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第6話

 最初のうちはスイーツの話が主だったが、途中から神野が方向転換をした。 「豊島くん彼女とかいるの?」 「えっ」 「大学、家政関係だとまわりはみんな女の子でしょ。もてるんじゃないの?」 「そんなことは……」  むしろ女の子だらけで緊張してしまって話も出来ないと言った感じだった。年齢より子供っぽいところのある豊島くんは男として意識されてないきらいもある。  それを伝えると神野は不思議そうな顔をした。 「友達から始まる恋愛っていうのもあるよね」 「そうなんですか」  無邪気に聞き返す様子ではそういう雰囲気も皆無だと思われた。神野はほっと胸を撫でおろす。 「じゃあ彼女はいないんだね」 「神野さんこそ彼女いるんじゃないですか」 「いないよ。いたら貴重な休みの日に君とスイーツデートなんてしてられないだろ」  それはそうかもしれない。  こんなに優しくて大人でスイーツの妖精の手を持ってる人だ。自分が女の子だったらほおっておかないに違いない。 「そっか、神野さんフリーなんですね」 「君は私に興味あるのかい?」  向けられた切れ長の流し目に豊島くんはたじたじとなった。普段おだやかな分こういう一瞬は破壊力があるようだ。  竦んでいる彼にむけて神野は間合いを詰めてきた。指を豊島くんの顎に添えてまた少し近寄る。 「私は君が好きだよ」  どアップになって。  鼻と鼻がぶつかりそうになって。  そして。 「し、神野さん」  豊島くんの眼がきょときょとと左右に動く。  なんだいまの。  混乱したまま彼は神野と対峙していた。  唇に残るほのかな感触。 「なに、いま……」  クエスチョンマークを顔に貼り付けて、救いを求めるように彼は神野に聞いていた。  気まずそうな顔をした神野が言葉を濁す。 「その、なんていうか……気がはやってしまって。すまない」  なんで神野さんは謝ってるんだろう。  そんな謝るようなことしたのかな。  豊島くんは心底混乱している。 「………」  恐縮する神野の手を縋るように掴んで、彼は自分の身体を支えていた。  そうしなければ立っていられなくて、後ろにひっくり返ってしまいそうだったのだ。 「どうして、僕なんかに……」  キスするんだ、と心で叫んだ。声にならなかったのは動転しすぎていたからだ。 「俺、ひ弱だけど男なんですよ。そういうの違ってるって言うか。どう受け取っていいか分からないです」 「『違ってる』か……」  神野はその言葉をかみしめて苦悩する顔になる。  それを見て彼は、自分は地雷を踏んだのだとはっとなった。  どういうことなのか、鈍い豊島くんにもなんとなく感じ取れる。  もしかして神野は……。 「あの、すみません……」  恐縮する彼に向けて神野は悲しそうな表情を隠さなかった。 「はじめて会ったとき君の泣き顔を見てかわいいなって思って。それから、バイトも一生懸命やってくれてるし、なにより僕の作ったスイーツを大好きでいてくれて、もの凄く美味しそうに食べてくれて……。この間は新しいアイディアまで提供してくれたね。それがみんなとてもありがたくて、好ましくてね」  熱のこもった瞳が豊島くんの顔の輪郭を辿る。 「君はいつも明るくて。髪や肌もつやつやしてて好みだし、眼はいつも生き生きとしていて、特にケーキを頬張るときの明るい表情が大好きなんだ」 「大好き……」  繰り返した舌の根がかすかにしびれる。 「苦労してるのにひねたところもなく素直で、いつも前向きで、愛おしいよ」  せつせつと重なる台詞は豊島くんの胸の深いところに届いて行く。 「引かれちゃうと悲しいんだけど、私はそういう意味で君を好きになってしまったようなんだ」  男の神野が自分を好きだと言っている。  最近ではおかしくないという男同士の恋愛感情というやつなのか。彼はぼんやりとそう考えた。マンガとかドラマとかじゃなくて実際にそういうことなのか。  そう思い至ったら、今までの神野のからのスキンシップに隠された意味に、彼は火がつくほど頬が熱くなった。  あれはやはり過剰な触れ合いだったのだ。  自分はなんと鈍感で不遜だったのだろう。  神野の優しい手の感触をまざまざと思い出す。  慈しんでくれた瞳を。  励まし受け止めてくれた柔らかな声を。  彼の苦しいこころを救ってくれた度量の広さを。 「それは、あの、神野さんは男なのに男の俺を好きになったってことですよね」  豊島くんらしい直球の確認に、神野もまっすぐな視線を向けて返した。 「私はゲイなんだ。男を好きになる男なんだよ」 「神野さん」  衝撃的な告白に、正直者の彼は驚きを隠すことが出来ないでいる。  眼を見開いて絶句した。  その反応を見て神野は寂しそうに微笑む。 「受け入れがたいよね」  辛そうに絞り出す声。  伏せたまつ毛。  震える手。  それを見て豊島くんの胸がツキッと傷んだ。  神野にこんな顔をさせるなんて。  自分のせいで神野が気落ちしているなんて。  そんなのいやだ。  もしも彼が神野を拒絶したらいったいどうなってしまうのだろう。  いままでに紡いだかかわりが壊れてしまうのだろうか。  なら、神野の好意を受け入れたら?  それって具体的にはどういうことだろう。  彼はからからに乾いてしまった口から一生懸命言葉を紡ぎ出す。  なにより大事なのは、神野が自分に『好きだ』と言ってくれたことだった。 「あの……俺、いままで誰ともつきあったことなくて……、こんな風に好きって言ってもらったのはじめてで。その……、あ、ありがとうございます」  男なのに男に告白する。おそらく成就する可能性は低いだろう。それでも好きだと伝えてくれたその勇気に豊島くんは感動していた。  それに、神野のひととなりを知ってしまっている今となっては無下にも出来ない。  断ることで傷つけたくなかった。  世間知らずで恋愛下手な豊島くんのその優しさは、つけ込まれる要素だ。  神野の目元がすっと細くなる。  彼の反応を逃すまいと、息を潜めて見守っていた。  豊島くんはいままでの神野とのかかわりを反芻している。彼だって神野が好きだ。思えば、ふわふわな心で「好き」と告げたこともあった。  もちろん神野のそれとは意味も彩りも違うものなのだろうが、確かに彼も好意を持っている。  だから、今こたえられる最大限譲歩した返事を告げていた。 「俺は男だけど、可能性はゼロじゃないですよ。俺も、神野さんが好きですから」 「豊島くんっ」  彼の言葉に勢いよく神野が迫ってきた。リードを外された犬みたいな速さだ。  手で肩を鷲掴み抑え込んで来る。 「私は君が好きだ。本気なんだよ」 「し、神野さん」  飛びついて来た神野は強い力で彼を抱き竦めていた。  いつもの穏やかさを裏切る熱情だ。  後ろに作業台があって豊島くんは身動きが取れなくなる。  再び神野の真剣な顔が近づいて来た。 「ぁ……ちょ、キス、だめ……、だめ………あっ」  慣れない行為に思わず抵抗してしまう。けれど、彼の戸惑いを受けても神野は引かなかった。 「さっき言ったよね。ゼロじゃないって。私を好きだって、」 「言いました。言いましたけど……、ちょっと待って……」  まだ、そんな。  自分でもまだよく分からないのに。  返事には時間を与えて欲しいのに。  こんなに性急に求められても困る。  こんな熱くて甘いキス、困る。 「あぁ…」  はじめてのキスが、そして二度目のキスも男の人とだなんて、ホント複雑だった。でも、戸惑いはしてもちっとも嫌な気はしない。  神野の持つ独特で神々しい雰囲気と清潔感とが恐れをいだかせない。  なにより神野の行為は情熱的なのにスマートで、深い愛情と慈しみに満ちていた。  甘さと優しさとが混じったキスをたっぷりと送られる。 「………俺、溶けちゃいます」  頬を染めて抵抗するのだが、神野のほうから見たらむしろ煽っているようにしか見えないだろう。  神野は、リラックスさせようと彼の頭を軽く撫でた。 「大丈夫。怖くないよ」  密やかな声はいつもとは違う人みたいにくぐもっている。神野も緊張しているのだ。  もっとも、そんなことに気づくほどの余裕など豊島くんにはまったくなかった。 「チョコレートみたいに溶けて見せてごらん」 「チョコレートみたいに……?」  口の中の熱でトリュフチョコが蕩ける感触を思い出す。  舌に絡みつく濃厚なうまみ。  ほろ苦い大人の味。  神野の舌が豊島くんの唇の中にぬるりと侵入して来た。  驚いてもっと口を開いてしまう。  色ごとにうとい彼は迂闊で純情だった。 「………うっ、う…ん」  もっと中まで舌が入ってくる。器用に歯牙を辿られて、口蓋を舌先でくすぐられ、彼は自分から神野にしがみついていた。  抱きついた背中の逞しさを味わいながら暖かい胸にすっぽりと包み込まれる。  ほとばしる愛情を伝えられる。  そのうえ、恋愛初心者の豊島くんには太刀打ちできない技巧的で老練なくちづけ。  訳が分からなくなっていた。  膝から力が抜ける。  彼がくずおれそうになっているのを見て取って、ようやく唇が離れた。 「ごめん、大丈夫?」 「神野さ…ん……」 「いやじゃなかった?」  ひそやかな声が耳朶を打ち、そのまま唇が大胆に耳たぶを食む。  豊島くんの身体がふるえた。 「そこ……ん、んっ」 「………」  かすれた吐息が彼の名前を間近に呼んでいる。 「あ…ん、……それ、くすぐっ…たい……です」  なにかとんでもない異常事態だと思ってはいるのだが、非力な彼は神野の腕から逃げ出せなかった。 「豊島くん」 「…っ」  熱い吐息。  彼は戸惑いや怯えは示すものの拒絶が出来ないでいる。それを確信した神野は口元に薄い笑みを浮かべた。 「くすぐったいっていうのは、感じてるってことだよ」 「そんな」  なぜだか恥ずかしい。  肩をすくめるいたいけな彼をますます強く抱き締め、先の行為を促す。 「二階に行こう。もっと気持ち良くしてあげるから」 パティスリーゴッドフィールドの二階は神野の住居になっているのだ。  促されて、彼は神野の腕にすがる。  逃げられない。いや、この暖かい腕から逃げる必要があるのだろうか。 「君は無意識だっただろうが私は散々焦らされたからね。放さないよ」 「焦らしてなんか」  まったくそんなつもりはなかった。でも自分は鈍感なようだから、知らないところで思わせぶりなとこがあったのかもしれない。 「怯えないでおくれ。優しくするから。それとも私が怖いかい」  遠慮がちな問いかけ。 「怖くありません」  豊島くんは即答していた。その勢いに驚く神野に、真っすぐな視線を向ける。 「神野さんは怖くないです。いつも優しくて、大人で……、お、俺、神野さんを尊敬してます」 「できれば『尊敬』じゃなくて『好き』だって言ってもらいたいんだけど……」  神野はこだわっているようだった。拗ねたようなくちぶりがらしくない。 「す、す……好き、です」  深い意味を持った大胆な告白に自分で驚く。  それははじめて芽生えた感情だった。  神野も豊島くんも男だけど、そんなのもうどうでもいい。  触れて来るぬくもりが真実だ。 「君を食べていい?」  再び耳を唇に食まれて囁かれる。豊島くんは沸騰したような赤い顔になって神野の腕の中にくたりと倒れ込んでいた。

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