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14-恋しくて
本家へ足を運び、卒業の挨拶をする。
祖父に帝大進学は当然のこととして、成績優秀者でなかったことにチクリと嫌味を言われた。
教授か官僚になるように。間違っても民間に下るような馬鹿はするなと説教は続く。
官僚と言ってもどうせ大蔵省や内務省でなければ納得しないのだろうが、清比古ならまだしも、俺では可能性は低いし興味もない。
神妙な顔をして話を聞きながら、似たような話も三周目ともなれば、心は清比古の元へと飛んでいた。
明日は清比古と寮で過ごす最後の日となる。
これまで手荒なこともしてしまったが、せっかくなら古 の物語のように、抱き合いゆっくりと言葉を交わすような、美しく優しい交わりを持ってみたい。
そしてそういう交際こそ清比古にふさわしいはずだ。
清比古を想えば面倒な長話も苦痛ではなかった。
本家のそばにある自宅に一泊した俺は、少しでも長く清比古と高校生活を惜しむべく、早々に寮へと戻った。
寮の部屋の戸を引き中を覗くと、違和感があった。
急いで隣の部屋へと走る。
「……清比古は!?」
「え……昨日退寮したけど、知らなかったのか?」
同級生の渡会が目を丸くして片付けの手を止めた。
「退寮!? 昨日は卒業式だ。寮で追い出し会があったんじゃないのか」
「事情により卒業式の日に退寮する者だっているだろう。君だって会には参加しなかったじゃないか」
「……清比古は今どこに?」
「そりゃ下宿先だろう。しかし、清比古は君にも言わずに出て行ったのか。卒業前になって随分仲良くし始めたと思っていたのに。しっかり捕まえておかないとすぐに誰かに取られてしまうぞ。いや、もう手遅れかも……」
どうやら渡会には俺と清比古の事が知れていたらしい。
おそらく時々大きくなる清比古の艶かしい声が、隣に漏れていたのだろう。
しかし、そんなことは、もうどうでもいい。
余計な忠告をする渡会の言葉途中で、俺は廊下に出ていた。そしてそのまま清比古の下宿先に急いだのだった。
息を切らして清比古の新しい下宿先につくと、人の良さそうな夫人が出て来て、彼は郷里に戻ったと言う。
まさか、進学を諦めてしまったのではと不安になったが、どうやら不幸事があって帰ることになったようだ。
夫人は、戻りの予定はわからないが、入学までには下宿に入ると言い置いて出立したことを加えて教えてくれた。
俺はホッと胸をなでおろし、下宿の夫人に感謝を伝えた。
そして、動転しながら走った道を、ゆっくりと寮へと戻る。
まさか心を通じ合わせたばかりの清比古が、何も言わず自分の前から姿を消すなど、想像もしていなかった。
結果的には実家での不幸という急な用件だったわけだが、この先、清比古の心が俺から離れてしまうことだってありうるのだ。
………。
その時、何かが引っかかった。
卒業式当日の不自然な学校への電報、そして同日の急な退寮と帰郷。
もしかすると、朝の電報が訃報だったのでは?
しかし清比古は訃報を受け取ったとは思えないほど機嫌が良かった。
そして卒業式の夜を二人きりで過ごすことを楽しみにしており、帰郷を考えているようには見えなかった。
俺が清比古と別れた後、訃報を受け取ったとしか……。
よくわからない不安に胸がムカムカとし、胃酸がこみ上げる。
寮に着くと、清比古のいない部屋に留まる気になれず、俺はすぐに退寮手続き済ませてしまった。
新しい下宿は清比古の下宿から歩いて三分程度の近距離だ。
そのままそこに入ろうかとも思ったが、下宿が近ければいつ清比古が戻るのかと、より落ち着かなくなりそうな気がして、家主に挨拶をすると荷物を預け、一旦実家へと戻った。
実家に戻っても結局考えるのは清比古のことばかり。
それでも生まれ育った部屋は落ち着き、高台に建つ屋敷から港へ向かう船の往来をボーッと見ているだけで気が紛れた。
何度も何度も清比古の言動を振り返る。
やはりあの電報は訃報だったのではないか。
それにもかかわらず清比古があんな反応をしたということは……。
俺が想像できる範囲では一人しかいない。
清比古が『あの男』と呼ぶ人物だ。
清比古には母と祖母、そして下に妹弟がいるが、すでに父親はなく、そして兄もいない。にも関わらず「あの男」の訃報が届くということは、俺の聞いたことのない祖父か叔父が同居していたに違いない。
確か清比古は一度『おいちゃん』と口走らなかったか?
まだ想像に過ぎない。
しかし、逃げ場のない子供を慰み者にした男への憎しみがさらに増す。
そんな男の葬儀になど顔を出したくなかったはずだ。
実際、俺と行動を共にしていた間、清比古は帰郷する気などないように見えた。
なのになぜ帰ったのか。
何度考えても同じところにたどり着く。
俺のせいだ。
清比古は故郷を遠く離れ高校生活を送っている間も、生き霊に取り憑かれたかのようにあの男に心の一部を支配されていた。
そんな相手の訃報が届いたとしたら、喜びながらも亡霊となった男が訪ねて来て、再び己を支配するような気がして恐ろしかったのではないだろうか。
だから卒業式の日、何度も俺を引き留めた。
いつもの清比古なら先約がある俺に自分を優先して欲しいなんてわがままを言うはずはない。
みな退出しガランとした寮の部屋に一人でいれば恐ろしくて、あの男が本当に亡くなったのか確認せずにいられなくなった……。
突拍子もない考えのような、しかし非常に現実的な推論のようにも思える。
あの男の死を確認した清比古は、どう反応するだろう。
過去から解放されたのならいいが、再び暗い記憶に囚われ、思考が後退してはいまいか。
いや、そもそも本当に亡くなったのか。
まさか清比古を連れ戻すための方便なんて事は……。
再度慰み者にされ、将来を悲観して自ら命を絶つ……なんて事になってしまったら。
良くない想像ばかりが膨らむ。
俺は清比古に手紙を書いた。
寮に戻ったら清比古がいなくて驚いたこと、戻ってくるのを楽しみにしていること。飾らない言葉でそのままを書き綴る。
『君が恋しい』とはどうしても書けなかった。
『恋しい』では足りない。
俺は清比古に飢えていた。
ふれあい、愛を交わせなくてもいい。
爽やかな草原のような清比古の髪の薫りを嗅ぐだけで構わない。
清比古の存在を感じたかった。
けれどその想いをうまく文字にする事ができなかった俺は、何度も便箋に口づけをして気持ちを託した。
………。
しかし帰郷した清比古から返事が届くことはなかった。
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