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第34話 平家討伐~屋島(二)~

 遮那王と弁慶が宮島の奥の院、弥山に辿り着き、その山頂に身を置いた時、義経は四国に至っていた。 「あやつめは助力は無用と言うていたが......」  宮島の厳島弁財天は、平家が己のが守護神と奉る神である。その神威を鞍馬の魔王尊の力で押さえ込めば、平家に勝ち目は無い。  訝る弁慶に遮那王は眼を瞑ったまま、答えた。 「あやつを助けるのではない。平家を滅ぼすのだ」  鞍馬に戻ってより此の方、魔王殿に籠ってよりはなお、遮那王の魔力は強大なものになっていた。 「戦が始まる」  一言、残して遮那王は沈黙した。 ―――――――――――  義経一行は迂回して阿波に向かい、そこから山づたいに讃岐に至った。  周囲の民家を焼き、屋島の平家の陣屋に背後から攻め入った。  海からの攻撃を予測していた平家の軍勢は一目散に海へと逃れ、義経の軍が陸上から攻め立てる形となった。両軍入り乱れての激しい戦闘が続くなか、沖合いの女官が乗った舟が一艘、岸近くに寄ってきた。  見れば舟の上に竿が一本立てられ、日の丸を描いた金扇が一指、高々と掲げられ、波間に揺れていた。  義経は自ら矢面に立つことは敵の策略に乗ることと諌められ、弓の上手と味方うちに名の高い、那須太郎資高の子、与一宗高に此を射させることにした。 「もし、射落とせなければ、御大将の恥じとなりまするに......」  と与一は辞退しようとした。が、義経はこれを許さなかった。 ―誰が射ようと同じだ......― 義経は口の中で呟いた。  ―あの御方に見捨てられたなら、我らは負ける...― ――――――――――   「やれ、この期に及んで我れを試すか」  遮那王は閉じた眼をうっすらと開き鏡を凝視していた。見れば、強弓を抱えた若武者がひとり、馬を駆って波間へと入っていく。  風も強く波も高い。 「あれを射落とさせるのか?叶うのか?」 と傍らで弁慶が問えば、遮那王は、一言だった。 「無論じゃ」  鏡を見れば、若武者がまさに弓に矢をつがえ、キリリと引き絞る様が見えた。遮那王の右手がす.....と上がった。鏡の中の海が、一瞬凪のように静まった。遮那王の右手の人差し指がすっ...と空を切ると同時に与一の指が弓から離れた。  射放たれた矢は一直線に空を切り、はらり......と落ちた。  鏡越しに両軍がどよめき、浮かれたっているのが見える。 「まぁ、こんなものか......」  遮那王はふん......と鼻を鳴らし、騒ぐ梢の狭間から零れ落ちる光を見つめた。  視線を返してふと鏡面を見ると、再び両軍の戦闘が始まっていた。見れば、平家に一層の強者がいた。寄るもの寄るものを両手に引っ付かんで海に投げ落としていた。その動きを追っていくと敵中深くに入り込んだ義経がまさにその手に掛かろうとしている。  刹那、遮那王の両目がカッ...と見開かれ、その唇が叫んだ。 「跳べ!」  と同時に、遠く離れているはずの義経の身体が宙に浮いた。何隻もの舟の舳先を踏み渡り、自陣近くの味方の舟に舞い降りるように降りた。 「ほんに、お前は牛若丸に甘いのぅ.....」  ふぅ...と息をつき、倒れかかる遮那王の背を胸元に支えながら、弁慶が呆れたように、ほっとしたように、呟いた。遮那王は何も答えなかった。 ―――――――――――  味方の舟にやっと降りたった義経は、ほうっ......と息をつくとともに、はた.....とある事に気づいた。 ―弓が無い......―  見れば、傍らで潮に流されようとしている。 「お危のうございますぞ」 と家臣の者が止めるのを振り切って、必死に後を追い、ようやく拾い上げた。 「なんという無茶をなされる......」 「与一のような強弓ならば、流され拾われたとて恥じる事はないが、私の弓はそうではない。人に拾われたら、源氏の大将がこんな弓を使っているのか......と嗤われてしまう」  それゆえ......と、義経は苦笑しつつ、周囲の諸将 に詫びた。 ―悟られてはいけないのだ。―  義経の武運を守っているのは、八幡大菩薩ではない。その対極を為す魔王なのだ。いずれその代価を購わねばならない日が来る......それを承知で、義経はその慈悲に賭けた。 ―この戦だけは、勝ちたい。―  義経は遥か西の海へと消えた平家の船団の影を睨み、ぐ......と唇を噛みしめた。

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