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第18話

 ケンかをして、神野の元を飛び出して来てしまった。  バッグも店に置いたままだ。これでは明日の授業に困る。でも、今はまだ戻りたくなかった。  神野がいつもとは別人のようだったからだ。  しかし、そうさせたのは自分と田崎のせいなのだ。  ため息がもれる。  バッグは明日の朝取りに行けばいいだろうと考え、歩を進める。  豊島くんの家は『パティスリーゴッドフィールド』から歩いて十分ほどだ。  途中、それなりの広さで遊具を備えた公園があった。そこに通りかかる。  エッチをした後の帰り道なら神野が彼の隣にいるのが当たり前だった。  必ず送ってくれるのだ。  神野は庇護欲があって優しい。  大事にしてくれていた。  自分は果報者だ。  帰りがけ、公園の植え込みの陰で密かなキスをしてくれることもあった。  その神野が今日はいない。  寂しかった。  なんだか行き場がなく、足が止まる。  自然と難しい顔になって彼は考え込んでいた。  神野の言う通り、自分は鈍感で無防備なのだろうか。  田崎はほんとうにそういう意味で彼を好きなのだろうか。  神野の中にあんな激情があったなんて知らなかった。  自分はどうしたらいいのだろう。  頭を冷やそうと公園に入る。泣いた顔を洗おうと公衆トイレに立ち寄った。 「やだな。一本電気きれてるじゃないか」  ただでさえ薄暗いのに怖いなと思った。とりあえず洗面台に向かいかがみ込む。  その時だ。背後に人の気配がした。  そして頭の後ろにガツンと衝撃を感じて彼は倒れ込む。 「なに……」 『なにするんだ』と言いたかったが声が途切れてしまう。  背後の敵を確認したくて身体をよじろうとしたが、相手は豊島くんの背中に馬乗りになり、紐のようなもので両手を戒めて来た。  凄い力だ。  背中に腕が回った状態ではたいした抵抗も出来ない。  男は何も言わない。それがさらに不気味だった。  そうこうするうちに目隠しまでされてしまう。  さすがにビビって肩をすくめた彼を男は引きずり、すぐ近くの身障者用のトイレに引っ立てる。開く扉ではなくスライド式の音でそれが分かった。 「やめてください。放して…ぐうっ」  また殴られた。今度は左の頬骨だ。頭がガンガンし気力が萎えていく。 「お金なら、あげます……から……」  しかし男はその言葉をまったく無視する。  黙ったままで彼を壁際に押し込み突き倒した。  Tシャツを破るように引き剝かれ、意図を察する。  これは物盗りではない。  抵抗できない彼の上に男は荒い呼吸で伸し掛かってくる。  手が豊島くんのベルトを外す。 「よせ、やめろっ」  カチャカチャと音をさせて開かれチノパンを引きずり降ろされる。そして下着にも手がかかった。 「そんなこと…、ばか。やめろってば」  むき出しになった腰のあたりが冷え冷えとする。  男の手が彼の身体を裏返し、無理やり下着を引き下ろした。  まろび出た尻を鷲掴み、股の間を後ろから手が探る。彼のペニスは男の手の中にあった。 「やだっ」  神野の慈しみ深い愛撫とはかけ離れた乱暴なその扱いに、豊島くんは竦みあがる。  これからなにをされるのか見当がついて、怖さと屈辱に竦みながらなんとか声を出す。 「ばか、ばか、ばか。なに考えてるんだ、俺は男だぞ」  相手は何も言わない。  ただ無理やりに後ろから尻を割り、無造作に指を突っ込んで来た。 「痛いっ」  思わずあがった悲鳴に同情することもなく、何者かは彼の腰を手で固定し、乱暴に引き裂いて来た。  いつも神野と愛し合う時の穏やかで満ち足りたものとはまったく違う。  望まないSEX。それは狂気の味でしかない。 「! ぐぅ…、く……痛い。………いた…い、やだ……」  挿入されて、おぞましさに涙があふれた。  相手は声を押さえながら幾度も彼を突きあげて来る、 「助け…て……」  声が掠れた。  犯されるだけではなく、殺されるかもしれないと、そう思い至り、大切な名前が口を突く。 「神野さんっ」  助けて神野さん。  そんな彼の涙の後ろで短い舌打ちがした。  声が出せないようにがっと口元を抑え込まれる。  もう一方の手が股間を撫でさすった。  強姦されているのだ。快楽などかけらもない。豊島くんの性器は委縮しきっている。  指で擦られても大きくはならず、男の存在すべてを拒否していた。  やがて男は彼の中に精液をはなち結合を解いた。  気が緩んだのか口を押えていた手が離れる。  豊島くんは再び叫んだ。 「た、助けて、神野さん。神野さーん!」  神野の優しい笑みが脳裏に浮かぶ。  誰よりも愛しい人。  誰よりも愛してくれる人。  豊島くんはじたばたと足をばたつかせて抵抗する  その時、外から声がかかった。 「おい」  そしてバンバンと扉を叩く音がする。 「おい、なにやってんだ」  年を取った男性の声だった。このトイレでの異様な気配に気づいて声をかけてくれたらしい。 「あ、助けてください。助けてーっ」  豊島くんが必死に上げた悲鳴を誰かが聞きつけて来てくれたのだ。  彼を羽交い締めていた男が身体を放し、逃げ出そうとする。  身支度もそこそこに、あわててトイレの扉を開いた。  転げ出た男に突き飛ばされて、男性は、大きな悲鳴をあげて床に倒れ込む。 「いてぇ、なにしやがんだぁ!」  男は振り返りもせず走り去っていった。  砂利を踏む音が遠く消えて、やがて沈黙が落ちる。 「あんちゃん、ひでぇめにあったなぁ」  おずおずとした手が目隠しを外してくれた。そして両手を縛っていたものも取ってくれる。  目の前にいたのは、やはりいつもこの公園のベンチにいるホームレスらしい男性だった。 「あ、ありがとうございます」  震える身体で彼はなんとか礼を言った。ショックが大きくてまだ立つことも出来ない。  それでも必死にTシャツをひっぱり下腹部を隠した。  男性は彼がなにをされたのかを悟り、気まずそうに顔をしかめる。 「男が男を犯すとは、とんでもない世の中になったもんだな」 「うっ」 「あ、いやあ、すまねぇ。なんだ、その……、こういうことは忘れちまうのが一番だ」  ホームレスのおじいさんはそれなりの励ましを口にすると、豊島くんの肩を叩いた。 「大丈夫かい。立てるかい」 「はい、なんとか」  抵抗しきれなかった自分の非力さが口惜しい。  蹂躙された尻は嫌悪と屈辱しか感じない。  恐怖と不安と恥辱で滅茶苦茶な気分だ。  身支度を整えたが、切られてしまったTシャツはどうにもならなかった。 「気をつけて帰んなよ。それか警察に行った方がいいかもしれねぇな」  背後からいたわられて彼は軽く頭を下げる。  今はただ神野に会いたかった。  会って抱きしめてもらいたい。  彼はふらふらになりながら公園を出て行く。  母が亡くなってから1年と数か月。いいことも悪いことも、なにかあった時はいつも仏前に手を合わせて来た。  でも最近は母を頼りにすることも減って来ていた。  母ではなく神野に報告したり相談したりするのが当たり前になっていたからだ。  今も、豊島くんの心も身体も神野の元へと向かっている。  一刻でも早く神野にあって安心したい。  優しく抱き締めて欲しい。  身体から、気持ちの悪い感触を拭い去って欲しい。 「豊島くん!」  道の向こう、走りながら名前を読んで近寄って来る人影に、まさかと思った。  神野だ。 「どうしてこんなところにいるの。連絡してもラインもメールも電話もみんな反応ないし、心配してたんだよ。君の家まで行ったけど帰ってないみたいだったし」  見れば豊島くんのバッグを手に持っている。届けてくれようとしていたのだろう。  そして、飛び出して行った彼が自分の家にも帰っていなかったので、心配してあたりを探していたところだったのだ。 「どうしたんだい、その恰好」  近寄って、豊島くんの様子に唖然とする。神野は息を吸い込んだ。 「豊島くん、これは……」  殴られた顔が腫れて来ている。紺のTシャツは前が破られているし、泥で汚れてひどい有様だ。  神野の顔色が真っ青になる。 「なにがあったんだい、こんな酷い……」  声は途切れ、ただ彼の肩をしっかりと抱きしめて来た。  神野の腕はいつも優しい。  暖かい。  豊島くんは馴れ親しんだぬくもりの中で声もなく固まっている。  彼が乱暴されたことが察っせられ、神野のほうが心配と怒りに唇を噛んだ。 「ともかく家においで。怪我の手当をしよう」  怯えて震えている彼を抱きかかえる。安心させるようにこめかみにキスをした。そのキスで神野を確認したかのように豊島くんの瞳に涙がどっと沸く。  そして、やっとまともに声を出すことが出来たのだ。 「神野さん、しん…の……さ………」 「豊島くん」  泣きじゃくりしがみつく彼をあやしながら、神野は『パティスリーゴッドフィールド』へと足を向けていた。

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