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第16話 奥州四~判官館~

 新しく出来た館に遮那王達が戻る頃には季節は夏も盛りの頃になっていた。 「ほう......良い住まいじゃのう」  他人事のように言う遮那王に、秀衛は半ば苦笑しながら、牛若丸と慧順とともに出迎えた。 「ようお帰りくださいました。早池峰の神にはお会いになれましたか?」 「会うた」  手短に言い、奥の間の円座に腰を据えた遮那王の傍らには、当然のごとく弁慶が従っていた。 「それはようございました.....」  秀衛は、扇の内で、にまりと笑うと如何にも丁重に言上した。 「この屋敷は、表は牛若丸殿と慧順殿の住まい。奥の宮には鞍馬の魔王尊を勧請した堂を建て、遮那王様と弁慶様にお住まいいただけるように設えてございます。」 「念の入ったことだ.....」  冷やかに呟く遮那王に、秀衛は今ひとつ膝を進めて付け加えた。 「願わくは我らも早池峰の神のご加護を賜りとう存じますゆえ、早池峰の山裾に社を建てさせていただきました。遮那王様に宿としてもお使いいただけるように、わが息子を神主として配しましたるゆえ、心おきなくお使いあそばされませ」 ―周到な男だ......―  扇の下のおおらかそうな穏和な面の下の強かさに弁慶も遮那王と顔を見合わせた。 「秀衛殿は賢くておいでじゃ。百年の計をお持ちになる...」  慧順が心底感服したように言っても、秀衛はさして表情も変えなかったが、その後の言葉に一同は言葉を失った。 「いいえ......千年の計にございまする」 ―こやつは......―  にこにこと相好を崩しながら、秀衛はゆっくりと本殿の方に歩み去っていった。 ―――――.―  それより幾ばくは平穏な日が続いた。牛若丸改め義経は、嬉々として鍛練に励み、同様に慧順もこれを護べく武術の会得に必死になっていた。  遮那王は、もっぱら弁慶と共に早池峰山に通っており、時折、ふらりと戻ってはまた去る......といった日々が続いていた。  とある日、遮那王の帰還を聞いた秀衛は何を思い付いたか、唐突に館を訪れ、恭しく願い出た。 「御曹司がお刀を振る姿を拝見したい......」 「義経殿なら、ほれ、あのように励んでおられる」  遮那王が面倒くさそうに、扇の先で庭先の義経を示すと、実に勿体をつけた口調で遮那王をじっと見据えて言った。 「いえ、私が見たいのは、牛若丸、いや義経殿の太刀ではなく、遮那王さまの剣......」 「酔狂な......」 遮那王はあからさまに眉をひそめたが、秀衛の譲らぬ眼差しに仕方無しに脇息から身を起こした。 「致し方無いのう......」  秀衛から一振りの木刀を受けとると、純白の水干姿のまま庭に降り立った。   「義経、修行のほど拝察いたそう......」  傍らに居た慧順は、ふたりを見比べ、改めて目を見張った。二人とも二十歳を過ぎたはずである。牛若丸は元服して髪を切ったせいもあり、日頃の鍛練に見合った男らしい青年に成長していたが、一方の遮那王は、時を止めておるが如く華奢な少年のままで、むしろその妖艶さは増したが、ますます男とは思いがたい。 「どうした、かかって来ぬか」 「早ういたせ」  牛若丸とて、手弱女の如き遮那王の風情に躊躇いを隠せなかった。が、今一人の立会人、弁慶の声に弾かれたように斬りかかった。   ―えっ.....?―    木刀を振り下ろした先には、既に遮那王の姿は無く、勢い余って前のめりに倒れかかった。その肩をとん、叩く木の感触に振り向くと、遮那王が何事も無いように佇んでいた。   「こちらじゃ......」 「えやっ......!」  何度斬り込んでも同じだった。目掛けた先にいるはずの遮那王の姿は瞬時に消え失せ、牛若丸の死角に佇んでいるのだ。   ―そんな馬鹿な......―  焦り、汗だくになる牛若丸に比して、遮那王は髪の一筋も乱れていない。   「終いか?......なれば、こちらから参るぞ...」  正面に向き直った牛若丸が構えた......と同時にその体は三尺近く飛ばされ、地面に倒れ臥していた。 「気が済んだか?......牛若よ、落ち着いて相手を見定める目を養え。それでは戦には勝てぬ」   ―まさに化生よ.....―  秀衛の眼が、牛若丸の、慧順の眼が驚きと畏怖に見開かれ伏せられた。慧順に抱き起こされ、やっとの思いで立ち上がった牛若丸を一瞥し、木刀を秀衛に手渡すと、遮那王は、再び宮へと踵を返した。  その背を意味深げな秀衛の声音がかすめた。 「さすがは、御曹司。天狗直伝のお腕前お見事にございます......」  宮へと向かう遮那王の面に不快な色が浮かんだ。が、弁慶より他にそれに気づく者はいなかった。遮那王が夜毎、古えの御霊達と修練を重ねている事を知る筈も無かったのだから。  早池峰山の古えの神、御霊達の元に訪ない、また迎え入れて、その霊劔の修法に励む。遮那王の孤独な背中に、影の如く寄り添う弁慶の背中以外にそれを知り得る者はいない。    ―知られては、ならぬのだ―  ただ二人だけの知る真実を沈黙のままに、押し包んで帷の内で来るべき時を待つ......主従の雌伏の時を色づいた奥州の秋が静かに見守っていた。  その僅かな平穏を愛おしむように...;..

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