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第22話 鎌倉 一 ~頼朝という男~

 木瀬川の陣で、無事、兄-頼朝と対面を果たした義経即ち牛若丸だったが、その表情は冴えなかった。  鎌倉の頼朝の屋敷の一角に住まいを与えられ、家族同様の扱いを受けてはいたが、それは即ち、『半人前』という扱いでもあった。  いわゆる家臣などというものはおらず、傍に仕えているのは、鞍馬からずっと寄り添ってくれている慧順ただひとりだった。 ―頼朝様は、私が『影』とご存知ゆえ、あのように冷たく当たられるのだろうか......― ―そのようなことは、ございますまい。頼朝様のお側にいる坂東武者は、皆、気性が勝ってございますから、義経様が、そのお方々に慣れるまでのことでございましょう。お屋敷で東国風を身に付けよ......ということではございますまいか?―  慧順は、寂しげに呟く義経の肩を抱き寄せ、その大きな温かい掌で撫でた。奥州よりもなお切り立った山々に囲まれた鎌倉の地は暗く、陰鬱に二人には思えた。 「九郎主さまは、如何なさるのですか?」 「うん?」  夕刻、酒と肴を携えて訪なってきた梶原景時は、相変わらず無表情な頼朝の顔をちらりと窺った。 「遠く奥州より殿を慕ってはるばると訪ねておいでなされた、末弟殿にございますよ」  あぁ......と頼朝は、小さく息を吐き、土器(かわらけ)を手に取った。すかさず景時が酒を注ぐ。 「あれは、使い物にならぬ。京の寺の稚児育ちとかのせいか、生白うて......あれでは武士は務まらぬ」 「確かに、お色も白うて華奢なお方ではありますが、奥州においでの際には、それなりに鍛練もなされていたとか......」 「それなり、では武士は務まらぬ。それに、あの容姿(なり)では、配下に着けた者達に、たちまちのうちに手籠めにされかねぬ。......それでは儂の恥になる」 「ははぁ......」  よくよくと見ずとも、頼朝と義経は似ていない。母親が違うせいもあろうが、涼やかな美貌の義経とは違い、頼朝はその面差しの陰りが深い。父-義朝を家臣の裏切りで無くし、伊豆に配流になった後も、様々な苦渋を味わってきた頼朝の表情には、常に冷たいものがある。 ―誰も、信じてはおらぬのだな、この方は―  景時は頼朝の目線に合う度に冷たいものが背中を流れるのを感じる。正妻の政子の悋気から側室の亀の前とその子を失ってから、陰鬱な気性はますます酷くなった。  その頼朝からすれば、同じ義朝の子であるとはいえ、易々と仇の清盛の側室となった義経の母-常磐御前も、その仇敵に庇護されて育った義経も許せぬのであろう。あまつさえ、義経には清盛の胤では無いかという疑惑さえある。 「それにな、政子が好いておらぬのだ。女子より美々しい男など、国を傾けるだけじゃと言うて毛嫌いしておる」  頼朝の妻、政子は男勝りで気が強い。流人の頼朝に押し掛け女房をするくらいだから、肝の座った東女らしい女だ。が、いかんせん、取り立てて美しいとは言い難いし、優雅さやたおやかさは、無い。  都ぶりの優男の義経を毛嫌いするのもわかる。  せんだって家中の者が並んだ時にも、一際に目立つ義経の美貌に皆が眼を奪われていたのを睨み付けていた。 「もう少しお歳が若ければ、小姓も務まりましょうが......」  既に義経は二十歳を超えている小姓という年齢ではない。 「だが、我らが平家を追い払い京の都に入るとなれば、公家衆やら寺社の者どもは我らより、義経のような手弱女(たおやめ)振りを好むのであろうから......」  だから飼っておく、と頼朝は言うのだ。頼朝に先んじて平家を追い散らしている義仲は、頼朝よりも粗野だ。都での評判も決して良いとは言えない。また、義経の上の弟、頼範は忠実だがやはり朴訥で都人との交渉には向かない。 「まだ、平家の討伐も終わっておりませぬゆえ、九郎主さまにも戦にもお出ましいただかねば.....」 「その時は、頼む」 「は......」  景時は、頼朝の昏く光る眼に身を凍らせながら平伏した。

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