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21,相手

「いや、逆にこんなものを見せられて、気持ち悪くなくなると思ったんですか?」  もう一度パッケージに目を落とす。 「逆効果……?」 「正直、こんなの見るのも怖いです」  考えると、胃がきゅっと嫌な感じに収縮する。さっき飲んだビールの香りがせり上がってきた。 「俺は……やっぱり嫌だ……」  思わず片手で口元を覆う。 「おい!」  羽田さんが俺の肩に触れ、ハッとした顔でその手を離した。触れるつもりはなかったのに、とっさに触れてしまったらしい。 「……っ、悪い」 「いえ……!」 (そうじゃないんだ!)  離れていくその手を、俺は自分から手を伸ばしてつかんだ。  羽田さんがぎょっとした目で俺を見る。  指が絡み合うような形で、2人のひざの間で繋がれた。  心臓が最高潮に騒がしい。 (何、この感じ……)  自分の感情も、行動の意味も分からなかった。 「いつき……?」  羽田さんがうわずった声で名前を呼ぶ。その顔も紅潮していた。触れ合うのが苦手な俺が、自分から手をつかんできたんだからそれは驚く。  俺自身も驚きながら、羽田さんの手の感触を確かめた。皮の厚い手のひら、骨ばった手の甲、少し汗ばんだ指の腹。俺が指先で撫でると、その手は戸惑うようにかすかに震える。  全然嫌じゃない、むしろとても好ましく感じる。 「羽田さんが誰かとそういうことをするのは嫌です。でも……あなたのことは嫌じゃない」 「何それ……」  彼の顔に、ふわりとこぼれるような笑みが浮かんだ。 「一月はさ、案外俺のことが好きなんじゃないのか?」 「好き?」 「つまり、恋愛対象って意味で」  繋いだ手を引き寄せられ、指先に彼の吐息がかかった。 「……っ! そんなわけないでしょう」  慌てて繋いだ手をほどき、羽田さんから距離を取る。 「何、照れてんのかよ?」 「そうやってからかわないでください。だいたい羽田さんには相手がいるじゃないですか」 「相手?」 「そうですよ。顔合わせの日に、倉庫の小部屋で……」  思い出し、あの時の不快感がよみがえる。  顔は見なかったけれど、あそこにいたなら撮影所の関係者か出入り業者か何かだ。羽田さんは1年間ユーマニオンシリーズの現場を離れていたわけだから、もしかしたらあの日は久々の逢瀬(おうせ)を楽しんでいたのかもしれない。  恋人? 付き合ってはないけど好き同士? そういうのはよく分からないけれど、あの時の羽田さんの反応からいってワケアリ風にも見えた。  モヤモヤ考えていると、羽田さんが心外そうな顔で言ってきた。 「あのな~、なんで俺があんなおっさんと付き合わなきゃいけねーんだよ!」 「おっさん?」 「いや、お前から見たら俺もおっさんか。けどさ、プロデューサーは俺よりひと回りは上で、奥さんも子供もいて……」 「待って……どうしてそこでプロデューサーの名前が出てくるんですか」 「え……?」 「ええっ!?」 (まさか、あの時一緒にいたのは……)  あの小部屋で羽田さんの足下にいた、ワイシャツ姿の背中を思い出す。 (そうか! あのあと、顔合わせには上着を着てきたから分からなかったんだ……)  見た時にはおぼろげだった光景が、今頃クリアになってきた。 (くそっ! どうしてあの人が羽田さんと!)  唐突に腹が立ってくる。  プロデューサーはいつも高そうなスーツを着こなした、インテリヤクザみたいなおっさんだ。いかにも仕事ができそうな雰囲気がすごい。実際できるんだろうけれど。  確かにあの人なら、羽田さんを意のままにできそうな気はする。 「許せない!」  憤りに任せて羽田さんに詰め寄る。 「なんでひと回りも年上で、奥さんや子供もいる人とそういうことするんですか!」 「それは……単なる付き合いだよ」 「付き合い?」 「あのおっさん、俺のAV時代を知っててさ。会うたび誘ってくるからあの時は断りきれずに仕方なく……って、何すんだ! 落ち着け一月!」  羽田さんに腕を叩かれて気がつく。俺はいつの間にか、彼の胸倉を思いっきりつかみ上げていた。  暴力はいけない。けれども気持ちが収まらずに、俺は彼の胸板を手のひらで打つ。 「やっぱり……不真面目で不道徳だ!」 「だから、前にも事情があるって言っただろー」 「前にも?」  そうだ。前にここへ来た時、羽田さんは俺のグラビアを引き合いに出し、そんなことを言っていた。 「はあっ!? 俺がマネージャーの取ってきた仕事のために脱ぐのと、あなたが断りきれなくてプロデューサーとそういうことをするのとじゃ全然違うじゃないですか!」 「まあ、違うな……」  羽田さんの顔に苦笑いが浮かんだ。どうもあの時は適当なことを言って、俺をけむに巻こうとしていただけらしい。 「あなたは、本当に信じられない!」  呆れて横を向くと、壁面収納の本棚のところに俺のグラビア雑誌が飾られているのが見えた。前は本棚の上に雑に重ねられていたのに、わざわざああやって飾ったことに彼の意図を感じる。 「俺のグラビア、やらしい目で見ないでください! あれは俺が処分しますから、あそこにご自分のDVDでも飾ったら――……」  雑誌を回収しようと立ち上がると、羽田さんから腕をつかまれ引き戻された。 「やだよ、お気に入りなのに!」 「あの雑誌がですか? だったら最新号でも買ったらどうです」 「あのなあ、俺も女子向けの雑誌は読まねーし。そうじゃなくて俺は……」  言いかけた羽田さんが、ニヤリと口角を上げた。 「いいこと思いついた」 「いいこと?」  きっとろくなことじゃない。直感的に身構えていると、やっぱり彼はとんでもないことを言ってきた。 「俺サマのエッチなビデオをお前にやる。これでおあいこだろ」 「はあっ? どういう意味でのおあいこなんですか! 俺のグラビアをそういう目的で使ったら殺しますよ!?」 「安心しろ。あれを買った女子の半分くらいはそういう目的――……いたっ!」  DVDの箱でぶん殴って黙らせた。 「こらっ、ヒーローが一般市民を殴るな!」 「羽田さんは一般市民じゃないでしょう! 昼間はレッドのスーツを着てるくせに、むしろ悪、完全なる悪の存在です!」 「いいのかー? そういうこと言ってると本気で押し倒すぞ!?」  ギラリと輝く彼の目を見て、俺は思わずひざ立ちのまま後ずさる。 「ばーか! 俺だってお前みたいなガキんちょに興味ないわ!」  そう言いつつ、羽田さんは初志貫徹とばかりに俺のバッグにDVDを押し込んできた。 「とりあえず、これ見てちょっと勉強して来い」 「嫌ですよ! なんの勉強ですか!」 「知らないより知ってた方がいいだろ」 「だから、何を!」  DVDを押し返そうとしても、羽田さんの力強い腕がそうさせてくれない。 「本当に困ります! こんなの持ってたら警察に捕まります!」 「捕まるわけないだろー!」  さっきまでは手に触れるのにもドキドキしていたのに、すでにつかみ合いになっていた。 「あなたは本当に!」  なんとかDVDを叩き返し、バッグをつかんで立ち上がる。 「ヒーロー失格ですね!」 「一月こそ、そんな怖い顔ファンの子供たちには見せられないだろ」 「ビール、ご馳走様(ちそうさま)でした!」 「また明日な」  ニヤニヤ笑う羽田さんを睨んで、俺はそのままアパートを出る。 「あー……もう、なんなんだよー……」  大きく丸い月が、夜の川面を妙に明るく照らしていた。

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