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第10話
第六章
──お前のバイト決めてきたから。
今朝、起き抜けに陽から告げられた。やはり週に一日程度となると、相当厳しく、諦めるしかないかと思っていたのだが。
一緒にいる時間が増えれば増えるほど、育った気持ちが増長し恋心は募っていった。
それに、最近特に陽からのスキンシップが激しい。隠していたことを曝け出したせいか、元々人肌の好きな人なのか、やたらと頬を寄せたりキスしたりを繰り返す。
「睦月くん、平気? 休憩しながらやってね」
ドアを開けて入って来た田ノ上に、大丈夫ですと首を振った。
陽の紹介でというより田ノ上繋がりで紹介してもらったバイトは、田ノ上の働く出版社での雑務だった。
一高校生である自分ができる雑務などたかが知れていて、しかも週一となると役に立てるかどうかと思っていたが、誰も手がつけられないでいる倉庫の整理ならば、なるほどと頷ける。
「いやぁ、最近新しいビルに引っ越してからさ、いつかやらなきゃと思ってても、誰も段ボール開けようって奴がいなくてね。締め切りは毎月やってくるし、正直何年もこのままかと思ってたよ」
お手上げだとでも言うように、大袈裟に両手を広げた田ノ上に苦笑を返す。確かに、睦月が今日ドアを開けて思ったのは〝これを一人で?〟だった。
段ボールの中には過去の出版物がギッシリと入っていて、それを壁一面に備え付けられた棚へ年代順、種類別に分けながら入れていくのが仕事内容だ。期間限定ではあるが、間近で陽の仕事に触れられているようで楽しい。
「田ノ上さん忙しいんでしょう? 俺勝手にやって時間になったら帰りますから、大丈夫ですよ」
「助かるよ、でも初日だし無理しないでね。帰る時もIDカード忘れずにね。タイムカードと同じだから、それ」
首元にかかったカードを指差され、はいと頷いた。入館時手渡されたカード型の入館証はアルバイトにも配布されるらしく、残業などを入退館のゲートを通過した時刻で管理されているようだ。
「はい、わかりました」
「今日、早く上がれそうなんだ。睦月くん帰る時声掛けてよ。一緒に帰ろう? 俺車だし、送って行くから」
「いえ、そこまでしていただくわけには……あ、陽さんと約束してましたか? ご飯食べて行きます?」
もしかしてと睦月が聞くと、ニヤリと口角を上げる田ノ上の姿があった。
「ちょっとそれ狙ってた。サンキュー」
「いえ、じゃあ帰る時声かけますね」
「ん、じゃあ頑張って」
ヒラヒラと手を振って、倉庫の扉が閉められた。再び作業に集中するべく睦月は手を動かしていく。
ひたすらバックナンバーを月ごとに棚へとしまっていく作業は、単調ながらも重労働で、数時間が経つと身体の所々が鈍く痛みを訴えていた。
ふと時計を見ると、すでに十七時を過ぎていた。
編集部で働く田ノ上は、相当に忙しいのだろう。睦月が部屋を出る度に忙しなく電話なり呼び出しなりで、落ち着いている暇はなさそうだった。田ノ上だけじゃなく、周りを見回せば誰一人暇そうな人間などいない。
(大変なんだなぁ……)
編集の仕事は、漠然と陽のような小説家の仕事を影で支えているだけだと思っていた。一冊の本にするために、どれだけの人がどういう風に関わっているのか、機会があれば聞いてみたい。
「田ノ上さん……俺終わりましたけど、ロビー出たところで待ってましょうか?」
電話が終わり、受話器が置かれたところを見計らって声をかけた。初出勤ということで、田ノ上も睦月を気にしてくれてはいたが、この忙しさを知ってしまえば甘えられるものでもない。
「睦月くん、お疲れ様! うん、そうしてくれる? もう少ししたら降りるから」
「じゃあお先に失礼します」
「はい、お疲れ様でした」
手伝いしましょうかという言葉が喉まで出かかったが、やはり自分に出来ることはきっと倉庫の整理ぐらいなのだろうと考えて、その場を後にした。
エレベーターで一階へ降りる中、いつか陽の仕事をこういう形で手伝える日が来たらいいなと考え、夢のまた夢であるかと嘆息する。自分が進む方向すらまだ見えていない。とりあえず、高卒でも働ける企業、という目標だけだ。
首に下げたカード型の入館証をゲートに翳して、自動改札機のような機械を通った。来客用の椅子に座って待たせてもらう。
その間に、スマートフォンから陽へと連絡を入れた。葉月は大丈夫でしたかとメールを送ると、すぐさま返信があった。どうやら葉月と一緒に夕食の準備をしていたらしい。睦月が家事を出来ないことを詫びると、出来る方がやればいいんだからと返ってきた。
無理するなと陽は言うが、きっと今日の仕事は進まなかっただろう。自分のしていることは迷惑でしかないとすら思えてくる。バイトをしたいという動機すら不純なのに。
「お待たせ、行こうか……どうかした?」
スマートフォンを手に持ったまま、ロビーを通るビジネスマンをただぼうっと眺めていると、五分も経たずにやってきた田ノ上に大丈夫かと手を翳される。
「あ……すみません」
「疲れたよね、初日だし」
睦月が疲れていると思ったのだろう。気遣うような視線を向けられて、苦笑する。
「いえ、それは大丈夫です。色々と勉強になります……ただ、ちょっと」
「ちょっと?」
座っていた椅子から立ちあがり、田ノ上と並びながら駐車場までを歩く。歩きながら話すことも躊躇われて、睦月は黙って足を進めた。田ノ上もそれきり何も言ってはこなかった。
さすが大手の出版社だけあって、二十階建てのビルの地下は百台近くの車が停められる駐車場となっている。田ノ上が入り口近くに停めてあるグレーのセダンのロックを解除し、どうぞと告げてくる。
「お邪魔します」
「はい、どうぞ……俺の車乗るの初めてだね。結構付きあい長いのに」
助手席に座りシートベルトを締めると、車はゆっくりと動き出した。ハンドルを持つと性格が変わる人がいるというが、田ノ上の運転は穏やかだ。
「そうですね。陽さん、車持ってるけどそんなに外出る人じゃないし、あんまり乗る機会ないんですよね」
「へぇ、けっこう車好きな奴だけどな。で、何か気になってることがあるのかな?」
チラリと視線が向けられ、車がスロープを登り地下から地上へと出る。車ならば、マンションまでは二十分かからずに着くだろう。とはいえ、帰宅ラッシュの時間と被り道は混雑していた。
「気になってる……っていうか、俺って考えなしだなと思って」
「考えなし? むしろ俺は考え過ぎだと思うけど」
「そうですかね。なんか、俺がしてることって裏目裏目に出ちゃってる気がします」
睦月は結局自分のことしか考えていない。葉月だってきっと寂しい思いをしているだろう。今回のバイトのことを伝えた時も、お留守番できるよと笑っていたがそう言わせてしまったような気もする。
しかし、半ば諦めていたバイトだったが、どうして陽は敢えて働いてみたらいいと言ってくれたのか。有難いとは思うが、たぶん陽の紹介がなければ仕事にあり付けなかっただけに不思議に思った。
「もしかして、今回のバイトのこと?」
思い当たることでもあったのか、田ノ上に言い当てられると益々自分の考えは信憑性を増した。
「陽さん、何か言ってました?」
「いや、あいつは何も。ただ、睦月くんに社会経験させてやってくれって言われただけかな。実際こっちも助かってるしね」
「でも……俺、家事ぐらいしか出来ることないのに、忙しい陽さんに葉月の世話させて……夕飯まで作らせて、ただ迷惑かけてるだけじゃないですか?」
浅黄陽の小説を待っている人がこの世に何人いるか、それを考えたらちっぽけな自分のバイトなんかよりも、余程陽に小説を書いてもらう環境作りをした方がいい。ただ、これ以上好きになりたくはないと逃げたいがためにアルバイトをしているだけなのだから。
「あいつはさ……好きなのよ。君たちの面倒見るのが。で、小説はあくまで仕事。金を稼ぐための手段。好きか嫌いかで言えば嫌いじゃないって返ってくると思うよ。だから迷惑かけるぐらいでちょうどいいんじゃないの?」
「そうですか……?」
「もうちょっと自信持っていいでしょ。君たちはちゃんと陽に愛されてる。気持ちはわからないでもないけど、その愛情を疑うのは陽に失礼だよ。だって、俺だったらたとえ親友の子どもであっても、引き取るっていう選択をするかはわからない。それだけ大きな責任を負うことになる。それに仕事も不規則だし、寂しい思いをさせてしまうかもしれないと考えたら、余計にね」
自分が恵まれているかはよくわかっている。愛情を疑っているわけではないのだ。
引き取られてから、睦月と葉月の学校、保育園の行事には必ず顔を出してくれた。どれだけ忙しく締め切りが迫ってようと、陽はそれを悟らせないように家族でいてくれた。
「まあ、俺が言うまでもなくわかってるよね、睦月くんは。ただ、陽のこと大好きなんだよな」
揶揄うような田ノ上の言葉に、頬が紅潮していく。そんなにバレバレだろうかと、ハンドルを握る田ノ上を覗き見れば、ニヤリと口角を上げて笑っていた。
「だ、だ……大好き、とかじゃっ……」
「あ〜ごめん、俺わかっちゃった……そういう好きか」
笑いを噛み殺しながら告げられる言葉に、やっぱり一人で帰ればよかったと、今すぐここから立ち去りたい思いだ。
「はっ⁉︎」
「そっかそっか、そういうことね……」
堪えきれなかったのか、ははっと声を高らかに笑われて、ますます居た堪れなくジワリと涙が滲んだ。こういう時大人って嫌だ。何もかもわかったように、優しげな瞳を向けられる。こっちは陽の顔を見るだけで胸が苦しくて、いっぱいいっぱいだというのに。
「え、あの……ちょ……」
「はい、着いたよ。車置いてくるから、先に帰ってて。後でね」
「あ、はい。ありがとうございます」
いつの間にか、田ノ上の車はマンションのエントランス前に停まっていて、降りてとシートベルトを外された。住人が利用するエントランスに停めたまま話し続けるわけにもいかず、睦月が降りると田ノ上の車は来客用の駐車場へと入って行った。
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