごめんね。恥ずかしいな、いい大人が愚痴みたいなこと言ってしまって……」
「いいんです。いつもおいしいケーキで元気もらってるんですから、恩返しです。働かせてください。それに神野さん大人だけど、愚痴や弱みをさらしたっていいじゃないですか。むしろ大人のほうがストレス溜まるもんでしょ」
「豊島くん……」
感動したように目を見開く。しみじみと彼の言葉を噛み締めているようだ。
「君はすごいね」
素直な賛辞が神野の口から飛び出していた。さらに続ける。
「私は君のそういうところ好きだよ。尊敬する」
「尊敬だなんて」
それに好きだなんて。
照れるじゃないか。
豊島くんは頭を掻いていた。
『好き』という言葉をそんなにするりと伝えられるなんて反則だ。
自分にはそんなスマートにはとても出来ない。
「俺も神野さんのそういうとこ、す、好き、ですよ」
努力して言葉を押し出していた。
出来た。
恥ずかしいけど言えてよかった。
頬を染める豊島くんを見て、神野は虚を突かれたようにまばたきを繰り返す。
「君はほんとに……」
「はい?」
「いや、なんでもないよ。ただありがとう。君がいると癒されるよ」
また褒められた。
彼の顔はさらに赤くなる。
「一発採用だよ。一応明日履歴書持ってきてね」
神野の言葉に、豊島くんは声も出せずにただただこくんとうなずいていた。
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