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第7話
始業式の日に初めて秋彦に声をかけてから、それなりの日数が経った。けれど未だに俺は、秋彦について知らないことがたくさんある。学校にいる誰よりも秋彦と話してるとは思ってるが、それだけだ。知ってることも、そりゃいくらかあるけど、普段どうして過ごしてるのかとか、好きなこととか、趣味とか。なんとなく深く踏み込めなくて、いつも当たり障りない世間話をして終わる。よくそれで会話を続けてるなぁと自分でも思うし、秋彦もよく付き合ってくれるもんだとも思う。
「俺って結構、ヘタレだな…」
「何の話?」
「おわっ!」
ぼそりと無意識に零れた独り言に横から急に反応があって、俺は大げさに飛び跳ねた。完全に不意打ちで話しかけられた俺の体は、突然現れた存在に心臓がばくばくとうるさく存在を主張している。見れば、宇佐木がにまぁ、と意地の悪い笑みを浮かべながらそこに立っていた。あとで覚えてろよてめえ。
「なんだ、お前、彼女どうしたよ」
「今日はお友達と食べるんだってさ。毎日俺が独り占めしてたら、友達に悪いしたまにはね」
「へぇ」
まだ付き合って数日とは思えない落ち着きぶりだ。宇佐木は彼女ができるともっと有頂天になってバカ騒ぎするタイプと思っていたばかりに、少し意外だった。やっぱり他人に抱く自分勝手な印象なんて、なんのあてにもならない。きっと他の生徒にとって、秋彦にも同じことが言えるのに、どうして彼らは秋彦をいつまでも遠巻きにするんだろうか。
宇佐木はきょろきょろと辺りを見回している。秋彦が一緒じゃないのが気になったらしい。
「乾も今日は一人?」
「いや、購買寄ってから秋彦んとこ行くよ」
「秋彦、ねぇ。今更だけど、なんで田貫にそんな興味持ったの」
「乾はゲイじゃないんだろ」と言われて、その言い方が少し引っ掛かった。俺は、ゲイじゃない。恋愛対象は女子で、性的趣向はノーマルだ。過去に彼女がいたこともあるし、童貞でもない。…俺は。
「…前から思ってたけど、お前秋彦のことなんか知ってんだろ」
「うーん、まぁ」
宇佐木は否定するでもはぐらかすわけでもなく、曖昧にだが頷いた。
気になる。当たり前だ。俺はずっと、秋彦の噂が気になっている。噂なんて関係ないと、彼に声をかけたくせに、仲良くなればなるほど、ほの暗い噂は俺の中で存在をでかくしていく。でも本人に聞いて、今の関係が壊れるのが怖い。俺は秋彦とどうなりたいんだ。決まってる、ただの友達だ。決して恋人に、なりたいわけじゃない。
宇佐木は黙り込む俺の顔を暫くじっと見て、俺の腕を引いた。
「おい、」
「いいから」
宇佐木は階段下の人目のつかないところまで俺を引っ張ってくれるとやけに神妙な顔つきになって、声のトーンを落とす。
あ、これ、秋彦のこと教えてくれるやつか。どうしよう、勝手に聞いてもいいのか。秋彦にちゃんと確認もしないで。いや、そもそも確認って、どう確認するんだよって話になるんだけど。
俺が葛藤してることなんかつゆ知らず、宇佐木の口は開かれる。
「俺、二年の時に一回だけ田貫のこと助けたことがあって」
「…は? 助けた?」
出てきた第一声は俺が想像していたものとは全然違って、思わず大きな声が出て、宇佐木が慌てて俺の口を塞ぐ。しーっと睨まれて、とりあえず頷いた。
「助けたっていうか…本人はどう思ってるのか知らないけど」
宇佐木の話は、最初の言葉こそ想像と違えど、俺が気になっていることの答えとしては、十分なものだった。
簡単に言えば、体育館倉庫の中で気を失っていた秋彦を宇佐木が運び出したというものだ。
これだけならまだ、気づかれずに閉じ込められたのかなとか、もしかしたらいじめ、とか、そういう可能性もあるかもしれないが、宇佐木は嫌な予感がする俺に追い打ちをかけるように言葉をつづけた。
「…明らかに、ヤッたあとっていうか。まぁ、下履いてなくて。倉庫は臭いし、田貫の体は色々…ひどい有様だし」
「……」
「とりあえず下履かせて保健室運んでって……」
保健室で目を覚ました秋彦は、泣き腫らした目をしながら、それでも宇佐木に頭を下げたそうだ。迷惑かけてごめん。誰にも言わないで、とかそんなことは一切言わずに、それだけ。宇佐木も良いやつだから、誰かに言いふらすなんてこともせず今まで黙っていたが、俺が最近秋彦と仲良くし始めたのを見て我慢できなくなったらしい。
どうにかしてやりたかったけど、自分は腕っぷしが強いわけでも頭が良いわけでもから、上手く助けてやることができなくて、何も知らないフリをすることしかできなかった。お前が田貫に絡むようになって、俺も、何かしてやれた気になりたかっただけかもしれない。宇佐木はそう言って、少しだけ罪悪感の滲む顔で自嘲気味に笑った。
「三年になってからあんま見なくなったけど、先輩がいたときは田貫のやつが結構絡まれてるの、俺見かけててさ」
「…俺、全然知らなかった」
「お前、そういうとこ行かないだろ。ここの設備とか興味ないし。俺は割と散策とか…歩き回ってたから」
それでもだ。日頃、俺がどれだけ周りに興味を抱いてなかったか思い知らされた。そうだ、俺は他人に興味が湧かない。自分にだって、興味ないのに。そうやって過ごしてたなかで、唯一、今頃になって目を引いたのが田貫秋彦という名前だった。色んな噂は聞くけれど、一度も話したことがない、なんとなく勿体ないなぁ、ぐらいの感覚で、声をかけて、それで。
『僕と話してたら、変な目で見られるよ』
なんでお前は、そうやって。
会いたい。
秋ちゃんに、会いたい。
会ってどうするわけでもないし、何かできるわけでもないけど、会いたいと思った。
「…俺、行くわ」
「おう。これやるよ、悪かったな、時間取って」
宇佐木はパンとジュースが入った袋を俺に渡すと、トン、と俺の肩を軽く小突いた。
「こんなこと話しといてあれだけど、俺、お前だったら田貫と友達になれると思ってるよ」
「……うん、さんきゅ」
「俺から聞いたって、言ってもいいから」
「言わねぇよ。秋彦が話してもいいって思うまで、待つ」
お前って男前なんだかヘタレなんだか、よくわかんないね、と宇佐木は笑った。
こいつなら、いつか秋彦に紹介してもいいかもしれないと思った。
秋彦、お前のことを、気にかけてくれてるやつは他にもいたよ。
俺は、きっとどこかで自惚れていたんだと、今更になって気づいた。
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