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第21話 清盛入滅
重盛を失って後、平家は急速にその力を弱めていた。その大きな一因は、当主清盛が病で床に伏したことにもあった。
「おのれ頼朝め......」
高熱に浮かされながら、此の方までの戦の有り様に清盛はギリギリと唇を噛んでいた。木曽の義仲に惨敗したのも腹は立つが、それ以上に頼朝の叛旗が許せなかった。
「本来ならば打ち首になるところを、生命を助けてやった恩義を忘れ、楯突きおるとは......」
「父上、落ち着きあそばされて......」
枕辺に侍る知盛、維盛の顔を見比べ、清盛は深い溜め息をつかざるを得なかった。知盛は雄壮ではあるが、治世には向かない。維盛は小心な上に治世者としての技量が覚束ない。
―重盛が生きていれば......―
と思いはするが、重盛は清盛の跡を継ぐには善良過ぎた。時には悪であろうと為さねばならないのが執政者だ。
―それにしても......―
あの、遮那王の言葉が頭に蘇っていた。
『我れを求むるは一族の命運と引き換えぞ...』
―いや、まさか......―
いくら魔王の申し子とは言え、年端もいかぬ子供だ。そこまでの力があるとは思えなかった。
「我らには厳島神社の神のご加護があるはずじゃ」
立派な社殿を寄進し、経を収め、海の上に巨大な鳥居を建てた。その加護は子々孫々まで及ぶはずだった。
―だが、あの瞳.....あの指.....あの肢体.....―
この世ならぬものに魅せられた。其れ故に神の加護が失われたというなら......。
「そなたが、自ら手放したのであろう......」
ふと見ると、几帳の向こうに薄ぼんやりと人の姿が浮かんでいた。
「遮那王......?」
「我れは言うたはずじゃ。我れを求むれば一族は滅ぶ......と」
きらり......と金色の瞳が薄闇に浮かぶ。清盛は、身の内が更に激しく燃え焦げるようで、苦しさに身を捩った。
「これは......この熱はお前の仕業か!?」
絞り出すように詰る清盛を冷ややかに見下ろして紅い唇が嘯く。
「それはそなたが、受くべき地獄の沙汰のひとつに過ぎぬ。此の方にあって早や業火に焼かれねばならぬとは、いと罪深き男よの......」
僅かに口許を緩めて酷薄な笑みを浮かべる面差しは紛れもなく、かつて組み敷いた異形の美人であった。
「如何な化け物じみた男であろうと人は人。分を越えれば身を滅ぼすは必定......それにも増して......」
さらり、と薄衣の擦れる音がした。
「お前は人の恨みを買いすぎた。神の加護も及ばぬほどにな......」
ふと、清盛の口許が歪んだ。
「重盛は......太郎はお前が殺したのか?」
「それは違う」
さや......と風が鳴るように声が応えた。
「小松殿は、自ら死を望まれた。......我れは御霊を浄土に誘ったに過ぎぬ。小松殿を殺したは、相国入道、そなたじゃ......」
むむっ......と微かに唸り、だが清盛は、ほぅ....と安堵の息を吐いた。
「そうか......重盛は浄土に行けたか」
「そなたには叶わぬがな」
「なに、既に承知じゃ......なれど一人では逝かぬ。源氏の者ども、諸共に地獄に引き摺り落としてくれようぞ」
荒い息を吐きながら息巻く清盛を、遮那王の眼が変わらず冷ややかに見下ろし、笑った。
「好きにするが良い。所詮、あれらの向かうる先とて地獄に変わりはない。......源氏であろうと平家であろうといずれ修羅には変わりはない」
「お前は......源氏の者ではないのか」
訝る清盛に遮那王はくるりと背を向けた。
「我れは鞍馬の魔王の申し子。人の世の氏など知らぬ.....さらばじゃ、清盛」
ふっと燭の明かりが消え、辺りは闇に閉ざされた。
「哀れじゃのぅ......」
清盛の唇から、ふっと漏れたその呟きが誰に向けられたものかは、誰ひとり知ることは無かった。
一一八一年 閏二月 相国入道 平清盛入滅。
遮那王が鎌倉に現れる少し前のことだった。
この時より、平家の勢いは急速に衰え、二年後の五月、倶利伽羅峠で、義仲の軍に敗走し、二ヶ月の後には義仲の入京を許すことになる。
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