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4,善悪の境目
「しっかしあの時は焦ったよなぁ!」
マネージャーがハンドルを握りながら、懐かしそうに話しだす。
「一月は固まったまま返事もしねーし、審査員たちはザワザワしだすし」
「その話、何回目?」
俺は頭の後ろで腕を組み、バックミラー越しに7歳上のマネージャーを睨 んでみせた。それでも彼のおしゃべりは止まらない。
「だってさぁ、あんなヒヤヒヤするオーディションはそうそうないって! 一月が黙ってた何分かで俺は1、2キロ痩せたと思うぞ?」
「大げさ」
興味のなさを態度で示すように、俺は車の外へ目を向けた。車窓の景色が不安定な速さで後方へと流れていく。
「大げさなもんか! あのあとベルトの穴、いっこ内側のが使えたもん!」
本当に大げさだ。数分でそんな簡単に痩せられるなら、誰も体型作りで苦労しない。俺がモデルを務めるファッション誌でもしつこく、そして定期的にダイエットは特集されていた。
幹線道路へとハンドルを切ったマネージャーは、俺がノーリアクションなことにもめげずに続ける。
「……でもま、一月は大物だよなあ。あそこから巻き返すって、少年漫画の主人公かよ!」
どうも褒めてくれているらしい。
とはいえ彼の想定しているタイプの少年漫画を、俺はあまり好きではなかった。努力、友情、勝利みたいなものを強調するのが苦手なんだ。努力なんて結果が出なければ無意味だし、友情ほど俺に無縁なものはない。そして勝利に喜ぶことにも共感できない。勝利の裏側には同じ数だけの敗北がある。
たぶん俺はそっち側の人間だ。いつも敗北に怯え、震えながら立っている。善悪の価値観が揺らいでいるこの世界で、戦うことは痛みだ。
特撮ヒーローもののヒーローは戦いたくて戦っているんじゃない。必要に迫られて、苦しみながら戦っている。正義の志だけを頼りに。だから俺は特撮ヒーローが好きだ。
こういう話をマネージャーにすると「屈折している」と言われる。だが彼が俺と反対にまっすぐな人間かと言ったら、そんなことはない。
オーディションの件では、彼は自らの苦労と俺への献身的なサポートをアピールし、ちゃっかり自分自身の給与アップを勝ち取っていた。
確かに有名テレビシリーズの主演に担当のタレントが抜擢されたら、それはマネージャーにとっても手柄だろう。しかし彼は自からその手柄をアピールしていく人間だ。俺が人見知りで周囲に馴染 めないことをいいことに、上岡一月のサポートは自分にしかできないと吹聴して回っている。
ここ2年の付き合いで、俺もいい加減そのことに気づいていた。
(ようは調子がいいんだよな……)
だからといって俺も、彼のことを嫌っているわけじゃない。
スケジュールや身の回りのことはそこそこ面倒見てくれるし、時間や礼儀について厳しく言ってくることもない。言い方は悪いが、彼はくみしやすい人間だ。俺が相づちすら打たなくても勝手に1人で話しているところなんかも、こっちとしては楽でいい。
人間同士コミュニケーションを円滑に取ろうとするより、取らなくていい関係の方がはるかに楽だ。なぜなら俺は義務教育もろくに終えていない引きこもりで。
記憶力だけは人並みにあるから台本は覚えられるけれど、人の都合やルールに合わせることは恐ろしく苦手だ。気持ちのバランスが崩れると、持ち直すのに時間がかかる。他人に合わせることができなくて、人とぶつかることもたまにあった。
そんな俺をマネージャーは適当にいなしながら扱ってくれる。他の人間には難しい相手を扱える、そのことが彼の自尊心を刺激するのかもしれない。
なんにしろ結構なことだ。干渉し合わない距離感を、これからも保っていけるならば……。
考えを巡らすうちに、車窓の景色は都会のビル街から、郊外の住宅街へと変わっていた。団地と公園が多く目に付く。春か夏なら緑が目を楽しませただろうけれど、今はグレーと茶色ばかりの、妙に現実的な景色が広がっていた。
このまま北上を続ければ確か埼玉との県境だ。そこから細い道に入ってしばらく。北創の撮影所にたどり着いた。
*
「なんだかすでに懐かしいよな」
マネージャーがシートベルトを外しながら、フロントガラスの向こうを見てつぶやいた。ここの景色を見るのはオーディションの最終審査以来、1カ月ぶりだ。
そして今回俺たちは『ユーマニオン・ネクスト』の顔合わせのためにここへ来ている。
あのあと俺以外のキャストも無事に決まり、今日はキャストとスタッフが初めて勢揃 いするそうだ。事前に送られてきた出演者リストに、ユーマニオンレッドのスーツアクターとして羽田光耀の名前を見た時は、俺もホッとした。
俺たちは上着を羽織って車を降りる。そして駐車場から、建物の方へと歩き始めた。
「ちょ~っと早く着いちまったか。顔合わせはオーディションのあったA棟でやるらしいけど」
マネージャーが壁面に『A』と書かれた建物を目で示した。
「それより今放映中のやつ」
「ユーマニオン・ネオ?」
俺が言い当てると、マネージャーは頷く。
「そう、それ。何番かのスタジオで撮影中らしいぞ」
撮影所内のスタジオには、十数番までのナンバーが振ってある。そしてスタジオ以外の建物にはアルファベットが振ってあった。
A棟に向かって歩きながら、マネージャーがスマホを取り出す。
「顔合わせまで暇だろうから、一月は見学にでも行ってきたら? 俺は書類を提出して、それから何件か電話しなきゃいけないから」
スタジオの建ち並ぶ方へと首を回すと、方々から活気のある声が聞こえてきた。きっといくつもの作品がいま撮影されているんだろう。
そんな中、ユーマニオンシリーズのスタッフジャンバーを来た人たちが、機材を運んでいく姿が目に映った。
(見学か、見たいは見たいよな……)
目が自然とスタッフジャンバーの背中を追いかける。
「んじゃ、俺は先に行ってるから。一月も顔合わせまでには戻ってこいよ?」
俺の視線を答えと取ったのか、マネージャーは1人でA棟の方へ行ってしまった。
その時俺は、いくつも連なる建物の陰に、迷彩柄のジャケットを着た背中を見つける。
(……羽田さん?)
後ろ姿が、倉庫らしき建物の入り口に見えた。本当に羽田さんかどうかは分からないけれど、これから顔合わせがあることを考えると、彼だという可能性は高かった。
(どうする?)
どうせ顔合わせで会うのに、わざわざ追いかけていって声をかけるのもどうかと思う。そもそも俺にそんな積極性はない。それなのに体が勝手に動きだしてしまった。
スタジオの奥に見える倉庫まで、俺は小走りに駆けていく。けれどその入り口に、もう彼の姿はなかった。
(ここへ入った?)
中途半端に上がったシャッターをくぐり、倉庫の中を覗 いてみる。
中には古い機材や小道具、それに着ぐるみなどが雑然と詰まれていた。しんと静まりかえっていて、人の気配は感じられない。もしかしたら違う建物に入ったのか……。これだけ建物が多ければ見間違うこともあるかもしれない。
俺は不可解な思いで、倉庫の周囲をぐるりと1周してみた。周りも同じような倉庫ばかりで、どこにも人の気配はなかった。
結局誰とも行き合わずに、初めの倉庫の入り口に戻ってくる。
と、入り口のシャッターの脇に、もうひとつ小さなドアがあることに気づいた。
上半分が磨りガラスになっているドアの向こうに、人の動く気配を感じる。ドアはわずかに開いていた。
ノックをして開けるか、何も言わずに覗いてみるか。生まれ持った臆病さが、あるいは大胆さが、考える前に俺に後者を選択させていた。
歪 みのあるステンレス製のドアノブを引き寄せる。その瞬間、中からくぐもったうめき声が漏れ聞こえた。
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