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第30話 平家討伐二~頼朝の思惑~

 鎌倉に一ノ谷の勝利の報が届いたのは、それから程なくしてのことであった。 「ふん、生き永らえおったか......」  頼朝は、形式どおりの報告を受け取った後、密かに梶原景時を呼んだ。 「して、首尾は如何であったか?」 「やはり、殿のご推察どおりかと......」 「ふむ......」  頼朝は、灯明皿の仄かな灯りの下、僅かに目を伏せた。牛若丸もとい義経は永らく奥州藤原氏の庇護のもとにあった。木曽義仲討伐に関しては、範頼が勢力を削いだ後の対戦であったから、まぁ辛くも勝利を得ても不思議は無い。が、一ノ谷の相手は平家の主力であると言っても過言ではない。 ―その主力相手に勝つには......―  余程の戦術‐戦略的な策がいる。実戦の経験のあまり無い義経が範頼の到着を待たずして勝利を収めるには、人智以外の『幸運』が無ければ、不可能である。  頼朝の腹の中では、ふたつの結果が導き出されていた。つまりは、敵を引き寄せる囮の役割を受けて、戦端を開き、範頼が此れを背後から壊滅させる。今一つは、範頼が交戦に入ったところをこれを援護する。  だが、戦の結果はいずれとも異なっていた。  少なくとも、戦に馴れていない義経が、鵯越えの逆落としを無事に駆け降りて敵陣に斬り込むことなど、凡そ《人外》の力でも加わらねば、成し得ない。となれば...... ―遮那王めが動いたか......―  平家に敗退することは望むところではない。が、兄の乙若......義円がそうであったように、義経自身が戦場の露と消えることを密かに望まぬでは無かった。  範頼は凡庸な上に名も知れぬ遊女の子だ。義経達の母、常磐御前のように、頼朝達の母から父の寵愛をもぎ取り、更には仇の首魁まで取り込むような女の子どもとは違う。義経と違い、奥州という強大な後ろ楯が無いぶん頼朝に従順であり、常にその判断を仰ぐ。つまりは、そう使えもしないが、安心して使える『駒』である。  だが、義経はそうはいかない。十歳を越してまでも京にいたせいか、都振りが身に付き、朝廷や公卿にも評判が良い。  頼朝にとって、半ば憎悪の対象である『駒』が衆人に愛されるというのは、面白からざるところではある。    ―いっそ一ノ谷で死んでくれれば.....―  衆人の同情を買い、平家を憎ませる良い材料にもなったろうし、頼朝自身の溜飲も下がる。  それが、大活躍を見せ、勝利を収めたとなれば、平家を倒せるのは良いが、何やら澱のようなものが胸裡に残る。  あの魔物の助けを得て......というのは尚更である。 ―まぁ、使える間は使うか......―  平家の全てが滅びたわけではない。まだまだ、力が要る。 ―せいぜい魔物の力を利用させてもらうか......―  義経は純粋だ。悪く言えば単純で思慮に欠ける。廃する口実は幾らでも出来る。殊に都に置けば、難なく狡猾な公卿達、殊にあの後白河法皇という妖物が指を咥えて見てはいないだろう.....と頼朝は踏んでいた。  ―そこを察して、上手く掻い潜れたなら.....―  奥州を討たせる。既に頼朝の腹は決まっていた。 ――――――――――――――  然して、都では牛若丸=義経が鬱々としていた。朝廷に提出された除目の中に自らの名が無かったのだ。訳を問えば―序列というものがある―というだけだった。 「あれだけの働きをしたのに......」  任官の沙汰も降りない。 「認める気が無いのだ。腹心の娘を妻を与え、より従順であることを求めてはいるが、東国の武士団の方があれには大切なのだ。致し方あるまい......」    宥める遮那王が座しているのは、鞍馬の奥の院。あの堂宇である。奥の院は一般の僧侶達にとって禁域である。ほぼ誰も上がっては来ない。ウエサクの日に魔王尊を祀る六角堂の前に供物が捧げられ、儀式が行われる時以外は、誰も近づかない。  義経が京に入って此の方、遮那王は再びかつて住まいしていた堂に身を移していた。  かつて給仕していた牛若丸に代わって、今は弁慶がその傍らに控えている。 「しかし......しかし、遮那王さま。遮那王様にあれほどのお力添えをいただきながら、善き報せのひとつもお持ちできないとは......」  義経の言葉に、ふふ......と軽く笑って、だかそれとは裏腹に遮那王は、きつい口調で申し渡した。 「お前を助けたのではない。贄を狩るために、お前の身体を使うただけじゃ。我れに恩義を感ずるなら、ゆめ功を焦ってはならぬ。良いな」  項垂れて、とぼとぼと山を降りる義経の背をじっと見送る遮那王の背中に弁慶が囁いた。 「牛若......いや、義経は無事におれるかのぅ.....」 「平家が滅びるまでは、な。......その後に生き残っても、辛い事に代わりは無い」  遮那王は、傍らの枝に添えた片手に思わず力を加えていた。枝の折れる乾いた音が深閑とした山の内に響いた。 「奥州を出てから......いや、この鞍馬を出た時から、牛若丸の宿命は決まっていた。......もはや水の流れは変えられぬ」 「貴船川のようにか......」  弁慶は遥か下を流れる清水に眼をやった。  遮那王は小さく頷いた。 「人の業の流れて着く先が幸いであろうはずも無いが.....な」  遠くで不如帰が一声、鳴いて何処へか飛び去っていった。

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