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第9話
秋彦の顔を見る。俺の視線に気づいて、秋彦はゆるりと微笑んだ。この間までずっと見てきた笑みのはずなのに、今は全然知らない人間に見えて、彼が今何を考えているのか、何を思いながら俺の言葉を待っているのか、まったく分からなかった。
ここで、何を言うのが、正解なんだろう。
気持ち悪い、正直引いた。そんなことないよ、何か事情があるんだろ。なんでそんなことするんだ。もっと自分の体を大事に、
――正解が、分からない。
ここに来る前に、宇佐木が話してくれたことを思い出した。
話を聞いたとき、俺はてっきり秋彦は自分から相手を誘ったわけじゃなく、無理やりそういう行為を強要されたのだと、そう思った。けど、さっきの秋彦の言い方は。
「噂は全部本当のことだよ」
「……話さなくていい」
「昔から男にモテるんだ、不思議とね。僕自身、男と”そういうこと”をするのに抵抗もないから、誘われれば誰とでもするし、自分から誘うことも、」
「やめろって!」
ほとんど叫ぶみたいに秋彦の言葉を遮って、深く息を吐く。秋彦は一瞬何かを堪えるよう唇を引き結んで、初めて声をかけたあの日のように、困った顔で笑い、ゆっくりと立ち上がる。
立ち上がって、俺に歩み寄って、ほっそりとした手が俺の肩に触れる。まるで金縛りにでもあったかのように、上手く体が、動かない。
「ねえ」
「…あき、ひこ、」
「ミツは僕を」
――抱いてくれる?
少しだけ震えた声が聞こえて、次の瞬間、唇に柔らかいものが押し当てられていた。それが秋彦の唇だと気づいた瞬間、べろりと下唇を舐められて、俺は咄嗟に秋彦を突き飛ばした。突然のことに力加減を考えることも出来なくて、秋彦はそのまま温室の地面に尻もちをつく。
「俺は」
秋彦は顔を上げない。地面に座り込んだまま、黙り込んでいる。秋彦の表情が見えなくて、さっきから全然、秋彦のことが分からなくて、今の俺にはそれを気遣う余裕もなくて。
「俺はお前とそういうことがしたくて、話しかけたんじゃない」
「…分かってるよ」
秋彦のことも、自分が今何に怒っているのかも、よく分からない。分からないけれど、心が灼けつくような怒りで息が苦しい。許せない。そう思った。秋彦が? 自分が? 秋彦は別に、俺を騙していたわけじゃない。秋彦の噂を知ってたうえで、勝手に話しかけたのは俺で、他人から聞いた話を勝手に都合よく解釈していたのも俺だ。いざ本人の口から本当のことを聞いて、すんなりと受け入れられない自分に怒っているのか。秋彦のどこか投げやりな態度にも苛立ちを感じて仕方がない。
秋彦の俯いていた顔が上がって、揺れる瞳と目が合った。
「でも僕は、普通じゃないから」
…なんで、お前がそんな顔するんだ。
「君に抱かれたいって、思っちゃうんだよ」
「――っ」
泣きそうな顔で、そんなことを言うものだから。
胸の内でぐるぐると渦巻く感情が爆ぜて、衝動のままに俺は秋彦に馬乗りになって、その細い両手首を地面に縫い付ける。そのまま秋彦の薄い唇に噛みつこうとして、どこか諦めたような瞳を、見た。
「ミツ」
秋彦が、静かに俺の名前を呼ぶ。その薄い唇を、何も考えずに塞いでしまえたらどんなに良かっただろう。
お前のことを気にしないで、自分の体を支配する欲に任せて、いっそのことここで無理やり抱いてしまえれば、その方が楽になれたかもしれない。
「俺には、できない」
けれどそんな声で、そんな目で、…そんな顔で笑われたら、それもできなくなってしまうよ。
5限目の終わりを知らせるチャイムが鳴る。その音で俺は我に返って、秋彦の上からどいた。
「…しばらく、ここには来ない」
秋彦の顔が見れない。それだけ言って、俺は立ち上がる。秋彦は俺がどいても起きようとはしなかった。
結局手付かずの昼飯が入った袋に引っ掴む。頭も心も、ぐちゃぐちゃなまま、秋彦の傍にいてはいけないと思った。
このままここにいても、冷静に秋彦と話ができるとは思えないし、秋彦も俺も、今は一人になった方がいいのだろう。
――そんな、言い訳紛いの言葉を自分に言い聞かせて、俺は逃げるように温室を出た。
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