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16-新しい関係

進級するたび、俺と清比古の距離はどんどん開いていった。 そこに東京を大混乱せしめた震災がおこった。 幸い俺の下宿にはそう大きな被害はなかったが、近所には瓦が落ちた家や柱の傾いた家もあった。 不安にかられた俺は、清比古の下宿に走った。しかし清比古は外出中だと言う。 しかし、本当の災害はそれからだった。 方々から上がった火の手が風にあおられ次々と延焼。 大火により東京は壊滅的被害を受け、大混乱に陥った。 遠方の炎が束となり、天を焼くのが見える。 想像を絶する光景だった。 俺は消火や救援作業をしながら、胸が潰れるような思いで清比古を探し続けた。 焼土と化した街で、交通の麻痺により下宿に戻れないまま、友人たちと救援活動に加わっていた彼とようやく再会できたのは五日後の事だった。 姿を見留めた途端駆け出し、人目もはばからず強く抱きしめ清比古の無事を喜んだ。 清比古も俺の無事を喜び、友人たちの存在を忘れ、口づけを交わせそうなほど間近で、瞳を揺らし何度も俺の顔を確認する。そして涙目ぐみながら俺の顔の汚れを拭いてくれた。 俺のシャツを強く握りしめる手から、そしてふれる肌から、俺は強く確信した。 清比古の中にまだ俺がいると。 ようやく心がつながった。 清比古が俺を求めている。 胸が震えた。 しかしこの慌ただしい状況だ。俺は別の現場への移動途中で、清比古との再会は数分で終了となった。 そして俺はまた同じ後悔をする事となる。 手放したくないなら、離れるべきではないのだ。 この出会いの後も、他の多くの帝大生と同じように、俺も清比古も自発的に救援活動に携わり続けた。 当然、清比古と会うこともあるだろうと思っていたのに、噂は耳にするものの、同じ現場になることがない。 そんな事をしている間に、なぜか清比古が下宿を移してしまっていた。 もちろん俺へ転居通知もない。 おそらく何か事情があるに違いない。 しかし、その事情がわからない。 帝大も大部分を焼失したため仮設校舎で授業を再開したが、学部の違う清比古とは会う機会もすっかりなくなり、たまに見かければ隣に絵に描いたような眼鏡の秀才が常に陣取っている。 あの震災下の邂逅が嘘だったかのように、俺は『顔を合わせれば挨拶をする、かつての同級生』にまで成り下がってしまっていた。 俺にとって幸いだったのは、その眼鏡の秀才にはすでに婚約者がおり、二人の間に友人以上の親密さが見えないということくらいか。 ただ、清比古がそういう気配を上手く隠せるようになっただけかもしれないし、他所に相手が居ないとも限らない。 しかも、彼の友人の中には人目なんぞ気にせず、冗談めかして秋波を送る手合いもいる。 たまの清比古との遭遇は、俺に喜びと苛立ちを生んだ。 同時に俺も交友関係が変わっていた。 いかにもエリートといった者たちより、文学や芸術について熱く語る道楽者と共に過ごす事が多くなった。 たまり場のカフェーやアトリエで芸術談義をして盛り上がる、その中で特に仲良くなったのが貴水(たかみず)という男だ。 絵画をしていたらしいが、オーギュスト・ロダンに憧れて彫刻を始め、程なくして人形作りに転向したらしい。 現在人形師に仏師などのような徒弟制はないため、他の作品に学び、時に著名な作家と交流を持ち習うこともあるようだ。 彼は興味本位で取り組んだ一作目から、絵画で培った観察眼と彫刻の技術で、なかなかのものを作り上げ、そのことに気を良くし、将来これを生業(なりわい)としようと決め、現在研鑽(けんさん)中だそうだ。 その貴水から、行きつけのカフェーで思いがけない話を聞いた。 「ああ、間違いない。なかなか美麗でいい生き人形を作っていたらしいが、制作が遅かっためあまり出回っておらず、世間に知られてもいないんだ。需要が高まっている人体模型やマネキンなどには対応できなかったようだし食って行くのは難しかったんじゃないかな」 貴水が教えてくれたのは、亡くなった清比古の叔父の話だった。 凍えたような唇、そして滑らかな頬。 美しいまつ毛に彩られた目。 あの夏の見世物小屋の生き人形を生々しく思い出し、俺は震えた。 そして卒業前の清比古との濃密な時間。 ——彬、覚えてる?夏祭りで見た生き人形を ——あれは……僕だよ 俺はずっと、清比古があの見世物小屋の人形と自分の境遇を重ね合わせた言葉だと思っていた。 けれど……。 恐らくアレは本当に『清比古』だったのだ。 確か、清比古は実家の土蔵の中にバラバラの死体のような手足があって怖かったとも言っていた。 それまでの印象がガラリと変わる。 自分を模した生き人形が置かれた土蔵の工房……。 いくつものガラス玉の視線を受けながら、『お前は淫乱な人形だ』と罵られ、叔父の人形師に淫らなオモチャにされる清比古。 苦しくて、痛くて、心を壊され、作り変えられて……。 『お前が誘うのが悪いのだ』と罵られ、鬱憤のはけ口とされる。 恐らく仕事が上手く回らないことも全て清比古のせいにしていたに違いない。 息が苦しい。 まるで俺まで土蔵に閉じ込められてしまったような気分だ。 ………。 ……………あれは……僕だよ。 ああ、そうか。 俺は、まだ清比古の頼みを完遂できていない……。 だから清比古が俺から離れたのか……。 険しい表情で黙り込んでしまった俺を不思議そうに貴水が見つめる。 それでも問いただすような事はせず、彼は甘ったるいドーナツを口に入れた。 「お願いがあるんだ。何年かかってもいい……」 重苦しく口を開いた俺の依頼に、貴水は興味深げに頷いた。

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