月曜日の営業が終わってほっと一息ついた時だった。 　清掃が終わり、スタッフエプロンを外している彼に、神野が近づいて来た。 「豊島くん、この後ちょっといいかな」 「はいっ」 「今夜少し時間取れる？」 「大丈夫です」 　キラキラと目を輝かせての気合の入った返事は、あくまでパティシエであり雇用主である神野に向けたものだった。 　そうではないと言いたげに、神野は眉をひそめつつさらに優しい声を出す。 　豊島くんが鈍感なのはいまに始まったことではない。 「意味分かってる？」 「え」 「私は恋人として君を誘ってるんだよ」 「恋人……」 　身体の内側がカッと熱くなった。 「は、はい。あの、大丈夫です」 　途端に緊張を露わにした彼の肩を、リラックスさせるように神野はそっと撫でる。 「緊張しないで。まさか私とするのがいやな訳ではないんだよね」 　神妙な顔で確認された。 　豊島くんは慌てる。 「……いやじゃないです」 　蚊の鳴くような声だが一生懸命さは伝わったようだ。神野がくすりと笑う。 「上に行こうか」 　そして肩を抱きよせ歩を進めた。 「あ…」 　身体も心も震える。 　震えるけれど豊島くんに否はない。 　階段を上る間、自分の鼓動が耳の奥に大きく響くようだった。 　どうしよう。先週と同じことが彼を待っているのだ。 　神野の部屋に入るのは二度目だった。 　ソファーを示して彼を座らせると、神野はかがみ込み彼の耳元で囁く。 「先に食事しようか。それともシャワーあびる？」 　悩殺的な声に返事が出来ない。 「いきなり始めちゃうっていうのも有りだけど、どうする？」 　耳たぶに触れる官能的な吐息に身体が痺れた。 　それでも、いきなりというのはちょっと困るという分別はまだあった。 「食事からお願いします」 「そう。私にとっての食事は君を食べることなんだけど……」 　しれっと言って意地悪な顔を見せる。 「普通の食事からお願いします！」 　からかわれているのは分かっているが居たたまれなかった。 　大きな声を出した彼を意外に茶目っ気のある暖かい眼が見守っている。 「食事、簡単にパスタとサラダでいいかな」 「はい」 「なんだったら泊まって行ってもいいよ。でも着替えがないね。そうだ今度着替えとかのお泊り用のものを持って来ておくといいね」 　どんどん話が進んで行く。 　豊島くんは流されている自分を感じていた。けれどその流れは水のように優しくて澄んでいる。そしてゆったりと安心する流れだ。 　いつまでもこの流れに身を任せていた。 　優しく包んでいて欲しい。 　神野の甘い香りが好きだ。 　腕の中にいると自分がスイーツになったような気がする。 　神野の魔法の手で愛されたい。 　心ここにあらずながらもなごやかに食事は進み、二人並んで食器を片付ける。 　神野が言った。 「君はもう十八歳になってるよね。その点私は大変よかったと思ってるんだ」 「どうしてですか」 「だって、十八歳未満とエロいことしたら淫行で犯罪者だよ。さすがにちょっとね」 　控えめだがけっこうな単語を口に出されて、豊島くんは神野との年の差を実感する。 「まあ、一回り違うだけでも犯罪っぽいけどね。私が君をかどわかしたみたいで」 「同意の上ですからっ」 　遮って、強く続ける。 「最初は驚いたけど同意の上ですから。俺は神野さんが好きですから。神野さんは犯罪者じゃありません」 　敢然と敵に立ち向かうような勇ましさで神野の行いをかばい立てる。 「豊島くん」 　大きく目を見開いて、それから神野は心底うれしそうな顔を見せた。 「本当に君はかわいくて優しいね。それに勇敢だ」 　そっと手を取り、騎士が姫に忠誠を誓う時のような厳かさで、豊島くんの手の甲に甘いくちづけをする。 「神野さん」 　ずっと年上の神野が眼前で跪いていることが信じられない。声がうわずってしまった。 「好きだよ。どんどん好きになっていくよ。こんな気持ちどうしてくれるんだい」 「どうって」 　それは自分だって同じだった。 　どんどん好きになっていってる。 　こうして触れ合ってるだけでも息が止まりそうだ。 「君が欲しいよ」 　息を吐くように儚く囁き、彼を熱烈に抱きしめる。 　豊島くんは目を閉じて神野の甘い唇を受け止めた。