4 / 5
第4話
朝倉と別れ、教室で鳴海に会い、理解不能なな授業を数コマ消費した後の昼休み。鳴海は何やら集まりがあると言って急ぎ去って行ったため、一人で過ごす空いた時間ができた。慎からの指示もない、自由な時間だ。
俺は購買で昼食を買って、気の向くままに校内をふらつくことにした。鳴海に案内してもらったとはいえ、転入二日目だ。あちこちが真新しい。
途中、すれ違った生徒たちが俺を見るなり好き勝手に意見を述べあっていた。
「あれ、転入生の柊だよ」
「ああ、女孕ませて転校になったっていう?」
いや、孕ませてねえよ。ジョークだわ。
「柊くんって、なんかかっこよくない?」
「えー、そう? ちょっと怖そうだよ。目つき悪いし」
悪かったな、吊り目だからしゃあないんだよ。
それにしても、男子校だからだろうか。平気で俺に対してかっこいいだのかっこよくないだのという批評が飛び交っている。普通は同性に対してこういう話はあまり出ないと思うのだが、ここの生徒は外に行けば女がいることを忘れてしまうほど、閉鎖的らしい。
そのまま歩き続けるうちに、人の疎らなカフェテリアに辿り着いた。一階にも同じような施設があるが、断然向こうの方が混み合っていた。二階のここは穴場らしい。
自販機で水を買って、空いていた窓際の席に座る。窓からは中庭がよく見えて、なかなかの眺めだ。手入れされた花壇や閑散としたベンチが見下ろせる。一月だからだろうか、そこに人影はない。
――そういえば、ここに来てからまだ一度も雪を見ていない。今年はあまり降らないのだろうか。
「相席いい?」
高めのボーイソプラノが、俺の視線を窓の外から引き戻した。
声を掛けてきた生徒は、俺と同じように購買の袋を提げて立っていた。低身長で童顔であるので、後輩の一年生だろう。
それにしても、この空席が目立つカフェテリアにおいて相席を申し込んでくるとは。さてはこいつ、そういうつもりだな。
「いいけど。勝手にすれば?」
挑戦的に見上げると、男子生徒は悪戯っぽく笑った。顔に似合わない蠱惑的な笑い方だ。
彼が向かいの席に座ったので、俺も購買のパンの袋を破って開けた。
「じゃあ勝手にするね。相席ついでにもう一つお願いしてもいい?」
「あ?」
返事をしようにも焼きそばパンを頬張ってしまっていたので、ペットボトルのキャップを取ってそれを飲み下した。
「なんだよ?」
口元の水を拭いながら尋ねる。そいつはメロンパンの袋を開けながら答えた。
「あのね、君の顔が好みだから僕とちょっと寝てみない?」
理由も言い方もあけすけすぎだろ。
とはいえ、低めの身長も、目がくりくりとしていて可愛らしい童顔も、甘い声も、容姿の点は申し分ないほど俺も好みだった。
そういうわけで、午後の授業はサボってこいつと散々ヤりまくった。
***
その男子生徒は野居清史郎と名乗った。可愛い外見とは裏腹に古風な名前である。
「うわぁ、この部屋空気悪っ」
カーテンと窓を開け放つその後ろ姿は小柄であるが、脱いでみると意外と引き締まっていた。俺は基本的にギャップが好きなので問題ない。
「空気イカ臭くしたのは俺らだけどな」
「そういうロマンチックじゃないこと言わないの」
大きな目が吊り上って、壁に寄りかかって座り込む俺を軽く責める。肩を竦めて返事の代わりとした。
そもそも、空き教室でヤっておいてロマンもクソもないだろう。
窓の外から冬の冷気が吹き込んでくる。俺は堪らず身を縮こませて、シャツのボタンを留め始めた。
「なあ、ノイちゃん」
「一応聞くけど、それって僕のこと?」
「おう」
「僕これでも先輩なんだけど?」
「は?」
指先が狂って最後のボタンを留め損ねた。視線を上げると、少々不満げな野居清史郎がいる。
先輩? 俺が高二っていう設定だから、つまりこのちっちゃいのが、三年生?
衝撃のあまり言葉を失っていると、頰を膨らませた野居が、俺の膝の上に乗っかってきた。先程の対面座位とちょうど同じ格好である。
「完全に僕のこと後輩だと思ってたでしょ。……もしかして驚きすぎて声も出ない?」
未だ窓が開いているので、その身体を抱き締めて暖を取りつつ、俺はしみじみとぼやく。
「いや、本当に成長期なかったんだなあって思って」
すかさず回した手の甲をつねられた。痛い。
それにしても、本当に成長期を忘れてきてしまったような小柄さだ。ぎりぎり百六十五に届くかくらいの身長である。しかし意外と筋肉質なので、もしかしたら身体を鍛えた代償として伸び悩んでしまったのかもしれない。
しかし、そんなことはこの際どうでもいい。
「じゃあ、野居先輩。俺と、お互いを拘束しないけど、都合がつく時間に逢ってお喋りしたりしつつ、気持ちよくなる関係になりませんか」
大切なことは野居清史郎が俺の“おともだち”になってくれるかどうかだ。この学校にいるのは短い間とはいえ、つまらない日々は送りたくない。退屈は俺が最も嫌いなものの一つだ。
至近距離で俺の顔を覗き込んだ野居は、事も無げに、
「それ、セフレっていうんだよ」
と言い放った。
「じゃあセフレになって」
「いいよ」
そしてあっさり了承。いいのかよ。
つくづくここの生徒の貞操観念が心配になるが、俺としてはラッキーなことだ。慎も感化されてこれくらい気軽に、今日はペットプレイでお散歩しよう! くらい言ってくれてもいいのに。
そんなことを考えていると、擬似対面座位中の野居は無邪気に微笑みながら、指先で俺を弄び始めた。野居の指の腹が、俺の鎖骨や首筋の上を滑る。顎のラインをなぞられた時は、不意にぞくりとした。
「こんなに可愛いセフレなら、僕も大歓迎だよ」
にっこりと笑う表情は子どものように楽しげだ。それなのにどうしてか、その笑顔に妖艶さが見出された。
擽ったさと底知れなさが綯交ぜになって、その手を思わず掴んだ。動揺して戯れを中断したと知られるのは癪だったので、掴んだそれを引き寄せて、掌をべろりと舐めあげる。野居は微かに声を上げて笑った。
「……なあ、ここの生徒ってみんな、あんたみたいにユルユルなん?」
負担の多いネコ側だというのに会ったその日に転入生と関係を持つなんて、なかなかに大胆だと思う。少なくとも俺は、ネコの時はもう少し見定めてからにする。病気を移されたら嫌だ。
しかし野居は、きょとんとして目を瞬かせただけだった。
「僕、緩かった? 締まりはいい方だと思うんだけど」
「いや、そこの締まりじゃなくて貞操観念の話な」
下半身で会話してるのかこいつは。
昨日の、昼間から盛っていた保健室のアカネの姿が思い出される。結論として、やっぱりここの奴らはちょっとおかしいのだ。昼間から盛っている点については人のことを言えた義理ではないが。
「でもゴム使ったよ?」
「そーゆー問題?」
「そういう問題だよ。やっぱり僕は至って健全だと思うんだけど」
「健全ねえ?」
「だって、そこらに蔓延ってるキメセク中毒者とは違うもん」
「――え、なに。キメセク流行ってんの」
「一部ではね。夜な夜な乱行パーティ開いてるって噂だよ」
――アレグロだ。
アレグロは精神が異常に冴え、感覚が過敏になる症状が確認されていて、恐らく媚薬ではない。だが薬物が蔓延しているとなれば、関連性があるのは間違いないだろう。
俺は野居の右手を手慰みに、努めて平然と、さりげなく会話を進めた。
「それ、どこ行けば買えんの?」
「ええ? 絶対やめた方がいいよ」
野居は盛大に顔をしかめた。あまりに強く否定されたので、強引に踏み入り過ぎたかと冷や汗が出る。
「あれ、ギリ合法らしいけど絶対やばいやつだよ。うちのクラスメイトだって、薬やり始めたって噂になってから明らかに夢遊病患者予備軍だし」
「あー、そういう感じか。じゃあやめとくわ」
軽いノリで手は出さないということを明言すると、野居は少し安心したようだった。
だが、このまま引き下がるわけにはいなない。折角アレグロの情報が手に入りそうな機会だ、みすみす引き下がってなるものか。
「そーゆー、クスリとかやっちゃう奴って、やっぱクラスでも浮いてたりするわけ?」
「まあ、そうだよね」
「へえ」
「でもその子、北見くんっていうんだけど、元々は普通の子だったんだよ。前は部活にも打ち込んでる真面目な子だったし」
少し誘導すると、野居は面白いくらい上手く話してくれた。心の中で北見、という名前を数回繰り返して記憶に刻みこむ。その北見という生徒を元に辿っていけば、アレグロにぶち当たるはずだ。遠回りに見えるが、ちまちまと朝倉友成を探るよりも早いかも知れない。あいつは腹の中で何を考えているのか読めなくて分かりにくい。
その後、時折出てくる有益そうな情報をいくつか脳内メモに書き出しながらピロートークもどきをして、最後に連絡先を交換して野居と別れた。交換の時に少し見えた野居の画面は連絡先でいっぱいだった。慎も見習ってもっと交友関係を広めるべきだろうに。
なかなかに収穫を得たところで俺は教室に戻ることにした。といってもあとは終礼くらいしか残されていない。出席する必要性もないのだが、通学鞄を教室に置きっ放しで、中に寮の鍵が入っているのだ。取りに行かなかった場合、朝倉が帰ってくるまで待ち惚けをすることになってしまう。
教室近辺の廊下は、出歩く生徒もいてざわついていた。どうやら授業はたった今終わったらしい。これ幸いと扉を開けると、中にいたクラスメイトたちは異様な目で俺を見た。
そして俺の隣の席には、呆れ顔の鳴海がいた。
「柊、何処行ってたんだ」
転入早々サボりっているのはどうなんだ、と注意する声には、しかし心配の色も含まれている。
高校生にもなって、ここまで直球に注意してくるのは人というのは、一周回ってなかなかいないと思う。首を突っ込んで厄介ごとに巻き込まれるのは、誰だって御免だ。だというのにはっきりと俺に苦言を向ける鳴海は、本当に面倒見がいい。俺としては少しお節介だが。
誠実さを眩しく思いつつも、俺は口から出まかせな嘘をついた。
「ん、ちょっと頭痛くて保健室」
俺の嘘を信じ込んだらしい鳴海は、表情を一変させ、顔色を僅かに影を落とした。
「そうか、まあ慣れないことばかりだとそういうこともあるな」
それから更に深刻そうな顔で、
「あいつに会わなかったか?」
と声を潜めて尋ねてきた。あいつ、と言われて一瞬わからなかったが、すぐに脳裏に、ピアスだらけのグロい耳の、白衣をだらしなく来た男が思い出される。アカネのことだろう。
「いいや? 授業中だったしな」
尤も、あいつが授業を真面目に受けているのかは甚だ疑問だが。
その時、ちょうど担任が教室に入ってきた。終礼が始まったので、そこで自然と会話が途切れた。
担任がやや気怠げに連絡事項を述べているのを、生徒たちも大して聞く耳も持たずに、流れ作業的に進行していく。隣の鳴海を盗み見てみると、割と真面目であるらしい。腕を組みながらも、視線は教卓へと注がれている。
凛々しい横顔、と形容するに値する鳴海を姿をじっと眺めながらいると、不意に目が合った。俺は軽く笑いかけて、何事もなかったかのように目を逸らす。
――鳴海には、アレグロについて探りを入れたりしない方がいいかもしれない。
保健室でのアカネへの応対からして、鳴海はやや潔癖のきらいがあるように思える。薬物の話を振ったりしたら、こっちが疑われそうだ。当然、俺の不純同性行為についても言わない方がいいだろう。
などと思案を巡らせているうちに、終礼が終わって解放された。周囲の生徒たちが各々、自由に動き始める。
「柊、放課後は予定あるのか?」
「んー、同室の奴とメシ食うだけだな」
「同室って?」
そういえば、昨日は部屋まで手伝いに来るという鳴海の提案を(空き巣未遂をするために)断ったのだった。
「トモ。朝倉友成って奴」
鳴海は、僅かに目を細めた。――気がする。
「……そうか。なら今日は遠慮しておくか。暇な時はいつでも連絡してくれよ。俺も空いてたら行くから」
「…………ああ」
にっこりと笑って手を振り、鳴海は教室から去っていった。
だが笑顔を浮かべる前のあの一瞬は、見間違いではないはずだ。
朝倉の名前を聞いたその瞬間だった。確かに、鳴海の表情が全て抜け落ちて見えた。
***
やっぱり朝倉友成には、ああ見えて何かしらの秘密を抱えていると考えて良さそうだ。鳴海の反応はそういった何かを物語っていた。
結局この学校の中で、信頼していいのは慎か自分自身の二択である。
「そういうわけで、今日はこれから朝倉友成と夕飯食って好感度上げてるから」
部屋に戻ると朝倉はいなかったので、今日の定例報告を早めに行った。
自室のベッドに腰掛けて毛布の端を弄りながら、通話を始める。
慎は既に学校から離れているようで、電話越しに屋外の雑音が、微かに混じって聞こえてきた。
『そうか。お前は懐に入り込むのは得意だからな』
「慎も俺のカラダに入り込んできていいんだぞ」
『着信拒否にされたいか』
「怒んなよ」
慎の懐には入り込めていない気がするのだが。
「ま、とりあえず俺は今日寝た奴が言ってた北見クンを追っかけてみるわ」
『ああ。北見についての資料が用意でき次第、こちらから送ろう。くれぐれも慎重にしろよ』
「はいはーい」
『返事は一回だ、駄犬』
電話越しに冷たい声。思わず気分が高揚した。ちょっと犬扱いされただけで喜ぶなんて、我ながら変態かもしれない。
無人の部屋であるのをいいことに、にやけた顔を隠しもせずに返事をする。
「わん」
慎は一瞬の沈黙の後、軽く声を立てて笑った。蔑みと愛情の混じった、ペットへの微笑みである。
『随分と従順なものだな。いつ掌返しで噛み付くつもりだ?』
「そんなことしないし、した覚えもねえけど?」
『隙あらば馬乗りしてこようとする奴の言葉か』
「それは遊ぼうよって誘ってるだけじゃん。飼い主に構って欲しいんだよ」
『進んで人間以下の振る舞いをするとは、さすが真冬、僕の犬だな』
「そりゃあ、ご主人様の躾が行き届いてますんで?」
その時、唐突に二度目の沈黙が訪れた。気分を逆撫でするようなことは言っていないはずだが、と考え始めたところで、慎は小さく呟く。
『躾、か』
「…………慎?」
なんだか妙に気になって様子を伺ったが、
『……いいや。お前はまだ躾が足りていないと思っただけだ』
と、あまり釈然としない答えが返ってきただけだった。急に変な奴だ。そうは言っても、慎の声音は平生から変わらず静かで起伏に乏しいので、電話越しからは何を考えているのか分からない。考えても仕方がないので、とりあえず追及しないこととする。
「ええー、俺めっちゃ良い子だろ。ご主人様が一言命令しただけで、こんな監獄学園よろしくむさい男子校に乗り込んできたんだぜ」
『確かに、機動力については優秀だな』
「機動力、は?」
『まさか自分が賢いだなんて言い出しはしないだろう』
全くもって返す言葉がない。
実を言うと、ここでの授業はほぼ全て、俺には理解できない領域である。真面目に聞いているわけではないが、聞いていたら分かるのかと言われれば、答えはノーだ。
この学校も当然ながら定期テストがある。任務を終わらせられずにぐずぐずしていたら、テスト期間に突入してしまう。意味不明な問題に小一時間向かわされる数日間なんて、絶対に御免だ。
呻き声を上げた俺に、慎は微かに笑った。今度はそこまで悪どくない笑い声だ。
『あまりにも酷いようなら教えてやるから安心しろ、真冬』
慎と勉強、という風景が頭の中に思い浮かぶ。二人きりの部屋で机を囲んで過ごす――俄然テンションが上がってきた。勿論、「勉強してたけれどいつの間にか妙な雰囲気になって、背後のベッドに雪崩れ込む」までが一連の流れだ。
「おうおう、俺めっちゃ勉強するから。だから慎、先生役はよろしくな!」
『……いきなり張り切りだしたな』
「うんまあ、ここに来て勉強の楽しさに目覚めちゃったって感じ?」
『それは良い傾向だな、期待している』
「俺もイケナイ家庭教師ごっこ期待してるからよろしくな!」
速攻で通話を切られた。
ともだちにシェアしよう!