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39,告白

「……ぷはっ!」  ようやく水面から顔を出し、つぶれかけていた肺に酸素を補給した。  生きている、そう思うと胸が震えた。腰にはまだ力強い腕が絡みついている。  さっきまでとは打って変わって、空は真っ暗になっていた。そして雨粒が海面を叩いている。 「そこに!」  海面から突き出た岩へ、羽田さんが顎をしゃくった。そこまでまた泳いでいって、俺たちはその岩にしがみつく。 「船が見えない」  ひと息ついたところで辺りを見回し、羽田さんは表情を曇らせた。確かに遠くまで見渡してみても、撮影隊の乗る船は見当たらない。  俺たちがだいぶ流されてしまったんだろう。周りには雨の降りしきる暗い海が広がるばかりで、小舟ひとつ見えなかった。 「さて、どうするか……」  一緒にひとつの岩につかまりながら、濡れ髪の羽田さんが俺を見る。 「大丈夫だって! ここまで来ればなんとかなる」  彼の口元から白い歯が覗いた。俺はなんともいえない気持ちで、その笑顔を見つめる。 「すみません……羽田さんを巻き込んでしまって。俺、今度こそしっかりしなきゃと思ってたのに……」 「何言ってる」  羽田さんは体の側面を岩に預け、両腕で俺を包み込んだ。 「俺とお前は相棒で、一心同体だろ?」 (この人と俺が、一心同体……?)  逞しい上半身を抱きしめ返しながら、思わず涙が出そうになる。本物のヒーローみたいな羽田さんに対して、力のない自分が情けなかった。 「俺なんかでいいんですかね……」 「お前しかいないだろ!」  濡れた背中をバシバシと叩かれた。 「さっきの飛び込み、めちゃくちゃカッコよかった! あんな勢いのある演技はお前にしかできない」 「……っ!」  こんな状況なのに、喜びが腹の底から込み上げる。この人に褒められるのが一番(うれ)しいから困るんだ。 「……ありがとうございます」  お礼を言った拍子に、目の奥に()まっていた涙がぽろぽろとこぼれだしてしまった。 「こら、泣くなよ~! こんなことで泣かないでいいから!」 「だって……くっ……」  止めようとしても、感極まってしまった涙はなかなか止まらない。羽田さんが呆れ顔で言ってきた。 「お前なー……泣き止まないと俺にキスされるぞ!」 「……! それは……」  ドキッとして、羽田さんの顔を見つめる。ニヤニヤ笑っているところを見ると、本気で言ってるわけでもないんだろう。  ただこの人は、本気じゃなくても普通にキスしてくるような人だから油断ならない。 (嫌ってわけじゃないんだけどな……)  いろいろ考えたけれど、結局俺の口は自分の気持ちに素直な言葉を紡ぎ出す。 「いいですよ、あなたは本物のヒーローだから……」  ところが羽田さんは抱きしめる腕を緩め、少し困ったような顔をした。 「そう言われるとな……俺はヒーローなんかじゃない。ひとつしかない命を、誰のためにでも捨てられるわけじゃない」 「それ、いったいどういう意味で……」  言葉の真意を知りたくて、俺は彼の顔をじっと見つめる。  羽田さんがふっと小さく息をついた。 「正直、俺も飛び込む時には足がすくんだ。流されたのがお前じゃなきゃ飛び込めなかったと思う。つまり、お前を助けたのはただの私情だ」  それだけ言って、羽田さんは苦笑いで目を逸らしてしまった。 「私情ってなんですか……なんで、もっとちゃんと言ってくれないんです」  俺は無理やり、彼の瞳を覗き込む。 「最近、ずっとごまかされてばかりでした。でも俺は、こんなのは嫌だ! 言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってください」 「一月……」  羽田さんの戸惑いの表情を見てから、俺は馬鹿なことをしたと思った。  仮に求めるような答えが返ってきたとして、そのあと俺はどうするつもりなのか。残り半年、ユーマニオン・ネクストの撮影を終えるまでは、まるで身動きが取れないのに……。 「言わせんなよ」  羽田さんがうめくように言った。 「何をです?」 「分かれよ。俺だってお前の望むような、理想のヒーローでいたかったさ。けど俺も生身の人間だ。可愛いやつに見つめられたら余計なことも考える。自分を抑えられずに手を触れたくもなる。……実際いろいろあったしな、お前とは」  切なげに眉根を寄せて、彼はまだ続ける。 「十も年下のやつにのぼせて、大人げないって引かれても仕方ない。だから、あんま追求しないでくれよ! それにこれ以上お前に近づかれたら、俺はもう適切な距離を保てない」 「適切な距離ってなんですか……」  言われたことを頭の中で上手く処理できないまま、うわずった声が出た。 「距離なんてものが必要なんですか!? 俺たちは一心同体だって、今あなたが言いました!」 「それは一月――……」  言い訳なんかされたくなくて、俺は首を横に振る。 「俺も仕事上の関係だって、自分に言い聞かせてました。けど今、死にかけて分かった! そんなのはただのごまかしだ! ごまかしてたら絶対に後悔する。俺はあなたと、ちゃんと本音で向き合いたい!」 「一月……」  羽田さんの厚みのある手のひらが、俺の顔を濡らす雨粒を拭った。 「分かった。お前に聞く覚悟があるなら、いくらでも恥ずかしい本音を聞かせてやるよ」  頬を撫でた手が、頭の後ろまで回ってくる。  熱い唇が耳元に当たり、聞いたこともない甘い声を吹き込んできた。 「お前が可愛い、めちゃめちゃ愛おしいよ。どうしてくれるんだっていうくらい、俺はお前に夢中だ」 「……っ……」  その言葉の意味を咀嚼(そしゃく)して、体温を失いかけていた体が熱くなる。 「……ほら、なんも言えねーだろ! 聞いてどうすんだよ馬鹿」  俺の頭から手を離し、羽田さんが怒った顔をしてみせた。 「ばっ、馬鹿はないと思います! けど、俺は……」  熱くなってしまった胸の中から、俺は言うべき言葉を探し出す。 「俺は嬉しいです……俺だって、恥ずかしいくらいにあなたに夢中です……」  あまりにまっすぐな言葉に、自分でも驚いてしまった。  今までの人生で俺は、こんなふうに人に好意を伝えたことがあっただろうか。一度もなかった。そもそも人を好きになったのは初めてで……。  ああ……。今までモヤモヤしていた胸の思いが、恋愛感情だったということに今さら気づいた。 「恥ずかしいくらいに……」  羽田さんが俺の言葉を繰り返す。 「はい……。今、めちゃめちゃ恥ずかしい……」 「だったらもっと、恥ずかしいことしようぜ」  目の前の人が怒ったような表情のまま、唐突に唇を合わせてきた。

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