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第28話 上洛~義仲追討~
「誰も入れてはならぬぞ」
遮那王の一言に弁慶が窟の前に踏ん張ってから、早くも半日が過ぎようとしていた。窟の奥深くで遮那王が見つめているのは、水鏡。
数日前、遮那王に乞われて弁慶が何処からか調達してきたものである。
身を浄め、麻の忌衣に着替え、髪を綿布で結い上げた遮那王が見つめる先に居るのは、大兜に七枚縅の鎧を身に付けた、初々しい若武者.......源義経、その人であった。
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一一八四年 一月
京都粟津の地にて、義仲軍と義経軍が交戦状態に入る。
実際には、範頼軍と先に対峙した義仲軍が敗走して京に入ったところを義経が迎え撃つという形だった。
「儂は勝てようか.....」
寄せ来る敵軍を前に、牛若丸の義経は微かに身を震わせていた。初陣である。奥州より伴ってきた佐藤兄弟は居るものの、戦の次第を尋ねようにも鎌倉から共にきた武士達は到って冷ややかだ。
つまりは、―お腕前、拝見―と高みの見物を決め込んでさえいる。
「義経さま......」
今は代わって弁慶を名乗る慧順が心配そうに顔を覗き込んだ。と、その身体がぴくり、と大きく震えた。
「大丈夫じゃ。我れがおる。着いてまいれ!」
にまり、と義経の顔に笑みが浮かび、馬の腹を勢いよく蹴りあげた。
―遮那王さま....―
憑依(はい)った...と、慧順の直感が捕らえた。何処にいるかは判らないが、遮那王が、御霊を牛若丸に憑依させ、戦場を伐り拓かせている。次々と義仲の兵を斬り伏せ、敵陣深く押し入って行く。
「つ、続け!.....九郎さまに続くのじゃ!」
勇猛果敢な戦ぶりに気圧されていた東国の武士達も、我れに還ったように、一斉に義仲軍に襲いかかる。
戦は、大勝利に終わった。
「大事ございませんか?」
自陣に戻った義経に、慧順がひそ......と囁きかけた。
「大事無い。が、ちと刺激は強すぎたかもしれぬ。早う、休ませてやれ」
義経は今一度、遮那王の顔でにんまりと笑むとふうっ......と慧順の腕に倒れ込んだ。
小半時の後、陣幕の裡で眼を開けた義経は、しばし呆然と自らの血に染まった両手を見つめていた。
「私は......人を殺めたのだな。」
「はい」
慧順が静かに答えた。
「これが、私の選んだ道なのか.....」
慧順の首が小さく頷く。そこに、近習が走り寄ってきた。
「悪源太、木曽義仲どのが首級(みしるし)、持参つかまつりました。」
無造作に髪を掴まれ、血を滴らせた首が三宝に据えられた。散々に乱れた髪、真っ青に血の気を失った面......両の目が無念のままにカッと見開かれ、こちらを睨んでいる。
義経は思わず吐きそうになるのをぐっと堪えた。
「兄上にお知らせもうせ......」
立ち去り際に今一度振り返った首がわずかに唇を開いたような気がした。
―よぅ見ておけ。あれがお前の末路だ......―
誰かが、耳許で囁いたような気がした。義経は眩暈を覚え、慧順を伴って陣幕を出た。
「よぅ無事でお戻りでした...」
と鎧を脱ぎ、慧順に背中を擦られて、やっと人心地のついた義経は、ぽそり.....と呟いた。
「遮那王さまが、助けてくれた。」
「左様にございますな」
白湯を手渡す慧順の手に冷たく冷えた手を重ねて、青ざめた唇が呟いた。
「これが武士なのか......。かように生きねばならぬのか......」
ぽとり......と滴が慧順の袖に落ちて、染みた。
「遮那王さまがお守りくださいます、きっと......」
義経は、黙って頷いた。虫の良い話だ......と思いはしたが、それより他に縋りようもない身の切なさに頷くほかはなかった。
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「やれ、少しも悟ったか......」
こちらは窟の中、遮那王は、水鏡からようやっと離れて弁慶を呼びやったと同時に、その腕の中に倒れ込んだ。
「何をしておったやら......」
疲労困憊の体で膝に凭れる遮那王の口に粥を運びながら、弁慶は溜め息混じりに言った。
「初陣くらいは勝たせてやらねばと思うてな......やはり御霊を飛ばすのは難儀なものじゃ」
小さく口を歪めて笑う遮那王に諫めるように眉をひそめ、弁慶は形の良い耳朶に歯を立てた。
「無茶はしないでくれ.....」
「わかっておる」
金色の眼がふっと和らぎ、甘えるように重ねてくる唇を言い聞かせるように幾度も啄む弁慶だった。
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