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第14話 奥州二~祀ろわぬ者~
峰々を伝い尾根を辿って、遮那王と弁慶が早池峰に着いたのは、それより十日の後だった。とは言え、常人の足から比べれば遥かに早い。
「待たんか、猫」
「我れは猫ではない。どれ程言うたらわかるのじゃ」
軽口を叩きながら、断崖絶壁を駆け抜けるふたりの姿は、里人の目に触れることも殆ど無く、たまに山仕事に山に入っていた猟師は、傍らを凄まじい風が抜けていった......と語るのみだった。
「此処じゃ」
その山塊の奥の奥、人々も怖れて近づかぬという洞窟の前で、遮那王はぴたりと足を止めた。辺りは鬱蒼とした木々に覆われ、気がつけば獣の姿すら無い。内より沸き出でる禍々しい気に弁慶は思わず身を疎ませた。
「何じゃ、此処は......」
「古(いにしえ)には神と呼ばれていたものが棲もうていた場所じゃ......今は......」
遮那王は、元結をするりと解いた。長く艶やかな髪が洞窟から吹き上がる風を受けて一気に逆立った。
「祀ろわぬ者達の御霊が寄り集うて、贄を呼んでおる」
「贄じゃと......?」
青ざめる弁慶に遮那王は、口許に微かな笑みすら浮かべて言った。
「案ずるな、弁慶。あれらの求めておる贄は、そなたではない」
「では何を......」
「入ればわかる」
僅かな灯りを手に遮那王は、得体の知れない何者かが棲まう暗い窟の中に躊躇い無く踏み入っていった。
「おい、待てよ......」
「怖いのか?肝の小さい鬼よのぅ......」
「怖くなど、ない」
言い切って、冷たい岩肌に手を触れながら、先へと進む。進めば進むほど禍々しい気は強くなったが、不思議なことに、その気は遮那王を弁慶を迎え入れるように傍らへと引いて蟠っていった。
やがて、窟の中は徐々に狭くなり、その狭隘な長い通路を手探りで抜けると、一気に広間のような広い空間に達した。真っ暗であろうと思っていたそこは、はるか頭上のどこかにある僅かな岩の隙間から日の光が差し込み、仄かに明るくなっていた。
「見よ」
遮那王の指さす先に眼をやると、そこには石造りの祭壇らしきものと、岩壁に線刻で描かれた神らしき者の姿があった。
「.......!」
弁慶は息を呑んだ。弁慶の夢に現れた仏らしきもの、寝ぐらにしていた窟の壁に彫りつけたその姿と酷似していたからだ。後ずさろうとする足を何かに取られ、尻餅をついた。その手に触れたのは......髑髏だった。
悲鳴を上げそうになるのをぐっとこらえ、よくよく見れば、僅かに形を留めているものの、かなり古いもの、であることが見てとれた。
「いったい、何じゃこれは......」
唇の震えを堪えつつ、なんとか声を絞り出す弁慶の間近にしゃがみ込んで、遮那王はじっと弁慶の眼を見つめた。
「お前の先祖だ」
「先祖だとぉ?」
頓狂な顔をする弁慶にふっ......と小さく笑った。
「その昔、ここ奥州から東国一帯には、大和とは異なる国があり、異なる人々が住んでいた」
「異なる国?」
「秀真(ほつま)国と言うてな......栄えた国だったが、大和朝廷の欲深い者どもに責め立てられて、滅んだ。ここは、その奥津域、聖地だったところだ。かの国の王を始めとする聖職者達はここで生命を絶ち、民は散り散りになり、追手を避けて山中に逃れた......」
「それが何故......」
「大和より此の方は彼方であったゆえ、支配は一時は弱まり、かの国の子孫達は再び国を作らんとしたが、都の朝廷の軍が再び此の方に攻め入り......坂上田村麿なる大将によって、それも討ち滅ぼされた。」
「........。」
「多くは、なお山の奥深くに逃れ潜んで暮らしているが、山狩りで捕らわれた者は豪族に奴婢として売られたり、都に送られた」
「それが、俺の両親というわけか......」
「そうだ」
遮那王は、すくと立ち上がり、壁の絵を示した。
「言い伝えによれば、かの国の民は大和の民より背が高く、手足も長く、屈強な体躯をしていたそうだ......」
「ならば、何故負けたのだ?」
弁慶は胡座をかいて座り直し、くっ.......と遮那王を睨んだ。
「純粋過ぎたのだ。大和と分かり合える、共存できると信じた......そして裏切られた。二度も....だ」
遮那王は大きな溜め息をついた。
「ここに蟠っているのは、お前の内に蠢いている鬼は、その恨み、怒り、哀しみだ......それを解放してやらねば、お前の内なる鬼は鎮まらぬ」
「どうやって解放するのだ......」
「お前の『血』に問う」
遮那王は再び弁慶の方に歩み寄ると、その額に手を触れた。
「お前に先祖の御霊を依り憑かせる。ちと苦しいかもしれぬが耐えよ」
遮那王の唇が、呪を唱え始めた。弁慶は身体の内から炎のようなものが吹き上がり、自分が自分では無くなるのを感じた。激しい憤り、怒りが汲み上げ、身を斬るような哀しみに止めどなく涙が零れ落ちた。
―許すまじ......許すまいぞ、大和の者ども。民草の全て枯れ果て死に絶えるまで呪うてやる。我らの我が民の苦しみ、我が哀しみを知るが良い......―
弁慶は自らの口から、自分とは異なる野太い声が絞り出すように叫ぶのを聞いた。その声に遮那王が静かに語りかける。
―鎮まりませよ、アマテルの神。貴方の愛しき方も此方に依り坐しますれば、どうか鎮まりて汝が子孫を護り候え―
―セオリツよ、セオリツ。再び我が腕に......。憎き大和の者どもを如何にせん......―
弁慶の内なる者の声が答えた。再び遮那王が、遮那王の内に降りた何者かが答える。
―わが君、アマテルよ。貴方の哀しみは私が慰め申しましょう。貴方の苦しみは私が、癒して差し上げましょう。我が民草の、哀しみ怒りに捕らわれし御霊を救い上げねばなりませぬ。どうかお心を安んじて道をお示し下さいませ―
柔らかな唇が弁慶の唇に触れた。弁慶の内なる声が答えた。
―セオリツよ......再び、百代の契りを......。我が裔の者よ、我が民草のために遠つ御親のために千の大和を人柱を捧げよ。さすれば皆の魂も安らかならむ......―
遮那王のしなやかな腕が弁慶の頚を抱き、弁慶の腕がきつくその背を抱いた。唇が重ねられ、そして抱き合ったふたりの肢体が苔むした岩肌にゆっくりと倒れ込んだ......。
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