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第3話

 ダンボールに詰められた私物を運び、荷解きも手伝うと主張する鳴海を断って一人になった時、時刻は六時半を過ぎていた。  寮の玄関には二、三足、スニーカーなどが並んでいるので朝倉友成のもので間違いないだろう。しかし肝心の本人はまだ帰っていないようで、部屋の中はがらんとしていた。  さて、俺はこれからダンボールに詰められた私物を整理するべきなのだが、これは入寮にあたって怪しまれないように見繕っただけであり、本当はそれほど必要でもないものだ。それよりも俺には、この絶好の機会にやらなければいけないことがある。  靴を脱ぎ捨て、部屋に入る。冬の寒さがフローリングの床を伝って爪先を冷やした。  中の様子を見てみると、共用のリビングルームには小さいながらもテレビが設置されていた。右手の部屋は空き部屋で、俺が使うことになるらしい。左の扉は僅かに空いており、生活感のある部屋の内部が少し覗いている。そういうわけで、とりあえず左の部屋に侵入した。  さあ、空き巣タイムの始まりだ。  朝倉友成の部屋はだいぶごちゃついていた。整理はされているものの、そもそもの物が多いために雑然としてしまっている。もしかしたら俺の入寮を期に、私物を自室の方へ引き取ったのかもしれない。 「アレグロちゃーん、どこかなァ?」  売人ならば家の中に、白い粉や錠剤の一つや二つありそうなものだ。そう踏んで机の引き出し、時計やカレンダーの裏、本棚の後ろなどを漁ってみたが、残念ながらめぼしい収穫はなかった。そう簡単にはいかないようである。  部屋を元通りにして、ダンボールを俺のほうの部屋に運び込む。朝倉友成はまだ帰らないので、今日の報告を慎にしようか、と思い立ったとき、突然携帯が鳴り出した。  液晶を見ると、「シン」の文字が踊っている。三コール以内に出ないと仕置きを食らうので、すぐに応答する。 「よお慎! 元気してたか?」 『それはこちらの台詞だ。上手くやれたか? お前は協調性に欠けるから学校生活を送れるか心配だ』 「俺もそれは心配だ」  ……今更だが、俺にこの役は向いていないのではないか。勿論、だからといって慎が俺ではない誰かに頼るのは面白くないけれど。  それにしても、今しがた食堂で見かけたにも関わらず、随分久しぶりな感じがする。 『それで、首尾はどうだ』  どちらかというと中性的な慎の声が心地良く耳に伝わってくる。目を細めて堪能しながら、真新しいベッドシーツの上に寝転がった。 「特に進展はねえな。朝倉友成が帰ってこないうちに粗方漁ったけど、なんも出ねえ。エロ本の一冊すらないの、信じらんねー」  ベッドの下から出てきたのは、ただの自己啓発本だった。それもそれで隠しておきたいものかもしれないが。 「で、本人もまだ帰ってこないから接触もしてない。そんなとこだよ」 『そうか。なら、引き続き朝倉友成の監視に当たれ』 「おー、了解……って待て待て! 通話切ろうとすんじゃねーよ!」 『まだ何か質問か』 「ありだよ! 大有りだっつうの! 俺はいつになったらお前と校内でイチャつけんだよ」 『……どうやらまだ目が覚めていないらしいな。寝言が聞こえる』  返ってきたのは冷たい失笑だったが、ここでめげるわけにはいかない。寝返りを打ちながら食い下がる。 「せっかく慎と同じ学校にいるんじゃん? 離れ離れじゃ寂しくて俺死んじまうかもだぞ?」 『いつからうちの犬はウサギになったんだ?』 「なーなー、いーじゃんちょっとくらい構えよ、慎ちゃん」 『駄目だ。僕とお前が繋がっていると少しでも疑われたら全てが水の泡だろう』  やはり取りつく島もなかった。俺がどれだけごねても、慎の冷静さが崩れるのことはない。それが頼もしくもあるのだが、こういうときは、少しくらいは絆されてほしい。  出来ることならもっと近くで見てみたい。慎が学校でどんな風に過ごしているのか。俺のまだ知らない顔というものがあるのなら、暴きたいと思う。  だが残念ながら、慎と俺はクラスどころか学年さえ違う。慎は高一で、俺は“一応”高二だ。偶然すれ違ったりすることさえ、あるかどうか怪しいところだ。  俺がなおもぶつぶつと不平を漏らしていると、画面の向こうから息を吐く微かな音が聞こえた。 『あれこれ強請るな。……ご褒美は対象を始末してからだろう』 「え、マジ?」 『うまくできたら褒めてやるのは、飼い主として当然だ』  まさかのご褒美に俄然やる気が湧いてきた。慎の「ご褒美」は本当に気紛れで、滅多にはもらえないのだ。  俺は寝転がった態勢から飛び起きて、嬉々として告げる。 「俺な、せっかくの制服だし、これ着たまま教室で着衣プレ――」  速攻で電話を切られた。  ***  その日の夜は、とうとう朝倉友成が帰ってくることはなかった。友人の部屋に泊まっているのか、夜遊びか、はたまた今日が売人としての活動日だったのか。  そして翌日。目を覚ますと男のドアップの顔が飛び込んできた。 「うおっ!?!?」  衝撃のあまり飛び起きようとして、強かに額と額がぶつかる。鈍い音が脳天に響いた。 「痛っ」 「いったーい! な、何この石頭!」  そして俺の呻きを掻き消すほどの喚き声。俺の部屋への闖入者は、額を両手で覆って蹲っている。  痛いってそれは、こっちの台詞だ。朝っぱらから不法侵入して驚かせてきたそっちが悪いだろうが。  そう文句をつけようとして、覚醒しきっていなかった頭がやっと働き始めた。同じ部屋にいるということは、この男は、 「……お前が朝倉友成?」  明るい色の癖毛には見覚えがある。慎に渡された資料の中にあった写真だ。  男はやっと痛みが治まったようだった。顔を上げたそいつは、丸い目をぱちぱちと瞬かせた。 「君、もう俺のこと知ってたの?」 「おう、担任にルームメイトはお前だって言われて」  息をするように平然とついた嘘は、男の中でなんの疑問もなく受け止められたらしい。ふにゃりと相好を崩してみせた。 「なーんだ。でも一応、俺からも名乗らせてよ。俺、朝倉友成ね。みんなにはトモって呼ばれてるから君もそう呼んでね」 「柊真冬だ、まあ上手くやってこうな」 「うん。よろしくね、まふちゃん」 「トモ」に「まふちゃん」か。薬の売人とそれを潰そうとする奴とは思えないような呼称だな。  朝倉は前情報で得ていた写真通り、脱色した髪といい、そこそこ整った顔といい、クラスでは目立っていそうな男だった。明るく、フットワークが軽く、交友関係も広い。  ただ、実際に会ってみると想像していた人物像はだいぶブレた。 「とりあえず一緒に朝ごはんしよ? まふちゃんも早く着替えてね、待ってるから」  ヒラヒラと手を振って俺の部屋を出て行った朝倉。  薬の売人になるくらいなのだから、もっと優越感に浸った、生意気で自己顕示欲に満ちた人物か、その真逆かだと勝手に思っていたのだけれど、どうもその予想は外れたらしい。ふわふわと覚束ない口調で話し、ヘラヘラと笑う。とても売人になるタイプとは思えないが、第一印象なんて大抵当てにならないものだ。慎だって見た目と外面だけなら、歩く校則ばりの優等生である。  朝倉に言われた通り、制服に着替えて洗面所に向かい、顔を洗って寝癖を直した。鏡には、今日も性悪そうな俺の顔が映し出されている。なかなかに目つきが悪い。俺の方がよっぽど悪いことをしてそうな顔だ。  時刻は七時。鳴海が教えてくれたところによるともう食堂は混み出す時間だ。早く支度をしなければ、と思いながらリビングに戻ったところで、空腹を刺激する匂いが漂ってくる。 「あ、やっと準備終わった? まふちゃん、俺が起こさなかったら遅刻してたんじゃないのー?」  陽気に笑いながら、二人分のマグカップをテーブルに並べる朝倉。そこには既に向かい合った席に二人分のトーストとスクランブルエッグのプレートが用意されていた。 「え、まじ。作ってくれたん?」 「おうおう、作ってやったん!」 「お前、料理できるんだな」  素直に感心する俺に、朝倉は簡単なものだから、と謙遜した。だが生まれてこのかた、料理なんてほとんどしたことのない俺からすれば、十分尊敬に値する。なんせ、女の家を転々として寄生していた身の上である。  朝倉に促されて席に着き、食事を始める。淹れたてのカフェオレは温かく、寒い朝の身体に沁みる。 「まふちゃんって隣のクラスなんだね。俺、A組なんだよ」  突然の出会いではあったが、一応これから長い間一緒に暮らしていく(という設定)である。互いに親交を深めていると、会話の流れでそんなことを朝倉は言った。 「おー、そうなんだな」  慎から聞いていて知っていたけれど、と心中で付け足す。 「先に知ってりゃ挨拶くらい行ったんだけどな」  そして、ついでに揺さぶりを掛けてみることにした。 「まさか夜まで帰ってこないとは思ってなかったからな。朝倉は昨日、どこ行ってたんだ?」  カフェオレを啜りながら、にやりと笑って問いかけた。努めて明るい声で、夜遊びを疑って茶化しているように見せる。  しかし朝倉の方は、特に動揺した様子はなかった。長めの癖っ毛を指で弄びながら「だから、トモって呼んでってば」と笑い返してくる。 「えー、別にお楽しみとかじゃないよぉ? 男子校にいても俺は女の子が好きだし。友達のとこに行ってただけだよ」  などと、的外れな答えを返してくるのみだった。その言葉の真偽はともかく、どちらにせよ掛けてみたカマは不発だったようだ。  あーあ、俺やっぱりこういう駆け引き的なの向いてないわ。基本直情型だし。  心中で溜息をついている間に、朝食は終わってあっという間に登校時間が迫ってきた。  寮で迷うほど方向音痴でもないのだが、朝倉が教室まで案内すると張り切るので、俺たちは一緒に部屋を出た。 「部活してくるから今日も帰りは遅いけど、夕ご飯までには帰ってくるね。だから一緒にご飯しよ! せっかくルームメイトなんだから、まふちゃんともっと仲良くなりたいもん」  部屋の鍵を閉めながら、朝倉は随分と楽しげだ。  浮き足立っているその背中を眺めていると、本当にこいつが売人であっているのか? と再び疑問が生じてくる。俺を警戒している様子がまるでないのは、なんだか妙だ。  鍵をポケットに仕舞った朝倉がくるりと振り返ったので、俺も笑顔を浮かべて頷いた。 「じゃあ部屋で待ってるな、トモ」  愛称で呼んだだけなのに、嬉しそうに顔を綻ばせた。

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