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第22話
平日の夕方。豊島くんと神野は時間をあわせてホームレスの男性の元を訪れた。
公園は今日も牧歌的なムードが漂っている。
ふたりはケーキの箱を持っていた。
木々に紛れるように設置されたベンチに、いつものようにおじいさんが座って舟をこいでいる。
「おじいさん、起きてください」
うたたねを中断されたが気にもせず、豊島くんの顔を見てちょっとだけ眉をあげた。
「ああ、あんちゃんかい。今日はどうした」
「起こしてすいません。先日頼んだ目撃者としての証言、いらなくなりました」
「解決したのかい」
「うーん。なんて言うか……」
解決というのだろうか。
豊島くんは考え込む。
もっとうまい方法はなかったのだろうか。
事態は豊島くんの思ったのとは違う方向に動いて行ったのだ。
不器用なりに彼は頑張ったのだが、その結果、事件は噂となって校内を駆け巡ってしまった。
どうやら、ふたりのやり取りを聞いていた者がいたらしい。
迂闊だった。
どうしても怖くてふたりだけになる密室は避けていたし、話しているうちに声が大きくなってしまった。途中でやめられるような話題でもなかった。そのうえ田崎は泣きながら彼に土下座をしたのだ。何事かあったと思われてもおかしくない状況だった。
田崎はあの日から連続して学校に来ていない。来れないのだ。
暴力をふるった。さらにレイプまでした。最低な人間だ。
そう周りの人間から軽蔑され、非難されて、中傷や嫌がらせも受けたらしい。
女子の結束は固い。特に、こういう話題に対するエネルギーと影響力は、豊島くんが想像するよりもはるかに大きかった。
警察には届けなかったが、田崎はレイプ犯として社会的制裁を受けたことになる。天罰と言えるかもしれない。
いっぽう、豊島くんは女子たちにかわいがられ守られていた。
もちろん豊島くんも噂をすべて肯定した訳ではない。強姦されたことを認める気にはなれなかった。
しかし本当のことはやぶの中で、みんなそれぞれ勝手な解釈をしているらしい。
同情や共感、励ましというものは、くすぐったくて恥ずかしいし複雑でもある。
けれど言い換えれば豊島くんを囲む人たちはそうじてみな優しかった。
彼の見舞われた災難に親身になってくれた。応援してくれた。
さらに、男の恋人がいると知られても思ったより好意的に受け入れられて、かえって変な感じもした。
時代がいいのか、豊島くんのキャラのおかげなのか、同性愛に対して、特に女の子たちは理解的であった。
さすがにあまりに騒ぎになったので、事件について、学校側から呼び出されて説明を求められた。だが彼は、ちょっとしたいさかいから殴られはしたもののレイプの事実はなかったと、証言しておいた。
これ以上田崎を追い込む気持ちはない。
暴力については、田崎は今後学校側からなんらかの処分を受けるだろうと思われた。
そして夏休みを越えれば噂も沈静化することだろう。
それでも、もっと穏やかな方法もあったのではないかと思いもする。
「でもさっぱりしました」
「そうかい、あんた乗り切ったんだな。晴れ晴れとした顔してるぜ」
にかっと笑った前歯が一本欠けている。笑うと愛嬌のあるおじいさんだ。
「これ、ほんのお礼です。俺がバイトしてる『パティスリーゴッドフィールド』のケーキです。ぜひ召し上がってください」
「こりゃありがたいな。ケーキなんて何年ぶりだ」
男は躊躇せずそのまま箱を開けると、手を突っ込んで直にショートケーキを取り出した。うまそうにかぶりつく。
「そっちのあんたがケーキ屋さんだって言ってたよな。これあんたが作ったのか。すげぇな。うめぇもんだ」
瞬く間に二つ目のケーキに手が伸びる。
「ケーキってこんなにうめぇもんだったっけ」
モンブランを口にしてにこやかな顔を見せた。
「あんちゃん、いやなことはさっさと忘れて、この兄ちゃんと仲良くやんな」
先日事件の証言を頼んだ際、神野は豊島くんに付き添って一緒にこの男性と話をしている。
それにあの日ふたりがよりそい合って帰っていくところも見られていたらしい。神野が送ったこめかみへのキスもだ。
だから彼らの関係のことはすでにばれていた。ばれてはいるけれど、この人はそういうことを気にしないようだ。
差別というものに敏感で寛容なのかもしれない。
「人間ちょっとしたことでうまく行かなくなるほど弱いもんなんだ。俺もなんでだかこんな暮らしになっちまったけどな、最初はほんとにちょっとしたことだったんだよ……」
気弱さと後悔とをのぞかせ先を続ける。その言葉には重みがあった。
「好きあって一緒にいられるなんてのはほんとに奇跡みたいなもんだからな。まあ、仲良くやんな」
「はい」
神野は深々と頭を下げる。
「おじいさん、ありがとうございます」
豊島くんもそれに続いた。
「またケーキ持ってきますね」と言い置いて公園を後にする。
七月の太陽の光は強く、ふたりは日陰を選ぶようにして歩く。
「神野さん、これからどうしますか」
今日は火曜日だ。
「スイーツデートするかい。それとも……」
豊島くんの希望を優先させようとする気遣いは、穏やかで優しいいつもの神野だ。
「俺、店に戻りたい。神野さんの部屋で神野さんと仲良くしたいです」
「仲良く、か。……私もしたいな」
かわいい誘いに冷静な口元がほころんでいる。
「でも大丈夫かい？」
田崎に襲われた夜以来、彼は神野を受け入れることが出来なくなっている。
SEXが怖い。
殴られたことがフラッシュバックする。
夜、不安でよく眠れない。
最悪な状態がしばらく続いていた。
自分の家で一人になるのが怖くて、ずっと神野の元に身を寄せていたくらいだ。
一度は触れ合ってみようとしたけれど、うまく行かなかった。
だから神野は添い寝をするだけで、頭を撫でたりキスをしたり手を繋いだりして、彼をあやすようにして扱った。
まるで母親のような優しさと父親のような頼もしさだった。
神野がいてくれて本当によかった。
「大丈夫？無理しないで」
「大丈夫です。むしろ俺、今は神野さんのことがすごく欲しいんです」
欲しいとはっきり口にするのははじめてかもしれない。
「君も大人になったね」
感心した声を上げる神野に少しだけ豊島くんはへそを曲げた。
「子ども扱いしてませんか」
神野はふっと笑い、彼の手をさりげなく取る。
「神野さん？」
「なんかね。今回のことを通して、無理に隠さなくてもいいかなって気になって来たよ。だから……」
神野の右手は彼の左手をしっかりと握った。そのまま手を繋いで歩く。明るい日差しの中、通りすがる人もあるけれど、神野は構わなかった。
大胆さに豊島くんのほうが驚く。
「君が私のものだと示しておけば、横恋慕する人間もいなくなるだろ」
あくまで優しい声のトーン。
「家に帰ろうか」
甘く甘く耳元で囁かれて官能的な気分になる。
街中なのにこのまま耳たぶを咬まれたりしたらどうしようと、豊島くんはちょっといけない妄想をした。
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