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第16話
まさに蜜月である。
一緒にいるだけで幸せで、話をすれば関係性が深まり、身体を繋げば相手の中に溶けていきそうだ。
こんなに深く何度もSEXしたら、いつか自分は神野の一部になってしまうのではないだろうかと、豊島くんは怯えている。
神野もうかれているらしく上機嫌で、たまに厨房で鼻歌なんか歌っている。
彼らは週に一度のペースで濃密な夜を過ごし、互いの気持ちを確認し合っていた。
たまには豊島くんの家に神野が立ち寄ることもある。
スイーツデートは月二回。
そんな風に甘い日々を過ごしているうちに季節は本格的な夏を迎えていた。
ある日の午後。『パティスリーゴッドフィールド』にやってきたのは三人の学生だった。
「わ、みんな来てくれたの?」
豊島くんの声が弾む。
同じ大学の友達だ。
ボブカットでワンピースを着た女子と、フェミニンな薄いピンクのファッションの娘。そしてもう一人はTシャツ姿の男子学生だった。男子学生はスポーツでもしているのか、わりに筋肉質だ。
「美味しそうなケーキ~」
「私これがいい」
「私はこっち」
「あー。やっぱりショートケーキが王道かな」
女子学生たちはきゃっきゃと騒ぎながらショーケースをのぞいている。
「俺はモンブランとアイスコーヒー」
男子学生はすばやく注文を決めると、女子の盛り上がりは置いておいてさっさと椅子に腰かけた。
「田崎も来てくれるなんて思わなかったよ」
にこやかに笑いかける豊島くんに対して、田崎は仏頂面を向ける。
「俺一人じゃ来づらかったから女子に混ぜてもらった」
そう言ってから厨房に視線を飛ばした。なにかを探すように奥を見ている。
「私、苺のショートケーキにする」
「私はこのチョコレートケーキ」
口々に指し示された色とりどりのスイーツは、やがて豊島くんの手でイートインコーナーへと運ばれた。
「アイスコーヒーお持ちしました」
彼がグラスを置く様子を見て茶化す声があがる。
「板についてるわね」
「豊島くんいつもよりしっかりしてる」
「馬子にも衣裳だな」
さして褒められていないが、豊島くんはとてもうれしかった。
ここでバイトしていることは伝えていたが、みんなが来てくれるなんて思っていなかったからだ。
「ありがとう。来てくれて。今後とも『パティスリーゴッドフィールド』をよろしく」
すかさず宣伝をしてひまわりの花のように明るく笑う。
彼の笑顔もこの店の魅力のひとつだった。
「おいし~い。クリームがさわやかぁ」
「チョコムース最高」
「ここで食べるのと別に家族に買って帰っちゃおうかな」
「あ、あたしも」
ちょうど厨房から出てきた神野は明るい雰囲気にひかれてイートインコーナーまで足を運んだ。
「いらっしゃいませ。にぎやかですね。豊島くん、お友達ですか」
神野はお客様向けのよそ行きの言葉遣いで話しかける。
「はい。みんな大学の友達で、俺がここでバイトしてるって言ったから来てくれたんです」
「そうですか」
にこやかな微笑みを見せてうやうやしく頭を下げた。
「お気に召していただけましたか」
「はい、すっごくおいしいです」
「チョコレートムースこくがあってたまりません」
べた褒めの賛辞に神野の顔に笑みが浮かぶ。
「しょうがを使ったゼリーもあるんですよ。それは豊島くんのアイディアなんです。よかったら今度食べてみてくださいね」
「えーどれどれ?」
ふたりは立って行ってショーケースを再び覗き込んだ。またひとしきり華やかな声が上がる。
「それでは私はこれで失礼します」
頭を下げ、神野はまた厨房に戻っていこうとした。
その時、盛り上がる女子を遠目にして田崎が立ち上がった。去りかけた神野の後を追って低く声をかける。
「あなたが『神野』ですか」
神野は振り返った。
「はい。この店のパティシエをしております、神野です」
なぜだか強くて挑戦的な口調の男子学生に対しても、神野は礼儀を欠かない。呼び捨てにされても気にした風もなく慇懃なほどの丁寧さで頭を下げる。大人な対応だった。
「豊島はいつもあなたの話ばかりですよ。学校の勉強よりバイトにかまけていて、この前のテストの点も悪かったらしい」
「田崎、余計な事言うなよ」
豊島くんが慌てて追ってくる。
「お前バイトの拘束時間減らしたほうがいいんじゃないか」
「田崎ってば」
豊島くんは神野とのあいだに割って入った。
「確かにテストはあんまりよくなかったけど、それは俺の問題だよ」
「テスト悪かったの?」
「神野さんに助けてもらったフランス語は優良でしたよ。あと実習も楽しくやれてます。テストはちょっと失敗したけど……」
歯切れの悪い返事に神野は思うところがあったようだ。
「バイトのシフト、後で相談しよう」
「神野さん大丈夫ですって」
不満顔の豊島くんを残して、神野は軽く手を振って厨房に消えて行こうとする。
「豊島、バイト辞めたらどうだ」
聞こえよがしに田崎が言った。
神野はちらりと田崎の顔を一瞥する。しかしあえて何も言わない。
けれども少しだけ時がとまり、神野と田崎の間に火花のようなものが散るのを、豊島くんは目撃していた。
なんだ今の。
険悪なムードは苦手だ。
険悪にさせた田崎もちょっといやだ。
「田崎のばか」
豊島くんは振り返って田崎を睨む。しかし効き目はあまりなかったようだ。
「お前に睨まれたってちっとも怖くないぜ。そんな顔するならもうノートまわしてやらないぞ」
「うわ、それはなし」
「今日もプリントとノート持って来たんだ、ありがたく思えよ」
そして豊島くんに近寄ると両肩に手を置いた。
顔が近寄る。
声のトーンを格段に落とし、豊島くんにだけ聞こえるように小さく小さく囁いて来た。
「あの神野ってやつ、ホントのとこお前とどういう関係なんだ」
「え」
「普通のつきあいじゃないんじゃないか」
突然の問いに動転してしまって豊島くんは返事が出来ない。
いったいなぜそんなことを聞いて来るのだ。
鋭い眼が彼を見ている。
豊島くんはごくりと唾を飲み込んだ。
もの凄いスピードで頭を回転させ一般的な返事を模索する。
彼だって分かっている。
男同士で恋人同士なのだ。認められている世の中とはっても、それをよく思わない人はいる。あまり自分から他人に言うことでもない。
それは神野も気をつけているところだったし、窘められてもいる。
神野がいやがることなどしたくないし、ふたりきりの甘い世界を他者に妨害されるのは彼だっていやだ。
あえて冷静な声を出す。
「関係って、パティシエとバイトだよ。それだけだ」
不機嫌そうに吐き捨て顔を背けると、それで話を打ち切ろうとした。
ふだん豊島くんが見せない冷淡な態度に、田崎は驚いたようだ。
一瞬顔を曇らせてから肩に置いた手に強い力を加える。
きつい視線を豊島くんに向けていた。
「本当にそれだけか」
「そうだよ」
「ならなんでそんな風に目を逸らすんだ」
「うるさいな。田崎に関係ないじゃないか。痛いよ。放せよ」
「どうしたのふたりとも?」
ボブカットの女子に心配そうに声をかけられ、二人の話は中途半端なところで打ち切られた。
田崎はさっと肩から手を放す。
「なんでもないよ」
豊島くんも気まずさに唇を噛んでいる。
「俺、忙しいから中に戻るよ」
田崎に怒った背を向けて豊島くんは仕事に戻っていった。
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