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22-欠陥品

「あの男の位牌を前にしても、ああ、もう彬は僕にふれてくれないんだと、そんな事ばかり考えていた。そして次第に、こんな酷い男にでも必要とされていただけまだマシだったんじゃないかって……」 「そんなわけないだろう!」 声を荒らげた俺にわかっていると清比古が頷く。 そしてふわりと微笑んだ。 「悪夢のような日々を生々しく思い出すあの家で、僕は悪い未来しか想像できなくなっていた。東京に戻って、彬に面と向かって拒絶を告げられてしまうくらいなら、ここで過去の記憶に(さいな)まれ狂ってしまった方がマシだと……そう思い込んでいたんだよ」 もう終わったことだと言うように、静かに目をつむる。 しかし、清比古の中から、ドロリと腐臭が立ち上ったように感じられた。 今なお渦巻く、重たい感情を笑顔で覆い隠そうとするが、こちらまで苦しく、まるで泥の中で息をしているようだ。 「清比古を………迎えに行けばよかった」 清比古がパッと俺を見上げ、しかしすぐに目をそらした。 「いや……そんなものは不要だ。僕は援助を受けて勉学をさせてもらっていたから、合格しておきながら帝大に入学しないという選択はなかった。いつまでも過去にとらわれ、現実から逃げるわけにはいかなかったのは幸いだったよ」 それは俺にすがりたい気持ちを誤魔化すための言葉のように感じられた。 「そういえば手紙は……?清比古に宛て、心配していると手紙を書いたんだ」 「そうなのか? 少なくとも僕がいる間は届かなかった。その後届いたんだとしてもあの家には僕宛の手紙を下宿に転送してくれるような気の利いた人間はいないんだ」 もし届いていたなら……。 いや………。 突然いなくなった清比古を心配し、素直な文章で書きはしたが、結局は通り一遍の内容で、彼の胸を揺さぶるような力があったとは思えない。 「大学に入ってからも俺と距離を取り続けたのはなぜだ?顔を合わせれば見捨てられたなんて思い違いだったとすぐ気付いただろう」 「あの頃の僕は……彬の気持ちを確認すれば、そこに絶望しかないと思っていたからね。そばにいる時も極力彬の反応や表情を見ないようにしていた」 「それにしたって……」 「消せるんだ……僕はいつの頃からか、見たくないものは霞んで、聞きたくない言葉は意味が頭に入って来ないようになったんだ」 便利な体質だろうと薄く微笑む。 おそらくあの土蔵で身についたに違いない。 そうしなければ自分を保てなかった、少年の頃の清比古に胸が痛んだ。 「本当は彬が変わらず話しかけくれることを嬉しく思ってはいたんだ。けれど僕は彬が誰にでも公平で、快く思えない友人にも酷い態度を取る事はないと知っていた。だから淡い期待を持つ自分が愚かしく思え、消えてしまいたくなった」 「そんな……」 「もちろん半年、一年と経てば、さすがに自分の思い違いと、それを正そうとしてくれていた彬の真心に気付いた。けど、その時にはもうただの友達の一人になっていたんだ」 虚ろな目が過去を見つめる。 「いや、自分からそうなるよう持ち込んだ。つまり、僕は思い込みで唯一の宝物を自ら捨ててしまったというわけだ。勝手なものでね、それに気付くと押し殺していた彬への気持ちが暴れて、暴れて、顔を見るのも辛くなった。そして僕はより君と距離を取るしかなくなったんだ。これが僕が彬から離れた顛末だ。……幼く愚かだった頃の……過去の話だよ」 話は終わったとばかりに起き上がろうとする清比古の細い腕を押さえた。 「まだだ。俺が清比古を捨てたわけじゃないと気付いた時に、戻って来れば良かっただろう。なのになぜ……」 「できるわけが……ない」 息を詰まらせ、枯れ葉が舞うような小さな声で言葉を続ける。 「そもそもあの頃の僕は……普通じゃなかった。無茶をして得た唯一の……本当に大切なものなのに、それを自分で駄目にしたんだ。元に戻りたいと伏して頼む事すらおこがましい。早く吹っ切り、可能なかぎり顔を合わせず、君をわずらわせないようにするだけで精一杯だった」 「では、今日ここに来たのは、もう全て吹っ切れて、純粋に人形を譲り受けたいと頼むためだけか?」 清比古の揺れる視線が、覆い被さる俺の唇をなぞった。 「………そうだ」 「嘘をつけ」 「嘘じゃない!おかしな期待など持ってはいない!」 「『期待など持っていない』と自分に言い聞かせなければ不安か?」 変わらず細い首に指をはわせる。 清比古はフルリと震えて目をつむった。 「戻って来い、清比古」 「…………………………………」 「まだ自分から俺の元に戻る勇気がないと言うなら、縛り付けてここから出られないようにしてあげようか?」 俺の『脅迫』に顔を背ける。 しかし、逃げることなく、拒絶の言葉もない。 そこに清比古の葛藤を見た。 俺は横たえた細い躰から、仕立てのいい背広を剥ぎ取った。 抵抗を見せない彼をうつ伏せにすると、ネクタイを抜いて後ろ手に縛る。 清比古は大人しく縛られながら、俺とベッドサイドの人形との間で視線を往復させた。 そして抱き起こせば、わずかに緊張しながらも、俺の胸に身を預け、しなだれかかってくる。 清比古が、俺へ身を委ねる言い訳を探しているのがわかった。 俺は背後から手を回し、人形に見せつけるように清比古のワイシャツのボタンをはずしていった。 すると清比古はそれを嫌がった。 「待って、彬……僕はもうあの頃のように子供じゃないから」 「……だから?」 「その、あの人形のように……いつまでも子供じゃない。大人で、男で……」 かつて『あの男』の人形の取り引きを仲介していた男性に聞いた話が頭をよぎる。 彼によると、人形師は人形のモデルである少年が成長していくことを嫌い、少年を人形と並べ『劣化していく欠陥品だ』となじっていたらしい。 幼い姿を留めた人形を愛し可愛いがるところを、モデルの少年に見せつけるのが楽しいのだとも言っていたようだ。 清比古はおそらく日常的に「劣化していく欠陥品」という言葉を浴びせられていたに違いない。 そしてこんなに歳月が経っても、あの男の呪縛はまだ残っているのだ。 「俺をなんだと思ってるんだ?たしかに高校生の頃の清比古は今よりさらに小さく、大人と子供ほどの体格差があったが、俺にとっては同級生で、そもそも俺は小児性愛者じゃない」 抵抗する躰からフッと力が抜けた。そして俺を振り返って不思議そうに見つめる。 「彬はこんな僕の肌でも、ふれたいと思ってくれるのか?」 「こんなと言われても……俺の目には以前と大して変わらないように見える。……いや、大人の色気が増したか」 「………ぁ」 清比古が奥二重の目を大きく見開いた。 それはまるで呪いが解けたような顔だった。 「……ああ、彬。……彬はやっぱりすごい。あの頃と変わってしまった今の僕を、すんなりと受け入れてくれる」 感動に震える声が告げた内容は、俺にとっては至極当然のことだった。 しかし、それが嬉しい。 自らを内省するばかりだった清比古が、やっと俺の心を真っ直ぐ見てくれた。 感動の波が、俺の心の底をグッと突き上げた。

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