21 / 27

21-後悔

「清比古は俺があの子を大切にするのが不満か?」 「当たり前だろう!」 ——ならなぜ、君は俺から離れたんだ? 清比古を責めそうになり、ぐっと飲み込んだ。 清比古を抱きかかえたまま書斎を出て、寝室に向かう。 もっと思い出してもらわなければ。 俺を必死で求め、なりふり構わずぶつかってきた、あの冬の焼け付くような気持ちを。 寝室のドアを開けると、また清比古が息を飲んだ。 ベッドサイドの椅子には浴衣の清比古が座っていた。 媚びた上目遣いで男を誘うセックスドールだ。 「……」 清比古が躰を縮め小さく震える。 その姿からエリート官僚の面影は完全に消えていた。 「書斎の清比古より、この清比古との方が長いよ。もう四年になるかな」 清比古が片手で顔を覆った。 「聞きたくない……。どうして……」 「どうしてって、だから、清比古と約束したからだよ」 「約束って……だって僕は『僕を壊して』って言ったのに!どうしてそんなに長く人形なんかと一緒に!」 清比古と共に寮で過ごしたよりも、長い期間この生き人形と暮らしている。 その事に対し、激しい苛立ちを抑えることができないようだ。 「壊すまでの間であっても、俺が『清比古』を大切にするのは当然だろう。それに彼を君より大切にしていたわけじゃない。単に君が俺のそばにいなかっただけだ」 腕の中の清比古を、そっとベッドに横たえる。 そして柔らかな頬を、人差し指の甲でなでた。 「俺の元に戻ってくれば良い。そうすれば彼らは、ただの木片と金属に戻る」 「……そんな……そんなことできるわけない」 「なぜだ?」 「僕には……君の元に戻る資格がない」 「資格なんて、清比古の解釈次第でなんとでもなるだろう」 「……」 黙り込んだ清比古に覆い被さり、逃さぬように顔の横に両手をついて、じっと目を見つめる。 「俺の高校時代の親友は、田舎の貧しい農村生まれだった。育ちの釣り合いなど言い出せば、俺は彼と友人になれなかっただろう。郷里で実の叔父の慰み者にされていた彼は、当時もそばにいる資格がないと思っていたようだが、俺の友情に応えてずっと親友で居てくれたよ」 突然語り始めた内容に、清比古は眼球がこぼれそうなほど目を見開いた。 「その親友は『友として釣り合わぬ』と自分を卑下していたにも関わらず、自分から関係をねだって俺の初めての恋人の座に収まった。そんな彼の大胆さと図太さは、彼を手放したくない俺にとっては非常に好ましいものだったよ。その後大学に入学すると、彼はなぜか俺の元から離れて行ったが、官僚となり、順当に出世しても、条件の良い見合いの話を断り続けていると聞くし、そもそも俺は彼と別れた覚えがないから、彼は今も俺の恋人なんだよ」 呼吸を忘れ凍りついた清比古は瞳を揺らし、俺の暴論を理解しようと盛んに脳を回転させている。 「君は、苦難を乗り越え、信望を集めるエリート官僚となった俺の恋人よりも、あの卑猥な人形たちの方が俺のそばで暮らすのに充分な資格を持っていると思うかい?」 清比古は宝物を奪われた幼子のように強い目で人形を睨みつけた。 「それに、俺は資格の有無よりも、なぜ俺から離れていったのか、資格がないと思うに至った経緯を知りたいね」 「あ……」 かすれた吐息とともに、俺に向けられた視線は、一転して弱々しく、不安に曇っていた。 「それは……全て僕の自分勝手……。そうだ、だから僕のことなど忘れてくれて……構わないから」 「道を見失った子供のような目で忘れてくれと言われて、素直にその言葉を信じられると思うか?それに自分勝手だったと言うなら、わずかでも俺に申し訳ないと思う気持ちがあるだろう?……教えてくれ。どうして俺から離れたのか。そして俺はどうすべきだったのか」 「僕が……彬に甘え過ぎていただけだ。彬に強引に躰の関係をねだり、すがって、依存して。それでも彬は僕を受け入れてくれたのに、勝手な思い込みで全てを駄目にしてしまった……」 そこで口をつぐんだ。 しかし、柔らかな頬をなで、その先の言葉を催促すると、清比古はあきらめたように弱々しく続けた。 「今考えると、高等学校最期の時を彬と二人きりで過ごせる事が幸せ過ぎて、僕はタガが外れていたんだと思う。けれど恥知らずな僕を彬が受け入れてくれ、人生最良の時を得た。僕は君の恋人だなんて……そんな図々しいことは思っていなかったけど、でも恋人だったと言ってもらえるのは……本当に嬉しいよ」 「……恋人だよ。今でも」 そう言って抱きしめても、清比古は申し訳なさそうに眉を下げるだけだ。 「分不相応な幸せは、やっぱり壊れるのも早いものだね。卒業式当日の朝だった。僕を長年苦しめた男の訃報が届いたんだ。僕は喜び、憎しみ、希望、失望、後悔、恐怖、色々な感情がごちゃ混ぜで、とても不安定になってしまって。それでも彬の顔を見れば暗い気持ちは消え去って、僕の胸は希望だけになった。だからどうしても彬と一緒にいたくて。けど彬は式の後、僕を置いて実家に帰ってしまった。彬には約束があり仕方が無い事だった。でも傲慢にも僕は、自分を優先してもらえない事を不満に思った。そして『どうして彬は僕のそばに居てくれないんだ』と、そればかり考えているうちに、『そうか、僕は彬に捨てられたんだ』と気づいた」 「何を言って……俺が清比古を捨てるはずないだろう」 「……そう。愚かな僕の、勝手な思い込みだよ」 遠い目をした清比古がフッと小さく笑った。 「けれど、その時の僕にはそれが真実に思えた。一人きりの寮も、東京って街も、そして訃報を伝える電報も全てが怖くなって、逃げ出したくて……。そうすると、彬に捨てられたんだとしても、僕を(おびや)かすあの男がもうこの世に居ないんだと確認すれば、何も怖がる必要はないんじゃないかと思えてきた。最大の不安さえ晴れれば、彬に捨てられた苦しみも、全部帳消しになるだろうってね。居ても立っても居られなくて、二人で過ごした時間を忘れるためにすぐに退寮をして……。荷物なんかほとんどないから、下宿への転居も簡単なものだ。そのまま、身一つで汽車に乗った。翌日、駅からバスに乗って近くの大きな町につくと、そこから長いこと歩き、やっと実家にたどり着いた」 卒業式の日に清比古の様子をもっとよく見て、話を聞いていれば……と、これまで何度もした後悔をまた繰り返す。 そして、かつての清比古を癒やすように、抱いた細い肩をゆっくりとなで続けた。 「久しぶりの粗末な実家は、伸び放題の雑草が枯れ、廃屋のようだった。そのうらぶれた様子を眺めていると、ここが本来の僕に見合った居場所で、寮での生活は全て幻のように思えてきたよ。葬儀と埋葬はすでに済み、少し重い空気が残る居間で、あの男の位牌を見た。きっと胸がスッとして軽くなるだろうと思ってたんだ。なのに躰も心も全部が痺れて何も感じなかった。けどね、何も感じてないはずなのに、彬の顔が思い浮かんで胸がキリキリと痛むんだ」 「清比古……」 頬をなでるが、記憶を追い、遠い目をした清比古は、当時の自分に同調し、ふれる指さえ気づいていないようだ。 「僕の人生を一変させた高等学校での生活は、全てが輝いていた。その中で、彬は一等輝く僕の宝物だったんだ。彬の友達に加えてもらえただけで、僕は真っ当な人間になれた気がしていた。勉強だって、彬が一目置いてくれると思えばこそ頑張れた。そんな彬に見捨てられた僕には、もう何も残ってなかった」 清比古の俺への憧憬。 卒業前に知ったそれは、俺が思っていたよりずっと大きなもののようだった。

ともだちにシェアしよう!