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パーティー開始から一時間ほどが経った。
僕は占部昭一の姿を会場内で見付け、見知ったSAKURA産業の役員らといくつか談笑し、上機嫌な父とは二十二時に本社へ向かう旨を直にも報告した。
その間、度々行方不明になる七海さんを探しては窘め、探しては窘めを繰り返し。
重大な目的を果たす直前の僕は、度重なる嫉妬の積み重ねによってすでに疲弊した。
……彼の魔性を、本当に本当に甘く見ていた。
「どうして離れるんですか!」
「離れてないって! 俺の身長だとあっという間に人波に流されるんだよ!」
「そんな事あるはずないでしょうっ? それほどギュウギュウ詰めってわけでもないのに! 僕にしがみついてないとダメじゃないですか!」
「人前なのに嫌だよ、恥ずかしい!」
聞きたい情報は手に入ったので、もう場内には用は無いとばかりに七海さんを連れ立ってホテルのロビーへとやって来た。
小声で叱ると、七海さんも小声で言い返してくる。
窘めて言い合いしながらも、こういうの恋人同士のやり取りって感じでいいなぁ……なんて思ってしまった。
けれどすぐに、知らない男から顔を近付けられたり背中を撫でられたりの無防備な七海さんの姿がよぎって、……やっぱり許せない!
「こんなにあちこちに魔性を振り撒かれたら、僕の身が保ちません!」
「俺に魔性なんてないよ!」
「あります! 今日でその効果の程を確かめさせて頂きました! お酒ももう飲まないでください!」
「えぇっ……!」
「今日はもう我慢して!」
「…………ちぇっ……」
七海さんは決して、自ら進んでお酒を飲んでいたわけではない。
話し掛けられて、勧められて、仕方なく付き合っていた。 SAKURA産業の秘書課勤務という事になっている手前、無闇に断ると会社の心象が悪くなると考えていたに違いない。
だからって、声を掛けられて律儀にそれに応じていた七海さんは、九条さんの言ってた通りほっぺたと耳、あろう事か目元までをも薄紅色に染めて瞳を潤ませている。
僕を見上げてムムッと怒っている七海さんの可愛さが、確実にパワーアップしていた。
もう飲ませられない。 会場内へも行かせられない。 女性もたくさん居た中で、どうして男性らは七海さんに声を掛けてくるのか……それはもはや愚問というものだ。
「派手に言い合ってんなぁ」
七海さんにうるうると見詰められて困り果てていた僕の背後から、よく知った声がして振り返る。
するとそこには、ダークグレーのスーツに見を包んだ九条さんが居た。
「九条さん!」
「九条君! なんでここに!」
「俺も参加者の一人。 数少ない一般枠でな。 あっちに居る強面が俺の親父」
「それならそうと教えてくだされば良かったのに……」
「言うと面白くねぇじゃん。 七海連れてきたら絶対こうなるだろうなって分かってたからな。 お坊っちゃまがキレるの見たかったんだよ」
なんだ……九条さんもあの会場内に居たんだ。
七海さんの魔性を知る者が現れたからか、不思議と彼を見るといくらか心が落ち着いてきた。
「……お察しの通り。 およそ一時間で六名ですよ、六名」
「えー五人だろ?」
「六名ですよ! 最初に声を掛けてきた方をお忘れですか!」
「あっ……そうだった」
酔っているわけではない、ただの天然発言を聞くと無性に、僕がしっかりしなくちゃと思わされた。
ノンケの男を狂わす容姿と、物言いたげな視線、憂いを含んだ横顔、全身から漂う魔性のフェロモン……これを自覚してもらわないと、僕は心臓がいくつあっても足りないよ。
「あははは…っ! 面白れぇ。 こうなっから目離すなっつったろ?」
「役員と話をしていたらどうしても目が離れてしまうんです。 それでも五分程度ですよ? ずっと七海さんの体を抱いているわけにもいかないですし……七海さんは僕にしがみついていて下さいと叱っていたところです」
「……あと酒飲むなって言った」
「それは七海の流し目がヤバイからだろ」
「なんだよそれ! 俺がそんなの出来るわけないだろっ? 流し目ってどうやるんだ!」
「……それを魔性だと言ってるんですよ、七海さん……」
自覚してほしいと願ったそばから飛び出した無自覚発言に、僕は思わず脱力した。
今でさえ九条さんと僕を潤んだ瞳でキョロキョロと見上げている。
流し目なんて、素人が意識して出来るものじゃないよ。
初めてを奪った翌日、熱っぽかった七海さんと接した僕はその流し目を何度浴びたか分からない。 あれはまさに集中砲火だった。
今となっては僕を後悔から掬い上げてくれた七海さんに、あの時の僕は何度も「魔性はやめて」と言ったはずだ。
「それより、手掛かりは掴めたのか?」
「あ、……えぇ。 役員からの情報で、例の人物が上の三○五の部屋を取ってあるとか」
「ただ部屋取ってるだけじゃねぇの?」
「それを確かめに行くんです。 あっ、もうこんな時間じゃないですか! 行きますよ、七海さん!」
これから三階まで上がり、占部昭一の部屋に一体誰が入るのかを見届けてその証拠写真を撮る。
よりによって今日を選んで内密に誰かと接触する事自体が解せないので、中でどんな取引が行われているかは把握出来ずとも、他社との密会の証拠さえ掴めばよりスムーズに退陣に追い込める。
腕時計を確認して七海さんの背中に手を回すと、例の潤んだ瞳を向けられた。
「……なぁ和彦。 何もかも終わったら乾杯しようか」
「……そんなにお酒がお好きだったんですか。 えぇ、いいですよ。 すべてが片付いたら乾杯しましょう」
「えっ! ほんとか!? よーしっ。 あいつらを滅多打ちするぞー! 探偵ななみ出動ー!」
……そんな大声出しちゃ周囲に聞こえてしまうよ、七海さん。
元気にエレベーターの方へ歩いて行った七海さんが、呆気に取られて立ち竦んだ僕らを振り返って「置いて行くぞー!」と声を張る。
張り切っている七海さんは可愛い。 けれど僕、これから決着も付けなきゃいけないのに、いっぱいヤキモチ焼き過ぎてすでに疲れちゃってるんだけど……。
七海さん、あれで本当に酔っていないの?
「……なんであんなに元気なんだ? 七海」
普段とは違う七海さんに唖然としていた九条さんも、不思議そうだ。
「……お酒飲んだから、ですかね?」
「いや違うだろ。 何かいい事あったんじゃね?」
「いい事、ですか……」
まだ決着は付いてない。
それなのに、ほろ酔いの七海さんがあんなにもご機嫌な理由など、僕にはまるで見当もつかなかった。
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