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第8話
第五章
「あーちゃーん、ばいばーい」
手を振りながら友達と別れる葉月を待って、教室から少し離れた場所で見守っていると、担任の先生が睦月を手招きし呼んでいた。
園庭で遊び始める葉月を横目に、まあ慣れているし大丈夫かと先生の元へと行った。
「睦月くん、今度の土曜日参観なんですけどね」
「あ、はい……手紙見ました」
今週末の土曜日参観は、普段は働いていてなかなか見られない授業風景を見てほしいという園の方針で毎年行われている。
担任はどう切り出すべきかと、迷っているようだった。
去年は陽と二人で参観したし、もちろん今年も二人で出席するつもりでいたが、何か問題でもあったのだろうか。
「どうかしましたか?」
「あの……最初にプリントを渡した時、葉月くんこっそりとプリント破いてたみたいでね。もちろんすぐに気付いて、新しいプリントを入れたんだけど。どうしてそんなことをしたのって聞いても言わないから……もしかしたら、クラスの子にどうして親が来ないのって聞かれたことを気にしてるかもしれないって思うの。両親が亡くなってるって、まだこの年齢じゃお友達も理解してなかったりするし」
担任の困惑が睦月にも伝わった。眉を下げ思い悩む表情で、片親の子は多いんだけどねと担任は言葉を切った。
両親が亡くなった時、睦月は十二歳だった。つまり、十二年間は両親と過ごす時間があった。
生きていた頃も、共働きだった二人は忙しく、そうそう頻繁に学校行事に参加していた覚えはないが、それは仕方のないことだと割り切っていた。そういう子は他にも大勢いたから。
そして中学からは、陽が必ず参加してくれている。
しかし──考えてもみれば。
(葉月は……まだ五歳、なんだ……)
我儘を言って困らせることもないし、睦月と陽が参加するのを喜んでいたように感じた。五歳にして、大人を困らせないようにしてるなんて。
睦月と違い、両親と会話した記憶などないだろうし、写真でしかその姿を知らない。周りの友達が母親と、父親といるのを見て何とも思わないはずがなかった。
あいつなりに我慢してるところはあると思うぞ──そう言った陽の言葉が思い起こされる。
我慢、じゃない……おそらく、無理をさせていた。
園庭に視線を向ければ、友達と楽しそうに滑り台で遊ぶ葉月の姿があった。
「そういうのって難しい問題で……どうして葉月くんのところはパパとママがいないのって聞かれると、大人の私たちでもどうしていいかわからない時があるのよ。人が死ぬってことが理解出来る年齢になると、相手の気持ちを考えて喋るようになるんだけどね。この年齢じゃ難しいし。そうやって悪意なく傷付けてしまうことは多いから」
「そうなんですね……葉月、家では寂しいとか全然言わないから」
まだ若い担任教諭も、睦月と同じように滑り台で遊ぶ葉月を見て、そうですねと頷いた。
「葉月くん、強い子です。園でも滅多に泣かない、大人びた子です。でもちょっとしたことで泣けるのって、小さい子の特権なんですよ。だからもっと我儘だっていいと思うんです。寂しいよって悲しいよって言ったって、受け止めてくれるお兄ちゃんがいるでしょう? 毎日、お友達のお迎えに来るお母さんを見て、寂しそうにしながら手を振ってる姿を見ると、苦しいです」
小さい頃から、一度も葉月が寂しいと言ったのを聞いたことがない。一度だけ僕にはパパとママがどうしていないのかと聞かれたから、天国に行ってしまったんだよと伝えたけれど、それ以降あまり両親についての話題に触れなくなった。
正直、助かったと思った。いつかは説明しなければならないが、それはきっと今ではないから。
「先生……ありがとうございました」
軽く頭を下げて、葉月を呼んだ。睦月の声に滑り台を滑り終えた葉月が、友達に手を振り駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん、帰る?」
「うん、帰ろうね」
担任にもう一度会釈をし保育園を出た。手を繋いで葉月のペースで歩きながら、駅前にあるスーパーに寄る。
「今日のご飯は何にしようか」
野菜コーナーから見て回ると、途中のお菓子が陳列されているスペースで、子ども連れの母親が泣き喚く我が子にほとほと困り果てた表情を見せていた。多分、葉月と同じぐらいか、もう少し小さいぐらいだろう。
葉月は自分からこうしたい、ああしたいと言うことも少ない。よく喋るし、保育園であった楽しいことは教えてくれるが、よくある母親たちの悩みを抱えたことはなかった。
「なんでもいいよ」
いつもと同じ言葉。なんでもいいと言われることを気にしたこともなかった。
「葉月の食べたいのでいいんだよ?」
小さな手をキュッと握り、ゆっくりとしたペースで歩く。
これは好き、これは嫌い、食べ物の好き嫌いもあったっていいはずだ。なのに、葉月は睦月の作り料理を満腹だという理由以外で残したこともなければ、好き嫌いを言ったこともない。
「兄ちゃんのご飯なんでも美味しいよ?」
嘘のない瞳で見つめられると、睦月はもう何も言えなかった。
思い返せば、ハンバーグや唐揚げの時は喜び方が幼いように思う。嬉しいのかたまにお行儀悪くテーブルを叩くこともあって、その度に睦月は注意していた。逆にセロリやピーマンといった香りの強い野菜の時は、妙に行儀良く落ち着いていて、その日の気分の差だとばかり思っていたのだが。
「葉月、今日ハンバーグにしようか?」
睦月が言うと、パァッと目に見えて顔を輝かせた葉月が首をコクコクと縦に振った。
「言っていいんだよ、ハンバーグが好きだって。ピーマンが嫌いだって」
言いながら顔を覗き込むと、驚いたのか目をパチパチと瞬かせる葉月の顔が、どうして知ってるのと言っていた。
「もっとわがまま言っていい。葉月は、土曜日陽さんと俺が見に行くの……嫌だった?」
「や、じゃないけど、ほかのみんなパパとママ来てるから、前のとき、どうして葉月のとこは親が来てないのってあーちゃんに聞かれた」
聞いた子も悪意があったわけじゃない。純粋にどうしてだろうと思ったに過ぎないはずだ。けれど、葉月はきっとそう思わなかった。
もしかしたら、去年の保育参観の時期だっただろうか。葉月から、どうしてパパとママがいないのかと聞かれたのは。
葉月は幼くてまだ何もわからないからと詳しく両親のことを話していなかった。写真は見せたがあまり話題にも上ることはなかったし、産まれた時から陽の家で育ちこの生活が当たり前であった葉月には疑問など湧かないだろうと。
「そっか、だからもらったプリント破いたの?」
睦月の問いに、唇を震わせた葉月が小さく頷いた。怒られるだろうかと、睦月の顔色を窺う表情が痛々しい。
もしかしたら自分は、葉月のことを想っているフリをして、実は何も知らなかっただけなのかもしれない。陽の方が余程よく見ている。
「帰ったら、父さんと母さんのDVD見せてあげる」
ほんとに、と葉月が笑う。子どもらしいあどけない笑顔を見せて。
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