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3,覚醒

「エントリーナンバー千とんで1、上岡一月くん。体調はもう落ち着いたかな?」  さっきの審査員が気づかわしげに聞いてくる。  最終審査に残った人間とはいえ、玉石混淆(ぎょくせきこんこう)なやつらの演技を散々見せられたんだろう。相当疲れているに違いない。眼鏡のつるの辺りに顔のむくみが見える。 「我々も審査を進めなくてはいけないからね」  ひとつ隣の男が言いながら、腕時計に目を落とした。  誰かから受け継いだものなのか、だいぶ古いデザインのロレックスだ。時間を気にするところから察するに、本来なら個別の審査が済み、審査員たちによる合議が始まっている頃なんだろう。その仕草には退屈と苛立ちがにじんでいる。  さっき俺が返事をしないことを(とが)めてきた男は、もう俺のことなど気にしていないらしい。手元の書類をしきりに(めく)っていた。  それから俺は監督に助監督、そして演出家の顔を審査員の中に確認する。彼らの表情からは作品作りに対する真摯さと、忍耐強さが伺えた。  今までになく視界がクリアになっている。過敏になっていた神経が、穏やかに静まっていた。  初めの男に視線を戻すと、彼が見計らったように口を開く。 「では時間もないことですし。そうだな、台本の4枚目、シーン3からお願いできるかな。君はユーマニオンレッド。防災無線の声と、それから通行人のセリフは一番向こうの彼女が読みます」  彼の言葉を受け、末席に座っていた女性が会釈した。  丸めたまま握っていた台本を床に置き、まぶたの裏にシーン3の景色を思い描く。ここは隕石(いんせき)の襲来で頭部を負傷した主人公・スバルに、ユーマニオンレッドの意識が宿るという重要なシーンだ。  場所は上野。駅のコンコース。次々と飛来する隕石群に、人々は逃げ惑う。怪我をして動けない人、泣き叫んでいる人もいる。 『隕石警報が出ています! 外出中の方は直ちに非難してください!』  左端の彼女……いや、防災無線の声が緊迫した状況を告げていた。 (見つけた!)  俺はその景色の中に、のちにユーマニオンレッドとなる青年・スバルの姿を捉える。彼は自分に何が起きたのか理解できずに、痛む頭を振っていた。  彼に意識をリンクさせ、俺はその中に飛び込んだ。  途端に強い目眩(めまい)に襲われる。 『くっ……』  頭がクラクラしているけれど、何が起こったのか分からない。両手でこめかみを押し、痛む頭の後ろをさすった。  ぬるりと()れた手触りにぎょっとする。 『えっ、えええっ!? ちょっと、なにこれ! ち、血、血が! これ、俺の血!?』  転んで打ったとか、そういうレベルじゃない。後頭部の皮膚をごっそり持っていかれているんじゃないかと感じる。 『あんたひどいよ、動かない方がいい!』  誰かが俺に、そんな言葉を投げかけた。けれども聞き返す前に、その人は走り去っていってしまう。 『動かない方がいい? って言われても……』  その間にも降ってきた隕石で、コンコースにいくつもの穴が空いた。 『逃げなきゃ! くっ……』  足を踏み出すが、目眩がしてのけ反るように倒れてしまう。 『ちょっと、これ!』  立ち上がり、また倒れる。息が乱れる。 『誰か、助けて……』  俺は焦る気持ちで辺りを見回す。誰もが自分のことに精いっぱいで、俺を助けようとはしなかった。  このままではマズい、命の危険をすぐそばに感じる。  その時、俺は視界の隅に見たこともない生き物を捉えた。 『え――』  一瞬人にも見えたが、あれは人なんかじゃない。何か別の生命体だ。甲殻類のように(よろい)に覆われた体をしている。隕石と一緒に飛来した、宇宙生物か何かだろうか。  禍々しいその生き物に(おび)えて俺は後ずさりする。  ところがその生き物は俺ではなく、近くにいた女の子に狙いを定めていた。 『きゃああああ!』  彼女の甲高い悲鳴が耳をつんざく。 『だ、誰か、誰か助けて!』  女の子を助けようとする人間は一人もいない。 『ああっ! 誰もいないのかよ!』  俺はふらつきながら、最後の力を振り絞るようにして体を起こした。  女の子の方に向かって走る、しかしまた倒れそうになる。大きく前へ足を踏み出し、倒れる前に先へ進もうとする。  駄目だ、歩くことすら困難だ。 『くそう、助けてほしいのはこっちだっての!』  だからといって女の子を見捨てることはできない。俺は半狂乱になりながら、謎の生物の背中に体ごとつっこんでいった。  けれどもこんな状態で戦えるわけもなく。  乱暴に振り払われ、俺は瓦礫(がれき)の山に全身を強く打ちつけた。  震えながら起き上がり、(はっ)ってでも進もうとする。壊れかけのブラウン管テレビみたいに視界が乱れていた。  力が出ない。意識が遠のく。たぶん俺はここで死ぬ。  失いかけている命の縁にしがみつき、また立ち上がった。 『神様は、見てるんじゃないのかよ……正義は勝つんじゃなかったのかよ……いつだって弱い者の味方になれって……親も先生も、みんな言ってた! それが(うそ)だったなんて、今さら言わせない!』  俺の心の叫びを聞き、時空の狭間に眠っていたユーマニオンレッドの魂が、目を覚ました。 『俺の名は、ユーマニオンレッド!』  大地を踏みしめ、自ら名乗る。ないはずの力が体にみなぎっていく。 『この星を守るのが……俺の宿命……』  内なる声をなぞるように唱えた。言ってから、自分の言葉に戸惑う。 『守るって……でも、どうやって……』  手のひらを見つめる。そこから一気に爆発するような変身が起こる。 『あ……ぁあっ……わぁああああっ!』 *  パラパラと拍手が起こり、耳がその音を捉えた。  そこは上野駅のコンコースではなく、元いたスタジオ。オーディション最終審査の会場だ。隕石が落ちた形跡も、謎の生物に破壊された跡も当然ない。 (俺は……そうだ、上岡一月だ。今度こそ、上手く飛べた!)  ホッとしながら、顎を伝い落ちる汗を拭った。  それから周りを見回すと、ここへ来た時にはいなかった人物が部屋にいることに気づく。 「へえ、やるじゃないか……」  部屋の隅でつぶやくその人は、さっき廊下で会った羽田光耀だ。 「なんで、羽田さんが……」 「俺は見学」  彼はそう説明して肩をすくめる。分厚い肩を持ち上げる仕草に愛嬌(あいきょう)がにじんでいた。  一方、居並ぶ審査員たちは、どういうわけかひと言も言葉を発しない。ただ黙って俺を見ていた。 「……あの、次はどのシーンを」  さっき指示してきた一人に、今度は自分から問いかける。 「えっ……」  彼は驚いたように声をあげたあと、中央に座っている監督の方を見た。 「あの、監督……」  促され、監督はまだらなひげが散らばった口元に、笑みを乗せる。 「彼の演技をもっと見たいが、今日はここでお終いにしよう」 「いいんですか?」  監督に発言を促した彼が、聞き返した。俺も当然同じ思いだ。監督がまた口を開いた。 「カメラが回っていないところで、これだけの演技をさせるのは勿体(もったい)ない。彼にはこれから撮影チームの前で、存分に演じてもらおうよ。そういうわけで上岡くん、来年1年間どうぞよろしく」 (来年1年間、それはつまり……) 「よっしゃぁ! やった!」  後ろにいたマネージャーが、俺より先に喜びの声をあげる。  そして羽田さんが軽やかに口笛を鳴らし、運命のオーディションはその幕を下ろした――。

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