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『・・嗚呼・・うじうじしている自分がなんだか情けない・・』 階下からは、カエルとコオロギの囁く声が聞こえてくる。 浮かんだ感情に蓋をするように、圭一は数回瞬きを繰り返すと、ホッと息を吐いた。 「そうだな・・」 「ねえ」 「ん?」 「この音ってさ。田舎の特権かもしれないね」 「?」 「田んぼの近くを通って感じる雨の匂い。ああ。雨が降るなぁって分かる水の匂い。まわりを見ても田畑しかなくて。どこかでカエルが鳴いていて」 「・・・・・・・・・」 「傘をさして歩く時の雨の弾む音。夏草の匂い。穏やかな日差しの下で感じる暑さと、蝉の音。寝ころんで感じる井草の匂い」 「干した後の布団の匂い?」 「そう」 圭一の声に咲里がフフフと笑う。 透き通るような金色の髪の奥で、彼の長いまつげが僅かに揺れた。 「・・それなら。なんとなく分かる」 「都会の朝も嫌いじゃないんだけどね。ほら、高速バスとか乗って都会に行くでしょう?」 「・・ああ」 「早朝だったりするとさ、朝の雰囲気っていうの?静かだけど風が綺麗で静かで。嗚呼、朝だなぁって分かる時、ない?」 咲里の声に圭一は自身の髪を軽くかき上げながら、うーんと考える仕草を繰り返している。 「なんとなく。ある、かな」 「都会には都会の匂い、雰囲気があって。田舎には田舎のそれがもちろんあって。どちらがいいとか、どちらが好きとか、そんなのじゃなくて」 「うん」 「なんだろう。上手く言えないんだけど」 「うん、分かる」 「それを好きだと感じるのは、僕だけなのかなぁ」 「・・・いや。お前だけじゃ・・無いと思う」 「ん?」 「うん。俺も、嫌いじゃない」 「うん」 忙しい日常の中で、そんな他愛も無いことを繰り返して、やがて季節は冬を迎えた。 「・・・今日、さぶいねえ」 「・・・そうだなぁ」 時間も十九時を軽く過ぎた頃。買い物を終えて二人で歩く。 いつものように「ただいま」「おかえり」を繰り返して。 二人は買い物に行く時もいつも一緒だ。 車で行く方が早いと思うけれど、何故か咲里がそれを拒む為、米だとかペーパー等の消耗品を購入する時は、決まって一台の自転車の前後のカゴに大きな商品を入れて乗らずに押して帰っている。 二人の住む二階建てのアパートは繁華街から遠く離れた場所にあり、一番近いスーパーやコンビニまでは三十分以上かかってしまう。 田んぼや畑の間に住宅がポツポツと見えるような場所で、車も殆どといってもいいくらい通らない。 街灯はあるものの、何処か哀愁を誘うその明かりは実に寂しげで、いつもその街灯の羅列を目で追うたびに、圭一も何処か寂しい気持ちになってしまう。 感情が感染したみたいな不思議な感覚。 それが嫌で、彼は夜道を歩く時は決まって街灯から目線を逸らした状態で歩いているのだ。 「・・・・・・・」 コートの上にマフラーを巻いてはいるけれど、肌を刺すように吹く風は容赦なく二人の頬を撫でていく。 鼻から息を吐くたびに、闇が白く濁って溶けた。 キイキイと自転車を押しながら、圭一の視線が前かごに向かう。 「・・・今日、白菜と葱が安くて助かったな」 「うん。豆乳も丁度切らしていたから助かったよ」 「酒も買ったし、帰って鍋だな。明日は休みだし」 「うん。鍋良いねえ」 圭一の声に咲里の瞳が笑う。俯いてフフフと笑うのは彼の癖だ。 いつの間にか低かったはずの圭一の背はぐんと伸びて、気が付けば咲里とあまり変わらなくなった。

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