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第10話

 結局、神野に家まで送ってもらうことになった。  ひとけがない静かな住宅街を、肩を寄せ合って歩く。  道すがら、彼は『なんだか恋人同士みたいですね』と口走ってしまった。 それを神野にやんわりと窘められる。 「『みたい』じゃないよ。もう恋人になったんだよ。ちゃんと自覚してね」  好きだと言われて好きだと伝えて、キスもしたし、あんなこともこんなこともしてしまった。彼らはもう立派な恋人同士だ。 「君は私のマシェリだからね」  言われて豊島くんはくすぐったくなった。英語よりフランス語のほうが断然色っぽい気がする。 「ああ、でも君は男だからモンシェリかな。ともかく私は君を愛してるってことさ」  愛。  はっきりと言われてさらにドキドキする。感情がついて行かない。  玄関でおやすみを告げられドアを閉めたところで、彼の緊張の糸はぷつりと途切れた。  その後の記憶がほとんどない。ぼんやりとしたまま風呂に入りぼんやりとしたまま寝入ってしまったようだ。ものすごく気疲れもしていたが、身体もおかしな感じだった。それでもその夜の眠りは深く幸せで満ち足りたものでもあった。  身体に残る神野の指の感触。唇の、舌の、なめらかな愛撫。それから……。  それらを朝になって変なタイミングで思い出して、彼は思わず持っていたコーヒーカップを取り落としてしまった。  なんだか身体も心もふわふわしている。  大丈夫かな、俺。  乾かさないで寝てしまったので、髪があちこち跳ねていた。学校の課題もまともに手をつけてない。  今日の授業は3限目からだからまだ余裕がある。良かった、とため息をつきながら、キッチンの床にこぼれたコーヒーを拭いた。  カレンダーが眼に入る。火曜日だ。今日は『パティスリーゴッドフィールド』は定休日だった。残念ながら、今週はスイーツデートの予定は入っていない。  神野さんと会えない。  じわりと言い様のない寂しさが湧き上がり、そんな自分に彼は慌てた。  もう恋人気取りだなんて図々しいにもほどがある。  それにしても、本当に自分なんかでいいのかな。  少しだが不安の影がさした。  一回りも違う大人に好いてもらえるほどの魅力なんて、自分のどこにあるのだろう。  いろいろ言ってもらったけど。好きだって言ってもらったけど。自信がなかった。  あんなに大切に扱ってくれて、気持ちよくしてくれて、なのに自分からはなにもしてあげることが出来なかった。  マグロだ。まさに自分はマグロのように寝ころんでいただけだ。  ああ。  申し訳ない。  豊島くんはしゃがみこんだままその場でじたばたと見悶える。  彼に気を使ってばかりで、きっと神野本人はあの時そんなに満足していないだろう。  次の時は俺頑張ろう。そう心に誓い、頑張るってどう頑張るんだと、またのたうち回った。  しばらく煩悶してから、豊島くんは部屋に戻り仏壇の前に座る。 「母さん」  心が落ち着かない時、楽しい時、悲しい時、いつだって母は頼りになる存在だ。けれど今日は歯切れが悪い。 「ごめんなさい。俺……、その、昨日……大人になりました」  うっかり口走って、途端に彼はその場に頭から沈んだ。  ばかばかばか。  俺、なに報告してんだよ。  自分で自分の頭を殴る。  しかも大人になったってなんだ、恥ずかしい。  彼は座布団に顔をうずめて悶絶している。  でも、でも。  すごく大人で優しい人に好きだって言ってもらえました。  とても大切にしてもらえました。  すごく幸せでした。  母さんが死んでからずっと寂しかったけど、俺は今その人の作るプリンで癒されています。  だから俺はなんとか大丈夫そうです。  学校もバイトも頑張ってます。  心配しないでください。 「母さん」  座布団に顔をうずめ、彼はそのままちょっとだけ泣いた。

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