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第26話 上洛前夜~暗雲~

 義仲が京の都に入ってから、事態はますます混迷の度合いを深めてきた。 「愚かな者どもよな......」  降りやまぬ雨を眺めながら、遮那王は大きな溜め息をついた。その肩に、弁慶がふわりと小袖を着せかけた。 「冷えるぞ。ん?......如何した?」 「済まぬ。......獣どもが、また共食いを始めんとしておるゆえな。.......我らも鎮まっておれぬようになろうゆえ......な」 「木曽殿か...」  「いずれ追討の宣旨が降りよう......牛若丸に、な」 「身内であろうに.....」 「鎌倉殿には、身内などおらぬ。おるのは自らを押し上げんとする後ろ楯と、郎党だけじゃ。......牛若達でさえ、母親の仇の子。平家を討ち果たすための道具に過ぎぬ」  さらりと艶やかな黒髪を掻き上げて、遮那王は小さく口を歪めた。 「義仲の父は義朝によって討たれた。保元の時に......な。平家にせよ源氏にせよ、朝廷の、都に巣くう権勢欲に取り付かれた化け物の駒に過ぎぬ」 「後白河の院か......」 「あれこそが化け物。妖怪じゃ。......数多の生命を食い物にして権力の座に居座り続けておる。ある意味......」  ふぅ...と遮那王は言葉を切り、天井を見上げた。 「頼朝の冷血となら良い勝負になるやもしれぬな」  果たして数日の後、義経が庵を訪れた時に、その表情はこれまでになく暗かった。 「兄上からのお下知が下りました......」  遮那王は口ごもる義経をじぃっと見つめた。 「源義仲さまを討てとのご命令にございます......都で狼藉を働いて、院からのお咎めをも聞き入れぬ故とか......」 「致し方あるまい」 遮那王は不満気な義経に静かに告げた。 「身内で相争うは源氏の宿業。......鎌倉殿の命に抗う訳にもいくまい」 「でも、討つべきは平家でございましょう。なれば、共に力を併せるべきでは......」  食い下がる義経の哀しげな眼差しに遮那王は首を振った。 「鎌倉殿の舎弟でありたければ、黙って命に従うのじゃ。戦場にてなら、我らが助けるゆえ心配はいらぬ。......お前は鎌倉殿の不興を蒙らぬよう、大人しゅう従うがよい」 「遮那王さま......」 「悩んではならぬ。自らを生かしたくば、鎌倉殿に従順に振る舞うのだ。良いか牛若丸、我らが助けることが出来るのは戦場だけぞ」 「承知......いたしました」  がっくりと項垂れる義経に諭すように遮那王は言った。 「あの男に弟と認めて欲しいなら、ひたすら無欲に戦に勝ち続けるしかないのだ。あの男の駒として.....な」 「遮那王さま.....」 「決して都の者どもの口車に乗ってはならぬ、良いな」 「はい......」  項垂れて青ざめた面のまま、肩を落とし、庵から鎌倉へと戻る義経の背中を見つめたまま、しばし立ち竦む遮那王の眼もまた、限りなく暗かった。 「大丈夫なのか?」  遠慮がちに問いかける弁慶に静かに首を振り、遮那王はきゅ......と唇を噛み、呻くように呟いた。 「哀しいものよのぅ......人というものは」  頭上に深く垂れ込める暗雲が、そのまま、牛若丸の、義経の運命を暗示しているようだった。 弁慶は目を伏せて押し黙る遮那王の肩を強く抱き締めた。 「京へ向かう......」  ややしばらくの後、弁慶の胸に顔を埋め、絞り出すように呟く遮那王に弁慶は深く頷いた。  その金色の瞳が再び底光りを放ちながら、だがかすかに潤んでいたように見えて、弁慶の胸にチクリと、だが深い痛みが走った。 ―所詮、我らは人間にはなれぬ....―  下腹から暗い熱が溶岩のように背筋をせり上がり、身を浸潤していく。再び蠢き出した『鬼』の血が嵐の訪れを告げていた。

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