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13-卒業式
朝、目を覚ませば、そこには甘い空気と少々の気まずさがあった。
そう乱暴なことはしていないはずだが、この日も清比古は躰にまだ残るアザを確認して嬉しそうに頬を緩めた。
窓から差し込む光を受けた幼い横顔が眩しい。
学校での清比古は妙にご機嫌で、俺に向ける笑顔には親密さが増していた。
数人の級友に意味ありげな視線を向けられ、「清比古は何かいいことでもあったのか」と、あえて俺に問うて来る者までいる。
「さあ、俺にはわからないよ」ととぼけてはいるが、自慢げな表情 を晒してしまっていないか心配だ。
寮の部屋に戻れば、当然のように二人きりの甘い時間となる。
清比古は、はにかみながらも俺を求め、嬉しそうに奉仕してきた。
そして、俺はねだられても、もう暴力的にアザを残すようなことはしなかった。
暴力ではなく、優しさで清比古を縛りたい。
柔らかな肌に慈しむようにふれているうちに、彼も俺の愛情を素直に喜べるようになってきたようだ。
そうやって、三日後の卒業式の朝には、清比古の若く健康な肌は、幾つかの小さな青黒い斑点と、ぼんやり赤み黄ばみが残るだけで、かなり綺麗な状態になっていた。
……にもかかわらず。
「彬、お願いだ。今日は卒業だから、ここに……お願いだから」
まだ寝間着のままの清比古が、胸を指し示して噛み痕を残して欲しいと懇願してきた。
俺はそれを断った。
見えないところだとは言え、できるだけ綺麗な躰で式に臨んだ方が良いに決まっている。
それでも頼み込んでくる清比古に手を焼いていると、一年生が清比古に学校の事務室に電報が届いていると知らせに来た。
それを受け、清比古は急いで支度を整え、一足先に学校へと向かった。
卒業祝いの電報なら、式が終わって寮に届けられるはずだ。しかし、早朝にしかもわざわざ学校に取りに来るようにというおかしな伝言を不思議に思った。
祝電ではなく、急ぎの用向きなのか。そうとなると、不吉な内容しか思い浮かばない。
清比古が悲しい思いをしているのではないか、心配になって俺も急いで学校へと向かった。
まだ生徒もまばらな教室で、俺を迎えた清比古は非常に晴れやかな笑顔だった。
「電報は、なんだったんだ?」
「うん、大したことじゃないよ」
そんなはずはない。
しかし俺に心配をかけないように笑顔を作っているようにも見えない。
「もしかして、何かいい知らせだったのか?」
「いい知らせ……?そうかもしれない。うん。いい知らせだった。やっぱり彬は誰よりも僕のことをわかってくれているね」
突き抜けるような明るさと暗さが混在する、不思議な表情を見せ、清比古が俺に抱きついてきた。
人前で清比古がこんなことをするなんて。
驚いた俺に、清比古はさらにとんでもないことを言い出した。
「やっぱり厠 で僕の心臓の上にアザをつけてくれないか?もし傷つけるのがどうしても嫌だというなら、僕が奏でるから、君を飲ませて欲しい」
遠回しではあるが、つまりは学校の厠で清比古にしゃぶらせ、飲精させろということだ。
もう卒業してしまうとはいえ、学校でそんな真似、俺にできるはずがない。
目をむいた俺の手を清比古が握り、ねだるように手のひらをくすぐってくる。
寮でしか見せない媚を含んだ視線に、理性が揺さぶられた。
「清比古………」
「ああ、ここに居たのか、式のことで先生が呼んでいるぞ」
俺が折れそうになった時、また清比古が呼ばれた。
成績優秀者は式で生徒を代表して挨拶をすることになっており、次席の清比古は、先生方への感謝の言葉を任されているのだ。
小さく唇を噛んだ清比古は、すぐに優等生の顔に戻って打ち合わせに向かった。
ここ最近の清比古はずっと思いがけない言動ばかりだ。
さっきの要望は高校生活最後の思い出づくりのつもりだったんだろうか。
学校でなんてとんでもないことだが、常識を捨て甘えて来る彼を、俺はこれまで以上に愛おしく感じた。
卒業式で清比古は凛として役目を務めた。
そして式終了後、三月の冷たい風が吹く中庭では彼の周りに人垣ができていた。
普段の清比古は優しいが一定以上人を寄せ付けない。だが卒業ということで、握手を求める生徒たちが我も我もと群がったのだ。
少し困ったような笑顔で一人一人と握手を交わしていく。
俺のところに握手を求めに来る者たちも多く居たため、清比古の困惑はよくわかった。
最後の一人と握手を交わし、フウと息をついた清比古を労う。
「人気者だな」
「いや、物珍しいだけだよ。人気なら彬の方が上だ」
握手とは違う手つきで俺の手を握った。
「待たせてごめん。さあ寮に戻ろう」
「いや、家族が来ていない清比古をここに一人残すわけにはいかないと思って待っていたけど、俺はこれから本家へ卒業の報告に行かなければならないんだ」
「え……。夜には寮に戻って来るんだよね?」
「いや、今日は実家に泊まることになると思う」
「どうして?卒業式の日だよ?高校最後の日なのに……」
「卒業式の日だからだよ」
卒業式では目を潤ませることのなかった清比古が、見開いた目の淵に丸く露を浮かべた。
「でも……でも今日は僕と一緒に過ごして……挨拶は明日でも……」
「いや約束しているんだ。なんだ、そんな泣くようなことじゃないだろう。寮を出ても下宿はすぐそばだし、毎日だって会えるじゃないか」
「でも、今日、一緒にいて欲しいんだ」
「今日行くと本家に伝えてるんだ。親も駅で俺が来るのを待っている。明日の午後には退寮の手続きで寮に戻るから、その時二人で最後の夜を過ごそう」
「『最後』の……夜」
反芻され、顔を覗き込んで発した自分の声音の甘ったるさに少し気恥ずかしくなった。
「清比古、寮まで送るつもりだったんだが、駅に向かわないと汽車の出発に間に合わなくなる」
小さな体をぎゅっと抱きしめる。
冷たい風にさらされ冷えた体に、愛おしい熱の塊として清比古の存在が胸に染み込んでゆく。
名残惜しさを断ち切るように手を離すと、立ち尽くす清比古をなんども振り返りながら、俺は早足で駅へと向かったのだった。
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