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第17話 魔性の慈悲一~重盛の懇願~
遮那王が秀衛の用意した屋敷の奥の宮にようやっと腰を落ち着けたのは、奥州の地に雪が降り始め、山への路は清らかな純白に閉ざされ、往き来もままならなくなった頃だった。
遮那王は徒然なままに、宮の端近くに寄り、降る雪を眺めていた。遮那王の傍らに胡座をかき、やはり徒然そうに、だが雪よりも白い腕に凭れかかられて満更でもなさそうな弁慶は、あちらより歩み寄ってくる幾つかの姿に眉をひそめた。
「なんじゃ?」
「秀衛殿か......何やら退屈しのぎの代物でも持ってまいったか?」
ゆるりと座を立ち、御簾の内に座り直して出迎えた遮那王の前に、秀衛が冬向きの厚手の生地で作られた狩衣、直衣を捧げ置いた。
「遮那王さま......」
訝る遮那王の前に、牛若丸を促し、それらの進物とともに幾つもの文箱が置かれた。
「都から、お文が届いております。こちらの絹や、その他のこちらに用意させていただいた調度品や季節のものとともに......お使者の方は主の名は申せぬと言うてございましたが......」
秀衛は少しばかり申し訳なさそうに、続けた。
「不躾とは存じましたが、遮那王さまのお名で進物の礼の文を送らせていただきました」
「構わぬ......が、誰が贈って参ったのじゃ?」
「平家の太郎さまよりのお品物のご様子にて.....」
秀衛が面映ゆそうな、居心地の悪そうな表情を扇の内に浮かべていたのが見て取れた。
―見たのか......―
遮那王は、内心、ちっ......と舌打ちしたが、世話になっている身としては隠し事もままならない。
「遮那王さまのお身を大層ご案じなされておるご様子にて...此方に仕舞いおきました」
差し出された文箱をひとつ、手に取り中を開けると、上質な料紙に端正な文字で長い文が記されていた。
遮那王は読み終わる間もなく苦笑し、弁慶はこれ以上無いほど不機嫌になった。
それが、連綿と綴られた『恋文』であったからだ。
「ほんに困った太郎殿じゃのぅ.....」
真新しい木の匂いのする床一面に料紙が白波のように拡がっている。
平家の惣領、平重盛からの文は、三月と開けず送られてくる。己のが父、清盛の横暴がちっとも収まらず、三井寺を始め、各地の寺と争いを起こしては火を掛けたり、朝廷との仲も日を追うごとに険悪になっている、と嘆いていた。
なんとか遮那王の法力をもって諌め諭してくれないか......と泣きついてきてさえいた。
「我れは魔王の子ぞ。法力などあろうはずもない」
ふぅ......と息をついて脇息に凭れ掛かる様を弁慶は半ば呆れ気味に眺めていた。
「下手に情けなど掛けるからじゃ。いっそ親父の首でも取ってやればよかろう」
「生温い」
弁慶の戯れ言に遮那王の返した言葉は、予想以上に冷やかだった。
「神仏を敵にまわし、己れの欲のままにせんとする者にはそれ相応の贖いをさせねばならぬ。あっさり首を取ってやるのは、甘すぎよう......。身の程も知らず我れに挑んだ罪も含めて......な」
紅い唇がにやり......と酷薄な笑みを浮かべた。
「我れに欲を抱くは一族の滅亡と引き換えじゃと、しかと言うてやったのだがのぅ......。天狗の耳には聞こえなんだらしいのぅ......」
遮那王の眼がギラリと魔性を煌めかせた。弁慶は背筋の凍るようなその光に尋ねた。
「太郎は、重盛はどうなのじゃ?......父にお前を逃したのではないかと叱責を受けたと書いてあるぞ。それでも、決して口は割らない。知らぬ振りを通す......と言うておる」
「哀れな男よ......」
遮那王は床の上の文をつい.......とひとつ掬い上げて膝元に拡げた。
「入道は、我れが奥州に居ることなど、とうに承知よ。秀衛と事を構えるのが億劫なだけじゃ。京からでは、時も金もかかる......放っておいても差し支え無しと思うておるのじゃろ。」
「だが、そうは言うても、太郎は、重盛はお前に会いたいと、お前に逢えぬのは、親父の暴虐ぶりを聞くより苦しい......と言うておる」
弁慶の手が、ぽうんと一通の文を投げてよこした。遮那王は、膝にそれを受け取り、拡げて、頭を小さく振った。
「ここまで小心な、心弱き男とはのぅ。......父の桁の外れすぎたが不幸のもと。.......そろそろ引導を渡してやるが慈悲というものかのぅ.......」
「どうするのじゃ?」
「雪が解けたら、一度、見舞うてやろう。息の根を止めてやらねばなるまい。......それが、あやつを苦しみから救う唯一の手立てじゃ」
「京へ行くのか?」
眉をひそめる弁慶に歩みより、その膝に手を置いて、遮那王は上目遣いで弁慶を見つめた。
「内密でな。何、事はすぐ済む。......お前は着いてきてくれるのだろう?」
「わかった......」
弁慶は強請るように身を擦り付けてくる遮那王を横抱きにし、不吉な言葉を平然と紡ぐその口を己のが唇で塞いだ。
―この猫めが......―
それでも、片時も傍を離れたくない。独りで他の男の元になどやれぬ。
―俺もどうかしている......―
胸の中で小さく呟きながら、細い肢体を料紙の海から引き離し、己のが腕に抱え込んだ。遮那王は抗いもせず、うっとりと身を任せている。その眼は、残虐な魔性から、妖艶な魔性へと色を変えていた。
弁慶は、躊躇いなくその魔物を横抱きにすると御簾の奥へ連れ込んだ。
「まだ陽も高いというに...」
呆れたように言いながら、腕を廻してくる魔性に啄むように口づけ、首筋を食み、胸元を押し開いた。
「欲しゅうなった」
「妬いたか?」
「悪いか......」
クスクスと小さく笑う唇が、甘い吐息を孕んでいる。絡め取られながら、どこまでも溺れていきたいと弁慶は願わずにはおれなかった。
そして、それを赦されぬ重盛を憐れんだ。
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