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第31話 平家討伐~錯綜~

 果たして、遮那王の危惧は、そう月日の経たぬうちに、現実となった。  義経が頼朝の禁を破って、朝廷から直に検非遣左衛門尉を拝命したのだ。 ―都の治安維持に励んだ褒賞として......―  と言えば聞こえが良い。確かに治安を守る者は必要であろう。その効果も生真面目な義経のこと、着実に上がっていた。しかし、鎌倉政権の頭である頼朝に伺いも立てずして拝命したという事態は、義経の立場を甚だ悪いものにしてしまった。褒賞は頼朝を通してのみ与えられねばならなかった。それが頼朝に仕えるものの『掟』だった。 「何故、一度鎌倉に伺いを立てず拝命してしまったのだ?」  鞍馬を訪れた義経に遮那王は、堂の中に入ることを禁じ、厳しく叱責した。 「法皇さまのご意向とあれば、お受けしないわけには参りませぬ。それに......」  義経は、膝の上で両の拳を握りしめ、潤んだ眼で遮那王をじっと見上げて言った。 「兄上さま、頼朝さまはいまだ私の働きを認めてはくださいませぬ。せめて京を都を穏やかに静めることができれば、私の手腕も認めていただけましょう......」 ―そうか......―  遮那王はその必死な眼差しに胸を裂かれるようだった。 ―知ってしまったのだな......―  義経も、牛若丸もまた義朝の実子であることを、遮那王は伏せていた。それを明かしたものがあるとすれば......。 ―牛若の母か......―  常磐御前は、遮那王を生後すぐに鞍馬山に預けた後に、牛若丸を我が子として育て始めた。初めは乳母が通い乳を与えていたが、程なく役目を解かれ、常磐御前が清盛に捕らわれた時には既に夫とともに逃げおおせた後だった。その母親が入京を果たした義経を我が子と知れば、なんらかの接触はあっただろう。 ―我れも源氏の嫡流、義朝の子―  と知れば、知らなかった時よりも、一層思いはつのる。兄に認められたい。源氏の嫡流たる自分に相応しい扱いが欲しい、と思うのは無理からぬことだ。  遮那王の影であったからこそ忍んできたものも忍び難くなる。 ―影と知っていたから、頼朝兄上は冷たかったのか......― と好意的な誤解もしかねないのは事実であろう。 ―さりとて......―  あれが頼朝の本性であると言っても聞き分けようもないことを遮那王は察していた。  実際のところ、仮に義経が法皇に求められたため、検非遣左衛門尉に任官したいと申し出たとして、答えは『否』であることは目に見えている。  これまで、幾度任官を求めても応じなかったのだ。頼朝にとって、義経は平家討伐、ひいては頼朝の敵を薙ぎ払うための道具に過ぎない。鎌倉政権を磐石にするために、敵に投げつける、云わば捨て石でしかないのだ。  遮那王はふぅ......と大きな息をついた。 「わかった。此度の仕儀についてはもはや何も言うまい。しかし、鎌倉を無視して朝廷に近づくのは自らの危機を招くだけだ。頼朝はかように甘くはないぞ......」  遮那王はそれだけ言って、堂の扉を閉めた。次第に遠ざかる腹立たしげな、それでいて寂しげな足音を背中に聞きながら、遮那王は唇を噛みしめていた。そして、躊躇いがちに歩み寄る弁慶の胸元に倒れこんだ。 「遮那王......」 「なぜ、なぜ解らぬのだ。......牛若丸はなぜ死に急ごうとするのだ」  遮断王の金色の眸から止めどなく透明な滴が溢れ、弁慶の衣を濡らした。弁慶は、ただひたすらその背を抱きしめ、あやすように撫で続けた。  それより他に成す術を弁慶も知らなかった。    。

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