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第7話

第四章 「……バイトかぁ」  片付けていたチラシにあったバイト募集の文字が目に留まる。  ダイニングテーブルに広げ、端から端まで読んでいく。  お金に困っているわけではもちろんないし、陽は十分過ぎるほどのお小遣いをくれる。生活費の中から余った金も自由にしていいと渡されている額は、睦月にとっては大金だ。  浅黄陽という名は、小説家としてかなり知名度がある。  本が売れないと言われているこの時代に、出せば十万部以上の売り上げを記録し、原作がドラマや映画になった数も相当だ。  睦月と葉月を引き取った頃からそうだったわけではない。一部の人には人気があったが、その頃陽は王道と言われる推理小説を書いていて、少なくとも映画化やドラマ化の話はなかったはずだ。  理由はわからないが、陽は突然推理小説から撤退してしまった。  そうして、ちょうど睦月の両親が亡くなった五年前に発売された小説〝幸せの温度〟が本屋大賞を受賞したことで、一気に知名度が上がったのだ。  ひたすら一人の人を愛する男の話だった。  最後まで読み終わり、正直この主人公は幸せだったのだろうかと不思議に思った。だって叶いもしない恋に溺れ、自分の好きな人は別の誰かと結ばれる。やがて二人の間には子どもが生まれ、主人公はそれでも、想うことを止められない。  まるで自分のようではないか──。  主人公が文中で、相手を抱き締めるシーンがある。彼にとっては好きな相手の体温が幸せの温度なのだと、だからこうして抱き締めることだけは許してほしいと、心の中で慟哭しながら友人として最良の選択をする。  〝幸せの温度〟を世に出してから、陽は何かを吹っ切ったように新しい分野へとチャレンジしていった。だから、睦月は陽の昔の本はあまりきちんと読んだことはないが、ここ五年間に出版された小説はすべて読んでいる。浅黄陽のファンを名乗れるほどに。 「やっぱり、無理かなぁ」  つまり、陽の仕事に代わりはいない。全国の何万というファンが彼の小説を待っているのだ。睦月がバイトをすれば、家のことで彼の負担が増える。そんなわがまま言えるはずがない。 (週に一回くらいなら……ただ、そんな都合よく見つからないよなぁ……) 「でも……このままじゃ、俺おかしくなっちゃうかも」  手に持ったチラシで顔を覆い隠すように天を仰ぐ。  四六時中と言っても過言ではないほどに、陽の顔がチラつくのだ。勉強している時も、電車に揺られていても。だから陽と上手く顔を合わせられない。  あんなことをしてしまった自分が恥ずかしく、陽に気付かれていたらどうしようとそればかりが頭を過ぎる。家族だと言ってくれた陽を裏切るような形で、自分の感情が家族の愛情ではないと気付いてしまったから。 「なんでおかしくなるんだよ?」 「ひゃぁっ!」  ダイニングテーブルに突っ伏していると、背後から突然声がかけられ、ヒンヤリと冷たい手がうなじに触れた。何でもないスキンシップが今の睦月には辛い。喜んでしまう自分が嫌で腹立たしい。 「陽さん、いきなり触るのやめてくださいっ」 「いきなりじゃなきゃいいのか?」  ふわりと腕が背後から前に回って、座ったままの睦月の身体が包まれる。すぐ耳元に陽の吐息が聞こえて、ドクンドクンと胸の音が煩いぐらいに響いた。 「葉月は?」 「もっ……寝ました」  わざと耳元に息を吹きかけるように囁かれるその声が、睦月の官能を呼び覚ましてしまう。前に回った陽の手が胸を掠める。陽に触れられていると考えただけで、ジンジンと下肢が痛いほどに張り詰めた。 「あっ……」 (も……っ、やだ……)  陽は睦月を離すつもりはないらしく、ズッシリと肩にかかる体重は一向に軽くならない。ふわりと香る陽の体臭にもうおかしくなりそうだ。 「ふうん……睦月、顔真っ赤……で、コレどうすんだ?」  腹部を行ったり来たりしていた手で、持ち上がったパジャマのズボンを撫でられる。だってしょうがないじゃないか。あの夜から、睦月の頭には陽と自分の淫らな想像ばかりが浮かんでしまうのだから。  毎日毎日、狂ってしまったんじゃないかと思うほどに、妄想で抱かれている。陽との行為を想像するだけで達してしまえるくらいには劣情的だった。 「ひっ、ぁ……ごめ、なさっ」 「んな可愛い声出すなよ」  もしかしたらこれも夢なのだろうか。陽の手が快楽を与える意思を持って、睦月の性器を薄い綿の上から扱く。パジャマの中で下着にヌルリとした先走りが染みつき、擦られる刺激に甘い声が漏れた。 「あっ、ん……陽、さっ……ダ、メ……」 「抜いてやるだけだ。出したら、忘れちまえばいい」  陽の手がパジャマの中に入り込む。腰を上げろと囁かれた声に従うと、パジャマを腿の辺りまでずり下された。  外気に触れた屹立を陽に直接握られると、さらに先走りが溢れる。今まで散々妄想していた分、直接的な刺激は言うまでもなく想像以上だった。  粘り気のある透明な液体を、まだ幼さの残るピンク色をした亀頭に擦りつけられ、滑りのよくなった手のひらの動きが早まった。 「やぁ……そ、こ……」 「ほら、してやるから……どうすんのが好きか言ってみろ」  丸い亀頭の穴を指で刺激される。濡れて淫猥に光る昂りから目が離せない。ゆるゆると上下に擦られると、心地よさに頭が真っ白になる。早く陽の手で昇りつめたい。  口から出ていた自覚はなかった。全てが夢の中の出来事のようだ。気付けば陽の手を摩るように動かしていた。  クチクチと淫靡な音が規則正しく響く。同時に、あられもない嬌声が口から衝いて出てしまう。もう止まらなかった。 「陽さっ……も、っと……気持ちい……して……」 「お前は……っとにヤバイな。んなつもりじゃなかったのに」  こんなつもりじゃなかった──淫猥に乱れた自分の姿を軽蔑されたのかもしれない。睦月だって、こんなつもりじゃなかった……だから、必死に距離を置こうとしていたじゃないか、と文句の一つも言いたくなる。  陽さんが、何も知らずに触れるから。  それは言葉となって口から出ることはなく、ただ頬を濡らした。 「んっ……あぁっ……も、イッちゃ、うからぁ」  頬を伝う涙を舐め取られて、陽の手の動きが早まった。背後からギュッと先端を強く掴まれ、上下に動く手に翻弄される。  濡れた水音すらも睦月にとっては愉悦となった。身体の奥底に消えない火が灯り、そして弾ける。 「んん──っ!」  葉月に聞こえてしまうかもしれないと、絶頂の瞬間唇を強く噛み締めた。深く息を吐き出せば、近くにあったティッシュで手を拭う陽の姿があった。  まるで幼子を慰めるかのように、額に唇が落とされる。  夢であってくれたらどんなによかったか。互いに沈黙が落ちると、綺麗に拭われた手で頬を撫でられる。しかし、部屋の中に漂う淫靡な気配を消すことなど出来やしない。 「お前、最近おかしくないか? さっき見てたの、バイトのチラシだろ……険しい顔しながらなに見てんのかって思ってたけど、金足りないならちゃんと言えよ」  陽の言葉に、ビクリと肩が震える。  そうか、陽はなかったことにしたいんだ。  睦月が誘ってしまったようなものだろうし、なかったことにしてくれるなら、その方がいい。これは、束の間の夢だったのだと。 「ち、違います。社会勉強のために……バイトとか、してみたいなって思っただけで」 「やりたいことを好きなようにやれるのも若い時だけだからな、別に反対はしないが……葉月にも聞いてみろ」 「葉月に?」 「普段は保育園で睦月も学校だから、遊んでもらえるのは夜と土日だけだろう。あいつなりに我慢してるところはあると思うぞ」  葉月は五歳にしては、わがままも言わず大人びたところがある。それで助かっているところは正直大きい。睦月もきっと我慢させているだろうことは理解しているつもりだ。

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