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第27話 上洛前夜~偵察~

 その日、巨体の豪放な僧と貴種らしき女が、京洛の大路をゆったりと歩いていた。  市女笠を深く被り、被衣をかけているため、面差しはよく見えないが、真っ白な肌と艶やかな紅い唇、女にしては高い背丈が、すらりと伸びた手足を際立たせて、尚人目を惹いた。 「似合うのぅ....良き女子ぶりじゃ」  人目を外れたあたりで、僧の男がひそと囁くと、笠の内の眼が軽く睨み、女にしては低めの声が応える。 「止さぬか...我れとて好き好んでこのような身形(なり)をしているのではない」  ぷぃっ......と顔を背ける姿も何処と無く愛らしい。僧の男は思わず相好を崩し、女の肩を軽く叩いた。  実を言えば、笠の内は女ではない。義経に先んじて京洛に入る際に、弁慶が一式を求めて用意した女姿に身をやつしている遮那王である。  が、傍らを往く弁慶からすれば、どんな女よりもたおやかで、美しい風情を醸し出している。  生来の気品か魔性の蠱惑かは定かでは無いが、道行く人々がすれ違いざまに振り返るところを見ると、あながち弁慶の贔屓目とも言い難い。 「昼日中の都大路の様を確かめねばならぬのだ。素顔を晒して歩けるか」  笠の内の眼は幾重にも被われ、よくよくと見ねばそうとは気づかぬが、違うことなき金色である。素で歩けば、途端に『妖物』とて排斥される。考えた挙げ句の女姿である。が、存外に良く似合い過ぎて、弁慶はいささか不機嫌ですらある。人の目を忍ぶどころか惹き過ぎる。 「まことの猫であれば良かったのぅ.....」 「まだ言うか。お前は.....」   弁慶の揶揄に心なしか頬を膨らませる様などは、乙女のようで震い付きたくなってくる。 「猫ならば何処を歩こうが気儘なものぞ」 「嘘を申せ。籠めて飼うつもりであろう」 .「おうよ。我が膝にて日がな一日、撫でてやろう。外には出さぬが、生きの良い餌を購うてきて養うてやろうぞ」 「止めておけ。悪党面の山法師が様にならなさ過ぎるわ。......それに我れは窮屈な暮らしなど懲り懲りじゃ」  鞍馬の山に籠められて、狭い堂宇より出でることは許されなかった。夜毎に天狗と交わろうと都に降りて大路を往こうと関わり合うは、この世の他の者ばかりだった。 「お前には感謝している.....」  牛若丸の希みに添って山を降りても、弁慶がおらねば、遮那王は『ひとり』だった。  山に在った時に、いやその後も己のが欲望の儘に遮那王を組み敷いて、男達は朝ぼらけさえ見ることも無く、そそくさと立ち去っていった。 ―さても妖しきかな...―   と畏怖と侮蔑に満ちた眼差しで遮那王を見下し、欲望を吐き散らし背を向ける。 ―あれらは贄じゃ。我が魔性の餌に過ぎぬ―  そう言い聞かせて、後朝の虚ろな胸裡を見ぬふりをしてきた。  が、弁慶と番うてからは、その腕の中で、人肌の温もりの中で朝を迎え、 ―目覚めたか.....。起きて朝餉にするか―    と、野太い声音で優しく囁かれる。その心地よさに身も心も溺れてしまいそうだった。 「いきなり何を言い出すやら...」  照れ臭そうに苦笑いする厳つい顔を遮那王はじっと見つめた。 ―事が成れば......―  平家を討ち、数多の御霊を早峰池の神に捧げれば、この男は全ての呪から解き放たれて、人に戻れる。だが、自分にはその日は来ない。 ―所詮、我れは化け物じゃ......―  俯きかけた遮那王の眼差しの前に、娘がひとり転び出てきた。 「お助けを。お助けください.....」  見るとその後ろから下卑た笑みを浮かべた男達がにじり寄ってきた。粗末な鎧を着けているところを見ると野盗のようにも見える。 「か弱き女に無体を働くとは如何なことじゃ」  縋りつく娘を弁慶の脇に隠して問えば、下品な笑みが一層近づく。 「儂らは、朝日将軍、木曽義仲さまに仕える者じゃ。平家より都を取り戻した礼にちぃとばかり酒の相手でもしてもらおうと思うてな......その娘が聞き分けないだけじゃ。なんならお前さまでも良いぞ.....」  伸ばされたその腕を遮那王の杖がばしっ......と打った。 「薄汚い手で触れるでない」 「なんじゃとぉ.....!」  挑み掛かってくる男の身体が次の瞬間、あっさりと宙に浮いた。弁慶の鉄の錫杖に次々と絡め取られ薙ぎ飛ばされた。遮那王は傍らで呆気に取られている娘に声をかけた。 「早う行かれよ.....」 「ありがとうございます...!」  弾かれたように頭をさげ、娘は走り去っていった。足下で呻く下郎達を一瞥して、遮那王は弁慶を促した。 「先へ急ぐぞ」 「うむ......何処に参るのだ」 「先ずは、お前の寝ぐらだ」  二人の目に苦笑いが浮かび、そしてその足取りが変わった。  弁慶に打ちのめされた男達が漸く立ち上がった時には、既に二人の姿は何処にもなかった。 「あれでは、いかんな」  弁慶のかつての住まいであった窟は、手つかずに残っていた。ふたりは、石で切った炉の前に座り、竹を切って、湯を注いだもので喉を潤した。 「懐かしいのぅ......よく残っていたな」  遮那王が首を巡らせると壁にはうっすらとあの仏の姿が残っていた。あぁ......と弁慶は気の無い返事をして鍋の菜をかき混ぜた。 「なんじゃ。香華くらい上げぬのか?」  訝しげに問う遮那王に、顔を伏せたまま、弁慶が呟いた。 「俺の菩薩は、もぅここにおる.....」   武骨な手が、遮那王の手に触れた。 「我れが誘うは地獄やもしれぬぞ......」 「構わぬ」  そっと唇が重ねられ、しばしの沈黙が流れた。     「義仲は討てるな」  菜の椀を受け取りながら、遮那王はほっとしたように言った。 「義経殿が総大将なのか?」 「いや。範頼殿だ。義経は近江におる。範頼が京から追い出して......迎え撃つようだな」 「後詰めか」 「大事はあるまい......」 ―肝要なのは、その後か.....―  言わずともふたりの目が頷き合った。 「さて、寝むか.....」 「久しぶりじゃな.....」  弁慶の腕に潜り込み、遮那王は眼を閉じた。そして、密かに壁絵の仏に手を合わせた。      

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