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第32話 平家討伐~遮那王の決意~

その数ヶ月後、遮那王の絶望は決定的なものとなった。義経が従五位以下に任ぜられ、昇殿を許されたのだ。端から見ればこの上ない栄華である。が、反面、頼朝との断絶を決定的なものにしてしまった。 「鎌倉殿は、もはや許すまいのぅ......」  遮那王の言葉に弁慶は無言で頷いた。義経に対する頼朝の憎悪は、義経が都で認められ、愛されれれば愛されるほどつのる。それは、頼朝の幼い日に義経の母、常磐御前が義朝の寵愛を深めていくほどに寵を失い最後には家を出ざるを得ないまでに追い詰められた頼朝の母の悲嘆に重なるからかもしれない。 遮那王はしばらく考え込んでいたが、すっくと立ち上がった。 「御堂へ参る......」  御祓を済ませ、薄物一つのみ身にまとい遮那王は、仲秋の望月の下、木の根道をさらに奥へ、魔王殿へと向かった。  一ノ谷の戦の後、ウエサクの満月の夜に魔王殿の中へと入り、魔王と契る姿は弁慶も見た。  だが、ある意味、悲愴な面持ちで魔王殿の扉へと赴く遮那王の様は今にも消え去りそうに見えた。 「俺も、行く」 と意を決した弁慶が後を追う......と、扉の前で遮那王の足がぴたりと止まった。重い扉が軋むような音をたてて、ゆっくり開いた。 「来てはならぬ...」  振り返る遮那王の口から発せられた声は、日頃聞く細く艶やかな絹のようなそれとはまったく異なっていた。太く、大地の底から沸き上がる威厳に満ちた声音が山の大気を震わせるように、厳かに響いた。 ―魔王尊......―  ゆるゆると遮那王の細い肢体が扉の中へと吸い込まれていく。 「待たれよ.....」  弁慶は扉の奥、暗闇に向かって叫んでいた。 「案ずるな、祀ろわぬ民よ。古き痛みをまとう者よ。暫しそこで待っておれ」  ごぅっ.......と中から一陣の突風が吹き、顔を背けた弁慶が、再び袖の内から覗き見たとき、扉はぴたりと閉ざされていた。 「遮那王......」  弁慶は、どっかと扉の前に胡座をかいた。辺りは静寂に包まれ、虫の声すら絶え果てていた。弁慶の眼は魔王殿の扉を見つめ、そのまま、幾ばくかの時が流れた。  望月が西の方に大きく傾いた頃、ぎぃ......と重い音をたてて、再び扉が開いた。と同時に遮那王がその隙間から姿を現した。遮那王は一歩二歩とよろめくように近づくと手を伸ばした弁慶の腕の中に崩れ落ちた。 「遮那王、大丈夫か。しっかりしろ!」  と揺すぶると、うっすらと開いた金色の眸が弁慶を真っ直ぐに見詰めた。 ―違う...―と思わず身動ぐ弁慶に青ざめた唇が囁いた。あの魔王尊らしき低い声が告げた。 「祀ろわぬ民よ。これと番え。これの痛みを癒す者よ。永劫の番いの誓いを立てよ。そなたらの血の負う哀しみ、これの負う血の哀しみをひとつに重ね。永劫の楔とせよ」 「楔......?何の......?」 「この国の根底に穿つ楔じゃ」  ごくり......と弁慶の喉が鳴った。強張った唇をようやく蠢かせ、掠れた声で答えた。 「承知...」  細い腕が伸ばされ、弁慶の頭を掻き寄せる。その瞳が誘うままに、唇を重ね身体を重ねた。魔王尊の眼前に永劫の宿命へと身を投じた。      陽が昇り、遮那王が自らの褥に目覚めた時、傍らには身を寄せて横たわる逞しい体躯があった。 「ん、目覚めたか......?」 と声をかける厳つい笑みがあった。 「弁慶......」   「何を祈願いたしたのだ?」 「今は言えぬ」    それだけ言って、遮那王は弁慶の笑みに背を向けた、  

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