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1章[卒業]2-あれは僕だよ

高等学校や大学の卒業が七月から三月に変わったのは少し前のことだ。まだ寒さの残る時期の卒業は、めまぐるしい世界情勢の中、未来の厳しさを俺たちに自覚させるもののように感じられた。 卒業を控え、三年生には一足早く寮を退出する者も出てくる。 俺の入っている六人部屋はとりわけ多くの生徒が退出し、さらに下級生まで実家の事情で帰郷したため、卒業式の一週間前には清比古と二人きりになってしまっていた。 それでも部屋を占有するようなことはなく、これまで通り各自の領域を守り、就寝時も板敷きにきちんと布団を並べて眠る。 二人きりになったからといって、生活は変わらなかった。 そんな中、俺には小さな不満があった。 清比古が最近まで進路を教えてくれなかったのだ。 もしかすると進学を取りやめ就職し、故郷へ戻ってしまうのではないかと心配していたが、結局多くの優秀な生徒と同じく帝大へ進学することとなったらしい。 「なぜなかなか教えてくれなかったんだ」 布団に入ってなお、俺は清比古を問い詰め続けていた。 消灯の時間を過ぎ、それまで曖昧にごまかしていた清比古が、闇の中で小さく息を口に含んだ。 ようやく発言する気になったに違いない。 じっと待つ。 けれどなかなか清比古は言葉を発しなかった。 進路を教えてくれない彼を、俺はなんて友達がいのない奴だなどと思っていた。 しかしここに至って、ようやく俺は気がついた。 いくら親友だとはいえ、これほどまで言い淀む事を、執拗に聞く自分はなんと無神経だったのか。 今更ながら、おのれの愚行を恥じた。 「清比古、もう聞かないよ。言わなくていい」 「彬……。い、いや、言う……言わせてくれ」 俺が怒ってしまったと勘違いをしたのだろう。 乞うような清比古の声は布団でくぐもっていた。 「陸軍士官学校へ行きたかったんだ」 「え?なぜ……」 想像もしなかった答えに驚いた。 陸軍士官学校は中学校を卒業してすぐ入学するのが一般的だ。 清比古は学業優秀者として、故郷の支援を受けてまで高等学校に進学している。今更なぜと誰だって思うだろう。 「……僕は……不適合だから」 確かに陸軍士官学校は勉学に加え身体能力が優秀である必要がある。 清比古の細く小さな躰では合格は難しい。いや、無理だろう。 中学卒業後、高等学校で勉学に励んだ三年間、清比古は己の肉体がたくましく成長することを期待し続けていたのか。 しかし、結果は……。 「僕は欠陥品だ。僕は駄目なんだ。彬、僕は死にたい」 俺は布団を飛ばして跳ね起き、清比古の顔を覆う布団を剥いだ。 「何を言って……士官学校がなんだというんだ。帝大へ進学する清比古が欠陥品なわけないだろう!」 月明かりに清比古の顔が青白く浮かぶ。 「わかってる……死なない。けど……僕を殺して」 「何を……何故俺が……」 思いもよらぬ言葉を立て続けに投げかけられ、俺は完全に混乱していた。 確かに士官学校と大学では、その先の人生は大きく変わる。 とはいえ、最難関の帝大に合格したにも関わらず、将来を悲観するなど考えられないことだ。 とにかく清比古がおかしな行動を取らないよう、俺は布団の上から馬乗りになり、両腕を押さえた。 正確に脈を刻む、細い手首に命を感じる。 にも関わらず「殺して」と言う清比古がすでに死んでいるように思えた。 いつも目の上で揃っている綺麗な髪が乱れ、形のいいひたいがむき出しになっていた。 これから大学生になるとは思えないほど幼い頬と細いあご。 少し潤んだ黒いまなこが揺れながら闇を映している。 ロウのように白い肌が作り物めいて見え、俺は顔を寄せて呼吸を確認せずにはいられなかった。 赤い唇に視線が吸い寄せられる。 温かい清比古の唇に、俺の命を分け与えれば、もう死にたいなどと愚かなことは言い出さないのではないか。 この躰を抱きしめ、俺の熱を分け与え続ければ『死』など近寄ることができないに違いない。 清比古が長いまつ毛を震わせ瞬きをした。 彼は確かに生きている。 しかしどこか作り物めいて見え、生きているのか死んでいるのかわからなくなってくる。 「彬、覚えてる?夏祭りで見た生き人形を」 「……」 今まさに俺の脳裏にあったのはそれだった。 生と死を感じさせる、柔らかそうな頬をした革トランクの中の少年。 「あれは……僕だよ」 「……何を」 今目の前で月明かりにほの青く肌を照らされる清比古は確かにあの人形のようだった。 いや、あの日トランクに詰められていたのが清比古の屍体で、今ここにあるのが生き人形なのでは。 あり得ない妄想に、心臓がギュッと縮んだ。 「僕は不出来で役立たずで箱の中に押し込められた人形だ」 感情の無い声ではあったが、清比古のその言葉に俺の躰の強張りが少しとけた。 そうか、清比古はあの人形と自らを重ね合わせて感傷的になっていたのか。 「君は優秀で将来有望な学徒だ。不出来で役立たずなわけないだろう。確かにまだ何も成し得ていないが、これから社会に大きく貢献することは間違いない」 「そうだね……帝大で学び、君の言うような人間になりたい。だから軍人への夢を持っていた僕を、一度君の手で殺して欲しいんだ」 次へ進むために、まだ夢を捨てきれぬ自分を消したいというならば、理解できる気もする。 しかし清比古の硬い表情を見ていると「殺して」と言った本心は別にあるような気がしてならない。 「一度殺すと言ったって、本当に死んでしまってはいけないだろう。俺にどうして欲しいんだ」 「そうだね。僕はあのトランクから出て、一度バラバラになってまた君に組み立てられたい。そうしたら少しはマシな人間になれるような気がするよ」 「バラバラに……?」 そう言われて余計に分からなくなった。 清比古が本当に生き人形なら、首を外し、腕を外し、どうにかバラバラにすることができるだろう。 けれど人間を生きたままバラバラになどできるはずがない。 仮に指を切り落としたとして、それではただ傷つけただけ。その傷が癒えたからといって俺が組み立て直したとは言えない。

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