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第3話

「おはよ、田貫」 「…おはよう、乾くん」  次の日の朝もその次の朝も。新学期が始まって1週間、俺は毎日田貫に声をかけた。毎朝俺より早く教室にいるその小さな背中に声をかける。田貫は声をかけられるといつもその小さな肩をびくりと揺らして、ゆっくり顔を上げる。そして声の主が俺だと分かると、どこか安心したように表情を和らげるのだ。  最初の方こそ、周りの生徒もどこか興味津々といった様子で俺たちを見ていたが、1週間、何一つ変わらない俺と田貫の態度に早々に飽きたらしく、今では変に視線を向けられることもなくなっていた。  だというのに、田貫のその何かに怯えるような仕草だけが未だに変わらないままだ。 「なぁ、今日一緒に昼飯食べよ」  もうほぼ定位置となりつつある田貫の前の席に、今日も我が物顔で座る。席の主は大体いない。彼もまた離れた席の友達のところへ行っているから、特に問題もないだろう。いたとしても、俺が来るとどうぞ言わんばかりに席を空けてくれるのだ。俺は毎回田貫がそれに申し訳なさそうな顔をするのが面白いんだけど、口にすると怒られそうなので黙っている。  毎朝声をかけるようになって1週間。俺は田貫ともう一歩、距離を詰めようと考えた。もちろんそこに彼と肉体関係を持ちたいからとかそういう邪な下心は一切なくて、純粋に友達になりたいと思ったからだった。  田貫も俺に話しかけられて嫌な顔はしないし、楽しそうにしてるように見えるし、これなら昼も一緒に食べられるんじゃないかと思って声をかけた。が。  田貫は俺の誘いを受けて、困ったように眉を下げた。 「え」 「え、ってなんだ。嫌?」 「ちがくて…僕はいいけど、乾くん、いつも友達と食べてるから」  田貫のまあるい瞳が、ちらりと教室の前を見る。視線の先には俺が田貫と話してる時以外、大体いつもつるんでいるクラスメイトーー宇佐木がいた。始業式の朝、田貫を見る俺に警告してきたのも彼だ。まぁ、警告してきたくせに俺が田貫に絡み始めるとすぐ「どんな奴だった?」ときらきらした目で聞いてきたんだけど。  田貫は宇佐木に遠慮しているらしい。こいつはそういうところをよく気にする節があった。 「あいつはいいの。可愛い彼女と食べるみたいだから」 「乾くん、フラれたんだ?」 「なんでそうなる」  俺が突っ込めば、田貫は口元に手を当てて笑った。一人でいるときは伏し目がちで、何にも興味はありません、みたいな顔をしているが、田貫は話すと存外よく笑う。よく笑うし、冗談も言うし、結構遠慮がない部分もあって、この1週間で最初に抱いた印象は少しずつ変わりつつあった。  多分、もともと人と話すことは好きなのだろう。優しくて、人を気遣うことも多い。だというのに、だからこそなのか、彼はいつでも周囲と一線を引いている。  田貫は少しだけ迷うそぶりを見せたあと、うん、と頷いた。 「いいよ、一緒に食べよ。でも、教室は嫌」  これは、多分、俺に気を使ってるわけではない。田貫はいつも昼休みになるとふらりと教室からいなくなる。弁当持って教室を出ていき、昼休みが終わる直前にまた戻ってくるのだ。  いつもどこで食べているのだろう、と気になってはいた。屋上は生徒立ち入り禁止で鍵がかかっているし、まさかトイレで? と思って一度こっそり見に行ったことがあるが、トイレにはいなかった。 「…田貫がいつも食べてるとこ、教えてくれるの?」 「うん。別に秘密にしてるわけでもないんだけど、乾くんには教えてあげる」  「僕のひみつきち」と、まるで内緒話をしているときのように田貫が声を潜めて囁く。秘密基地、どこか子供じみた響きで、だけどいくつになっても男はその響きに惹かれてしまうものだ。  ウェーブのかかった前髪から覗く田貫の目は、いたずらっ子のそれと同じで、そこに吸い込まれるように俺は顔を寄せる。 「楽しみにしてる」  彼の真似をして囁くように呟くと、二つのまあるい瞳が猫のようににまりと細められた。  

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